320 閑話・ギルドマスターは苦労する
「ギルマス! 若手が帰ってきました! 全員、傷だらけですが無事です!」
「そうか。ぶん殴ってやりたいところだが、それで死なれちゃ叶わねぇか。ひよこ共は神官のところに連れて行け。説教はその後だ」
「はっ!」
身を返してギルド職員が出ていき、夕暮れの陽射しが差し込む仮設の指揮官部屋で俺は再び1人になる。
俺はギルガ・グレイドール。
すでに50歳は越えた、冒険者ギルドの長だ。
昔はAランク冒険者として腕を鳴らし、「岩砕き」の二つ名を持っていた。
衰えたとは言え、自信だけしか一人前のものがない若手連中など、拳の一撃でぶち殺す自信はある。
体力勝負の探索には、さすがにもう自信はないが。
俺が今居るのは、帝都の北、ディシニア高原――。
ディシニア高原は、かつては夏の保養地、冬のスキー場として栄えていた場所だ。
帝室の旅行先でもあった。
俺も若い頃に来たことがあるが、本当に美しい高原だった。
今では瘴気に満ち、ダンジョンと同じように魔物の発生する危険な領域だが。
俺達は、広がる瘴気をしっかり見て取ることのできる、それでいて十分に離れた場所に滞在し、禁区たる高原に足を踏み込んでいる。
基地は、ベースキャンプとも呼ばれるが、ささやかながらも砦だ。
土魔術の力で前面と側面に高さ3メートルの岩壁を生成して、内側に立てこもることができるようになっている。
岩壁には登ることもでき、敵襲の際は上から矢と魔術を放てる。
見張り塔もある。
敷地内の建物は3つ。
冒険者の宿泊施設、物資保管用の倉庫、ギルドの事務所兼宿泊施設だ。
背後には、高さ5メートルの岩壁がそびえる。
その岩壁は、人界に面した瘴気の発生領域に合わせて横に長く続いている。
多くの土魔術師が力を合わせて生成した、溢れた魔物が人界へとなだれ込むのを防ぐための大防壁だ。
俺達の基地は、その大防壁に接している。
大防壁に作られた大門が、基地のすぐ裏側にはある。
基地は出城のようなものと言えた。
調査の期間中、大門の外側に掛けるべきカンヌキは外されている。
なので内側からでも大門を開けることはできた。
昔はそうではなく、カンヌキがかけられた状態――簡単には外に出られない状態で冒険者は調査をしていた。
今は何かあれば、内側からの判断でも外へと逃げることができるわけだ。
その分だけ環境は改善されているが、冒険者の命は基本的に安い。
騎士や兵士と違って国からの保証はない。
ギルドとしてのサポートはあるが、死んでも遺族に年金は出ないし、後遺症が残るほどの怪我をしても見舞金は出ない。
故に、禁区調査の仕事は冒険者に回されている。
ダンジョン探索と同じだ。
保証の必要な騎士や兵士にやらせるよりも、自由な立場の人間に自己責任でやらせて魔石を買い取るほうが遥かに安く済む。
特に近年では王国や聖国との情勢が不安定で、戦争すら囁かれていた。
魔物相手に国の戦力を削るわけにはいかないのは理解できる。
もちろん冒険者は、無理矢理にやらされているわけではない。
皆、好き好んでこの危険な禁区へとやってきた。
自分の命が担保になっているとは言え、一攫千金の機会がそこにはあるからだ。
俺も昔は一攫千金を求めて無茶をしたものだ。
だからこそ――。
奥地へと進み、より高い成果を得たいという若手の気持ちはわかる。
わかるが、怒りは湧く。
「爆発野郎め。無茶しやがって」
俺は席から立ち、神官の治療を受けているだろう若手連中のところに向かった。
今年の若手は特に活きが良い。
まだ学院生のひよこだというのにダンジョンで実績を立てた者もいる。
代表格はボンバーという筋肉バカだ。
若手の中心的人物で爆発野郎なんて二つ名を早くも得ている。
大柄で筋肉質。
力任せに大剣を振るう重戦士だ。
実力はある。
だが、あまりにも自信過剰が過ぎている。
治療室に行くと、治療を受けつつ若手連中が大きな声で笑い合っていた。
「しかし本当に、私達にかかれば不可能などありませんね」
「そうっすねー。まさか小型とはいえヒドラを倒せるとは思わなかったっす」
ボンバーとタタ――。
学院生の2人が、調子に乗った会話をしている。
「ふふっ。Aランクになる日は近いですよ。ロック・バロットのAランク到達最年少記録は私達で塗り替えましょう」
「Aランクは無理でも、Bランクくらいにはなりたいっすねー」
「おや、タタは意外と現実的なのですね」
「Bランクでも報酬金貨100枚っすよ。それだけあれば十分っす」
ちなみにAランクに到達した最少年記録は、ロックのヤツではない。
同じパーティーの水魔術師ブリジットだ。
10代にして高位神官に匹敵する程の天才だが――。
彼女は常に深くローブをかぶって、ロックのように自己主張することもなく、年齢不詳の存在として常に陰にいる。
学院の卒業生でもないので名前は知られていない。
なので、まさか彼女が『赤き翼』の最年少だと思っている人間はいない。
ギルドとしても、個人情報は開示していない。
それ故、一般的にはロック・バロットが最年少で通っている。
「おまえら! 調子に乗るのもいい加減にしろ!」
俺は怒鳴って大股で二人に近づいた。
すると怯えもせず、ボンバーがケロリとした顔で言う。
「ふふっ。ギルマスにも私達の武勇伝を聞かせてあげましょう」
「いらんわ! ひよこの分際で、奥に行きやがって!」
制止の声も聞かず、若手連中が奥に向かった。
ベテラン冒険者達からその報告を受けた時には、冷や汗をかいたものだ。
「我々はひよこではありませんぞ。ボンバーズとその仲間達です」
「いいか。今回はたまたま上手く行ったが、次もそうとは限らんのだ。そもそも魔物の暴走を誘発させたら、どう責任を取るつもりだ」
俺が恐れているのはまさにそれだった。
実力のない者が奥へ奥へと赴き、強大な魔物と遭遇して刺激する。
そして逃げる。
悪い言い方になるが、途中で殺されるのならまだいい。
魔物の興奮は伝搬する。
多くの魔物を巻き込んで刺激して、連鎖に連鎖を重ねて基地へと逃げ帰ってきたならば大惨事となる。
禁区の魔物は基本的には、禁区の外に出ない。
禁区の外に溢れるのは、間引きされることなく数が増えすぎた時――。
何らかのきっかけで大発生した時。
あるいは、暴走状態に陥った時だ。
岩壁は完璧な盾ではない。
暴走した魔物の大群に突撃を繰り返されて破壊される可能性もある。
そうなれば大惨事だ。
「そもそもギルマスよ、我々が行ったのは、たかが1時間の場所です。Aランクの方々がいる奥地の遥か手前です。そんな近場で注意されていたら、この先、我々はどこで稼げばいいのですか」
「1時間は近場じゃねえ! 立派な中域だ!」
俺が怒鳴ると、ボンバーのとなりにいたタタが苦笑いをする。
「もちろん、周囲の状況は確認した上で冷静に進んだっす。僕達は、勢いだけで突撃したわけではないっすよ」
さらに他の若手が口を挟んでくる。
「そもそも日暮れまでには帰ってきましたよね? しかも大物を仕留めて。俺達は許された範囲で最善を尽くしたんです。いきなり説教は酷くないですか?」
「だいたい、無難に無難にじゃ、40歳になってもCランク止まりだろ。俺らは一流の冒険者になりたいんだよ」
俺はため息をついた。
こいつらの言葉には、何度も聞き覚えがある。
昔のロックも同じことを言った。
死んでいった連中にも、同じことを言っていたヤツは多い。
昔の俺も言っていた。
そう。
昔の俺も言っていた言葉だ。
冒険者としてのし上がるのならば、それは当然だ。
コツコツ無難に仕事を繰り返したところで、BランクやAランクにはなれない。
挑むしかないのだ。
挑んで、勝ち上がるしかないのだ。
認める部分もある。
こいつらは、今回が初めての禁区調査への参加だ。
禁区の瘴気はダンジョンの空気に近い。
瘴気の中でも普通に呼吸して、普通に行動することができる。
とはいえ、悪寒は覚える。
恐怖心も募る。
心の弱い者や経験不足の者であれば、体調を崩すのが普通だ。
何時間も中にいることはできない。
ダンジョン経験が豊富な者であれば、奥地で数泊する選抜部隊のように、そこで寝起きしても平気なのだが。
たいした経験もないボンバー達が何時間も瘴気の中にいて元気なままなのは、冒険者稼業に適正のある証明と言えた。
とはいえ――。
俺にもギルドマスターとしての責任がある。
「ええいっ! 黙れ! ダメなものはダメだ! ひよこは手前で遊んでろ!」
俺は怒鳴り散らすように命令して自分の部屋に戻った。
まったく胃が痛くなる。
俺も若い頃はそうだっただけに、だ。
そして。
日は暮れていった。
夜になる。
俺は腹が減った。
ここは最前線だが、幸いにも商人が新鮮な食べ物を運んできてくれる。
調理人も来ている。
今夜のメニューはステーキだ。
ひよこ共の相手でどっと疲れた。
たっぷり食って、ゆっくり寝てやろう。
ああ、そうだ。
この仕事がおわったら、久しぶりに休暇を取って、孫の顔を見に行こうか。
俺の息子はアーレで騎士をしている。
ローランド公爵のお眼鏡にかなっての大抜擢だった。
帝都からアーレは遠い。
故に、かわいい孫の顔を、今年に入ってからは一度も見ていない。
お土産をたくさん買って、持っていってやるか。
それが盛大なフラグであることに――。
この時の俺は気づいていなかった。




