325 闇の中の光(ギルガ視点)
完全武装した死霊の大群が、渦巻く泥のような瘴気を背に整然と立ち並ぶ。
俺達は基地の岩壁の上から、呆然とそれを見ていた。
俺、ギルガも長く冒険者をやってきて、今ではギルドマスターとして大規模任務の指揮を取ることもあるが――。
死霊のこんな光景を見るのは初めてだった。
見ていると、死霊達が左右に割れた。
中央が空く。
薄ぼんやりと輝く何かが、奥からゆっくりと歩いてきた。
人の背丈しかないのに、フロスト・ギガントですら小物に見えるほどの強大な力を感じずにはいられない存在だった。
あれは――。
それは荘厳な衣装に身を包んだスケルトンだった。
まさか――。
それが手に持つ杖には見覚えがある。
俺は戦慄した。
それは――かつてこのディシニア高原で『大発生』が起きた時に失われた、先代皇帝が愛用していた魔道具の杖だ。
前に出た『それ』が、杖を天に掲げる。
杖が輝きを増す。
チクチクと痛むような乾いた空気が頬に触れる。
「いかん! 伏せろ!」
その杖は、雷神の杖。
蓄積された魔力を雷として一気に放出する、脅威の魔道具――。
次の瞬間、世界が揺れた。
轟音と共に、迸る雷が岩壁に直撃する。
砕け散る岩。
いくつもの悲鳴が耳に届く。
魔石の明かりが照らす深夜の中、灰色の粉塵が立ち込める。
呆然としている暇はなかった。
俺は免れたが、砕けた岩壁に立っていた者達が、瓦礫の下敷きになっている。
いくつもの呻き声が聞こえる。
「おまえら! ぼーっとしているな! Dランク以上は武器を構えろ! Eランク以下はやられた連中の救助だ!」
救出活動は、俺が命じずとも始まっていた。
ボンバーやタタといった学院生の新人共が頑張っている。
「……に、逃げないのか?」
「……あんなの無理だろ」
ベテラン連中には、すっかり怖気づいた者が多い。
無理はないが――。
ここはもう、逃げるべきか。
しかし、急使は出したのだ。
遠からず、城郭都市タステンから兵が駆けつけるはずだ。
「援軍が来る! それまで耐えるぞ!」
俺は力の限りに戦鎚を振り上げた。
「――まあ、そう力まずとも」
そこに声がかかる。
横から、唐突に。
聞き覚えのない、男とも女ともわからない、不気味な音色の声だった。
俺は咄嗟に身構えて、そちらに正面を向けた。
迂闊だった。
赤く輝いた双眸が俺を捉える。
全身が痺れて、まるで石のように固まって動かなくなった。
魔眼――!
理解した時には、もう手遅れだった。
そこにいたのは、真っ白な肌をした背の高い優男だった。
長く伸びた髪の色も白。
スーツに似た黒い衣装を身に纏い、背中にはコウモリのような翼があった。
「……悪魔、か?」
かすかに動く唇で、俺は相手の素性を確かめる。
「ええ。よくわかりましたね」
優男が肯定する。
「悪魔! 魔物か!」
近くにいた冒険者達が一斉に剣を抜こうとして――。
軽く首を回した優男と視線を合わせてしまう。
「あ……。う……」
皆、俺と同じように囚われた。
優男が指を鳴らす。
すると優男の背中から――。
黒い影――。
何体もの悪霊が現れ、下にいた冒険者達に襲いかかる。
悲鳴が響いた。
クソが!
悪霊には普通の武器が効かない。
倒すには、神官の祈りか、ミスリルの武器か魔道具か攻撃魔術が必要だ。
つまり、下にいる奴らの大半は攻撃手段を持たない。
頼りのBランク『黄金の鎖』は岩壁にいた。
俺の近くで抜剣して、優男の魔眼にすでに囚われてしまっている。
――最悪だ。
優男が改めて俺に向き合い、優雅に一礼する。
「人間の指揮官とお見受けします。始めまして。私、ゼルデスバイトと申します。お察しの通りの悪魔で御座います」
「何を……。しに……。来た……」
とにかく情報を得なければ。
その一心で俺はたずねる。
「決まっています。この国を滅ぼすために来たのです」
死霊の軍勢を率いて、か――。
だが――。
その程度で帝国を滅ぼせると思っているのなら、お笑い草だ。
俺が内心であざ笑うと、それを見透かしたように優男――悪魔ゼルデスバイトが小さく笑いながら言葉を続けた。
「これから、愉快なことになりますよ。まずは私ですが、ここのダンジョンに籠もってひたすら死霊を作らせていただきました。今、前に出しているのが、皆さんが最も喜んでくれるであろう元帝国人達です。ククッ。素晴らしいでしょう? 元皇帝の死骸をも使用させていただいたのですよ。もちろん、彼らが身に付けていた数々の魔道具も、拾って装備させました。先程の雷撃も見事だったでしょう?」
悪趣味な奴だ――。
「他にも屈強無双たるドラゴンゾンビ、我ら悪魔にも匹敵するほどの力を持つ死者の主たるディープエンドリッチ、更に多数の死霊を準備させていただきました! その数は3万以上! さすがの私も苦労しました」
演技じみた態度で、ゼルデスバイトが自身を抱きしめる。
完全に遊んでやがる。
しかし、奴の言うことが真実なら、――その程度で、とは言えなくなる。
大変な事態だ。
「ククククッ!
しかも、私だけではないのですよ?
南の海では、邪神の落とし子たる千足の混沌が――。
帝都の地下では、狂乱の吸血鬼と闇の血が――。
更にはザニデア山脈の瘴気の谷の中から、無数の悪霊が――。
そして、帝国の西で、ククク……
眠れる赤竜が悪夢に取り込まれているのです!
それが一斉に、四方から!
帝国を混沌の窯へと引きずり落とすのです!
アアアア……。
ここで死霊と化す貴方達には決して見ることのできない光景ですが――。
せめてお伝えはしたくて、私、わざわざ来てしまいました。
どうです楽しそうでしょう?
もしかしたら、もうどれかは動き始めているのでしょうか――。
私、本当に引きこもっていたので、詳しく知らないのが残念ではありますが――。
ククククク! アーハッハッハ!
ハ……?」
心の底から愉しそうに哄笑していたゼルデスバイトが――。
突如、目を剥いた。
光が――。
空から降り注いだ幾筋もの光の一本が、奴を刺し貫いていた。
「ナ、ナンデスカ――。コレハ――」
奴自身、自分に何が起きたのか理解できていない様子だった。
「ぐ……。が……。バ、バカな……」
奴が――。
悪魔を名乗ったゼルデスバイトという優男が――。
まるで霧のように、散って消えた。
死んだ……のか……?
わけがわからなかった。
だが間違いなく、奴は自分の意思で消えたのではない。
光に消されたのだ。
俺は前のめりに倒れた。
呪縛は解かれた。
だが、体にはまったく力が入らなかった。
下で暴れていた死霊達も、すべて光に刺し貫かれたようだ。
皆、呆然としている。
「もう! ――ったら! 問答無用で消滅させちゃって!」
プリプリと怒る声が頭の上から聞こえた。
なんだ……。
それは明らかに少女の声だった。
頭上に光を感じる。
その光が、岩壁の上に降り立つ。
俺は必死に顔を上げて、それを見た。
2人の少女だった。
1人は、銀色の耳と尻尾を持つ、小柄な獣人の少女だった。
もう1人は――。
白いローブを身に纏い、背中から輝く翼を生やし、信じられないほどの魔力を感じる魔術杖を手にした少女。
俺は、その少女の横顔を知っている。
いや、俺だけではない。
おそらく、誰もが知っている。
帝国でも、精霊神殿に行けばいくらでも見ることはできた。
信者の家にも、大抵は飾られている。
その少女が、眼前に広がる死霊の群れを見て言った。
「いい? 次は、私がやるからねっ! どんな感じになるのか楽しみー!」
あまりにもお気楽な声だった。
「リト、力を貸してね」
「当然なのです! すべての光はユイと共にあるのです!」
応えた声は――。
少女の肩に乗った白いフェレットから発せられたように思えた。
動物がしゃべる?
正直、わけがわからないが――。
少女が、光輝いた背中の翼を折りたたむ。
翼はそれで消えた。
少女は目を閉じ、静かに強く、言葉を紡ぎ始める。
「――我、ユイリア・オル・ノルンメストが世界と光に願う。
我に力を」
何故、彼女がここにいるのか。
俺は夢でも見ているのか。
彼女は、今、本人が紡いだその名前の持ち主。
世界でただ1人、光の精霊に選ばれし――。
聖女――。
いや――。
昨今の噂では、セラフィーヌ殿下もそうらしいが――。
この時、俺は、目の前にいる少女を、世界でただ1人の存在だと感じたのだ。
少女の姿が光に包まれる。
あまりのまばゆさに――。
まっすぐには見ていられないほどの光量だった。
下にいる連中の中には、しゃがんで祈りを捧げ始めた者もいる。
「発現せよ――。集中せよ――。開放せよ――」
少女の言葉に合わせて、少女の全身を包んでいた光が、少女が両手で握った魔術杖の先端へと凝縮されていく。
少女が杖を掲げて、叫んだ。
「広域浄化魔法! エンシェント・ホーリーフィールド!」
次回からクウちゃん視点に戻ります。
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