35 閑話:皇帝ハイセルは応対する
クウ・マイヤの退出後、バスティール帝国皇帝ハイセル・エルド・グレイア・バスティールはため息まじりに口を開く。
「バルターよ、俺は今、あいつのあまりの能天気ぶりに戦慄すら覚えている」
「よいではありませんか。陛下への好感度も随分と上がった様子です。このまま完全に取り込んでしまいましょう」
脇に控えていた腹心のバルター・フォン・ラインツェルが静かな笑みを浮かべる。
「しかし、竜と友誼を結び、魔物と友達になる、か」
「精霊なればこその話ですな」
「真実だと思うか?」
「はい。彼女であれば十分に有り得る話かと。先の剣も、尋常のものではありませんでした」
「そうだな。帝国の聖剣がかすんで見えたぞ」
「あまりの圧に身が震えました」
「アストラル・ルーラーと呼んでいたな。精霊にとっても最強の武器だと」
「意味としては、霊なる領域の支配者――で、ありましょうか」
「まさに精霊姫、精霊第一位といったところか」
あのような剣を人前で使っていれば、どれだけの者に狙われることか。
盗賊なら撃退するだけだが、貴族にも狙われかねない。
ハイセルはその点の注意を忘れていたことに気づいたが、それ以前に町中で平気な顔をしてふわふわ浮かんでいる娘だ。
自らの特異性を理解できていない。
いや本人は理解しているつもりでいるようだが、あまりにも脇が甘い。
「バルター、すまんがセラフィーヌとクウちゃん君の講師役を頼めるか? 常識的行動というものをよく教えてやってくれ。町中で気軽に浮かんだり、簡単にあの剣を抜いたりせぬようにとな」
「せっかくなので案内役も仰せつかってよろしいでしょうか?」
「ほお。どういう意図だ?」
「もう少しあの娘の気質を見てみたくなりまして」
「構わぬが、護衛はつけろよ?」
「セラフィーヌ様には現在、サギリがついているのでしょう?」
「あれはいざという時の要だ。普通の護衛もつけておけ。ついでに商業ギルドの連中はたっぷりと脅しておけ」
「畏まりました」
「クウちゃん君には、気持ちよく帝都での生活を楽しんでもらいたいからな」
話に一区切りのついたところで、揃って部屋を出る。
ハイセルには次の会談があった。
娘たちと遊びに――ではないが、外に出られるバルターが羨ましい。
なにしろ歩けば騒動を拾ってくるクウが一緒である。
きっと面白いことが起きるだろう。
ハイセルが会うのは頭の痛くなる相手である。
ローゼント公爵家の当主、エダート。
妻アイネーシアの実父であり、現在の自分を支える皇帝派貴族の中核の1人。
会わないわけにはいかない。
ハイセルはそもそも皇位継承を期待されていない皇子であった。
母親が地方の下級貴族の娘ということもあり、第四皇子ではあるもののまさか即位することはないだろうと自由に育てられた。
それが不幸な事故によって一度に父と長兄と次兄を失い、至尊の地位に就いた。
すでに公爵位にあった盟友バルター、義父ローゼント、騎士団長と魔術師団長を中核とする中央軍の支持がそれを後押しした。
三兄との間に争いはあったが、三兄は血統に優れていても人格難のために支持が広がらず、ハイセルの勝利でおわった。
とはいえ、今でも貴族の中にはハイセルの即位を快く思っていない者もいる。
味方のフリをしつつも、何をするにも横槍を入れてくる面倒な連中であった。
上手くあしらうために、身内との事前の相談は欠かせない。
「おおっ! お待ちしておりましたぞ、陛下」
部屋に入ると、立ち上がって両腕を広げたローゼントが大袈裟に歓迎してくる。
すでに60歳を越えた義父だが、呆れるくらいに元気はつらつとしている。
「お待たせしました、義父上」
「はははっ。宮殿内で義父上はおやめくだされ、陛下」
いつものやりとりを交わした後、席につく。
「それでご決心はつきましたかな。我が孫セラフィーヌを正式に聖女とし、帝国こそがまさに精霊の加護を受けた真の聖なる国だと民衆の前で宣言することを」
「それはやはりやめておくことにした」
「何故ですか! 帝国の威光を大陸に轟かせる絶好の機会なのですぞ!」
ローゼントは唾を飛ばす勢いで声を荒らげる。
「聖国と戦争になったらどうする」
「その心配はありません。そもそも領土を接していないのです。ジルドリアと手を組んだところで我らの敵ではありません。蹴散らしてやればよいのです。精霊神教にしたところでこちらには聖女がいるのです。さらには帝都で精霊の祝福が起きたことはすでに広く伝わっています。むやみに反発はしますまい」
耳が痛くなる。
大きな声でよくしゃべるものだと、ハイセルは心の中でごちた。
「さらに宣言すれば陛下の威光は圧倒的となり、ごちゃごちゃとうるさい連中を一度に黙らせることができますぞ」
「それは魅力的ではあるが、同時にセラフィーヌを矢面に立たせることになる」
「護ればよいのです」
「簡単に言うな。影はどこにでもある」
「私はこの機を逃さず、帝国を一枚岩にしたいのです。そしてさらに、我らの名が歴史に刻まれるほどの大きな躍進を!」
最近は、この話で平行線が続いている。
断っても断っても、しつこくローゼントはやってくる。
もういい加減にしろと言いたいが、ローゼントの支持を失うわけにはいかないのでそこまでは口にできない。
「それに――。私は見たのです。奥庭園において、この世のものとは思えない、美しい光の柱が立ち昇った、あの光景を」
ローゼントが目をうっとりとさせ、さらに感情を込める。
「あれはまさに、精霊の輝き――。そして、奥庭園にはセラフィーヌがいたというではありませんか――。セラフィーヌは間違いなく精霊に愛されているのです。精霊の友となり聖女となったのです。これを公にせずして、何を公にしろというのです。千年の暗黒期がおわる時なのですぞ」
困ったことにローゼントの言は、すべてが思い込みだけの話ではない。
セラフィーヌは精霊と友誼を結んでいる。
そして、おそらくは、その加護を受けて、光属性を得た。
しかし、精霊。
あのぽけーっとした、せっかくの美しい顔立ちを台無しにしていることの多い無防備極まる空色の髪の少女が、千年の暗黒期をおわらせた。
それどころか、称号を信じるならば、彼女こそがすべての精霊の頂点。
なんとも信じられない話であった。
しかし、事実ではある。
実際に祝福は起き、セラフィーヌは光の属性を得たのだから。
結局、今日も話に決着はつかず、
「期待しておりますぞ、陛下」
と最後に言って、ローゼントは部屋を出て行った。
ハイセルは疲れを覚えた。
軽く仮眠を取ろうと、大宮殿の奥にある皇族用の私空間に入った。
すると、リビングに妻付きの女性護衛がいた。
妻も来ているようだ。
ノックして私室に入ってみると、妻のアイネーシアがメイドと共にアクセサリーを付け変えている。
「ハイセル、こんな時間に珍しいわね」
「君こそお茶会はどうした?」
「これからなのだけど、宝石の質を上げるために急いで戻ったの」
「またアロド公爵夫人か?」
「ええ。ウルレーナには、装飾品の質でも負けるわけにはいかないでしょう?」
「当然だ」
アロド公爵家の当主デイニスは、いちいちにハイセルに横槍を入れてくる反皇帝派の筆頭と呼んで差し支えのない人物である。
その夫人ウルレーナもまた、唐突にアイネーシアの開くお茶会に参加しては皇帝派の女性に揺さぶりをかけてくる。
「……まったく、お互いに苦労するな」
「あら。またお父さま?」
「ああ……。セラフィーヌのことをうるさく言われて敵わん」
「困ったお父さまね。わたくしからも言っておくわ」
「頼む」
「いっそお父さまにもクウちゃんを紹介したらどうかしら? お父さまは昔から精霊信仰の厚いお方だから、クウちゃんの言うことなら何でも聞くと思うわよ?」
「それは無謀だろう」
仮に何でも言うことを聞いたとしても、相手がクウでは結果は変わらないどころか酷くなる気さえする。
「ふふ。そうよね」
アイネーシアがくすくすと笑う。
アイネーシアとハイセルは学生時代に知り合って、恋愛結婚した。
その頃と変わらない笑い方をアイネーシアは今でもしている。
お互いに当時は、まさか皇帝と皇妃になるとは思ってもいなかった。
何事もなければ今頃は、地方の領地を下賜されて、地味ながらも気楽に日々を過ごしていたことだろう。
ウルレーナとアイネーシアも学生時代からの付き合いである。
当時から何かと張り合って仲が悪かった。
その関係が延々と続いているのだから、ある意味では大したものである。
「でも、祝福があってからウルレーナが来たのは初めてだけど、あの子の悔しがる顔が目に浮かんで今から愉快だわ」
祝福の当夜、アロド夫妻は自領におり、帝都にはいなかった。
「君の肌は若葉のように瑞々しく、輝いて美しいからな」
「毎日、クウちゃんに感謝してしまうわ」
愛する妻との一時でハイセルの気持ちは随分とほぐれた。
仮眠は取りやめ、ハイセルは執務室に戻る。
決済すべき書類は多い。
確認してサインだけはしないと司政が滞ってしまう。
いっそすべてを文官に任せてふんぞり返っていようかとも思うが、それでは反皇帝派の思うままにされかねない。
気を抜くわけには、いかなかった。
最後までお読みいただきありがとうございましたっ!
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