313 閑話・白狼族ユキハの見た夢
あの夜のことは今でも夢に見る。
私はユキハ・スド。
かつては誇り高き、ド・ミの国の戦士見習いの1人だった。
あの頃、私はまだ未成年だった。
あの頃――。
ド・ミの国が滅びて、山の中に落ち延びて――。
ニナ様とナオ様と合流して――。
敵兵から隠れ、魔物と戦い、必死に生きていた。
だけど、やがて力は尽きていった。
力だけではなくて、運も。
ある日、ついに私達は敵兵に見つかった。
私達を見逃すことを条件に、王女であるニナ様は、戦うことを選ばず、その身を敵兵に差し出した。
だけど約束は守られず、後日、再び敵兵は現れた。
私達には逃げることしかできなかった。
あの夜――。
何人かの大人は、せめてナオ様だけは逃がそうと死の盾となった。
私はナオ様と共に逃された。
私は、戦士長の娘たるナオ様を守る最後の盾だった。
山の中、敵兵が私達を追ってくる。
ナオ様が転んだ。
足を怪我した様子だった。
逃げて。
私はナオ様に言われた。
私は最後の盾。
ナオ様を逃がすため、ここで囮となって、なんとか敵兵の注意を他に引く――。
それが使命だった。
だけど、それはなんのための使命か。
すでに国はない。
すでに、私の他には誰もいない。
みんな、捕まった。
あるいは殺された。
私は逃げた。
1人で逃げた。
狂乱して逃げた。
敵兵は、ナオ様を捕らえたことで満足したのか。
私の存在には気づいていなかったのか。
あるいは、私の存在など歯牙にもかけられていなかったのか――。
私を追って来ることはなかった。
私は逃げて逃げて。
ボロ雑巾になりながらも、海洋都市にたどり着いた。
そこで幸運な出会いがあった。
海運業を営む獣人に助けられたのだ。
そこには、私と同じようにド・ミの国から逃げてきた黒狼族の一団もいた。
私は彼らと共に働くことになった。
私は髪と尻尾を染めて、黒狼として彼らの輪に混じった。
ド・ミの国の、すべてはおわったのだ。
もうどうしようもない。
私は生き残った。
だから、生きるしかない。
どうせ生きるのなら、新しく生きよう、と。
そう思って。
名前は変えなかった。
どうせ私は無名だ。
賞金首にされている様子もなかった。
意地もあった。
新しい生活は順風満帆だった。
海洋都市は自由の世界だ。
よそ者だろうと実力さえあれば権利を手に入れることができた。
幸いにも私には力があった。
徹底的に鍛えられた戦士としての力が。
やがて私は、仕事を任せてもらえるようにもなった。
だけど、今でも夢に見るのだ。
自ら投降したニナ様の背中を。
私を見送ったナオ様の笑顔を。
それは悪夢なのか。
ちがうのか。
私にはわからないけど――。
そんな日々の中、私は町でいくつかの噂を聞いた。
ひとつは、ニナ様のような女性の噂だった。
どこかの漁村に、精霊のように美しい銀狼の女性がいるという。
その女性はとんでもなく強くて、よそからやってきた海賊を1人で蹴散らして人望を集めているという。
ただ、それは信憑性のない噂だった。
どこかの漁村――それがどこかもわからない。
名前も話には出て来ない。
それに――。
万が一にも本人だとしても――。
私には会わせる顔もない。
だからその噂は、忘れることにした。
――私を揺り動かしたのは、もうひとつの噂だった。
帝国方面に逃げた仲間たちの噂だ。
帝国は、言葉巧みに逃げた仲間たちを集めて、すべて奴隷とした。
そして鉱山で使い倒し――。
最後には、瘴気に満ちた暗い谷底に放り投げて――。
邪悪な儀式の生贄にしたというのだ。
帝国方面に逃げた仲間たちを率いていたのはサギリ様だと、私は以前にニナ様から聞いたことがある。
サギリ様は、ド・ミの国でも屈指の戦士だった。
帝国にたどり着けさえすれば――。
きっと道は開かれる――。
ニナ様はこう言っていた。
帝国は人間貴族が支配する国家だけど、獣人にも市民権は与えられている。
しかも、『女神の瞳』と呼ばれる強力な魔道具で、真意を見極めることができる。
サギリほどの戦士が本気で忠誠を誓えば、重宝されることだろう。
それによって仲間の生活も保証されるはずだ、と。
残念ながら、ニナ様の願いは届かなかったわけだ。
話を聞いた時には――。
現実なんてそんなものだと、達観した気持ちで受け止めていた。
だけどそれ以来、私は夢を見る。
惨めに殺されていく仲間たちの、夢を。
そこにはサギリ様や。
それだけではなく、私が見捨てたナオ様の姿を見ることもあった。
それは悪夢だった。
目覚めても消えない悪夢だった。
いつしか私は願うようになった。
復讐を――。
私たちを破滅させたトリスティンではなく帝国へと憎悪が向かったのは心に刻まれた恐怖心故だろうか。
そうなのかも知れない。
帝国への復讐こそが、惨めに逃げ延びて、今も生きている――。
私の使命なのだと――。
同時期に私は声を聞くようになった。
それは、地の底から、闇の中から届くような――。
暗く淀んだ声だった。
それは声であり、耳元に絡みついて広がる冷たい泥のようでもあった。
ネガエ――
ヨリツヨク――
ヨリフカク――
ワレノモトへ――トドケヨ――
私はその呼び声に応える。
冷たい泥に全身を委ねた。
強く、冷たく、無言で、気が狂うように願った。
――ソノ望ミ
叶エヨウ――
泥に覆われても構わない。
魂を喰らわれても構わない。
この悪夢から、この絶望から、この自己嫌悪から解放されるのであれば――。
赦されるのであれば――。
悪魔か邪神か。
なんでもよかった。
私は声にうなずき、その何かとの契約を結んだ。
…………。
……。
目が覚めると、そこは青空の下だった。
まばゆい光に目を細める。
「おはよう」
横から声が聞こえた。
私はそちらを見る。
嗚呼……。
私は死んで、赦されたのだ。
そう思った。
現実であるはずはなかった。
悪夢ではない夢が、青空の下にはあった。
私は夢を見る。
溢れる涙の熱も、夢に違いなかった。
目の前には――。
膝をついて、ド・ミの国の礼服に身を包んだ――。
立派に成長された、ナオ様の姿があった。
ご意見のあった、キャラの言動に不快感のあった話(296、311)を修正しました。
これからも楽しい小説を目指して書いていきたいと思いますので、
気になる話があればまたご意見ください。
できるだけにはなりますが、修正していきたいと思います。
ありがとうございましたm(_ _)m




