303 嘘つきのナオ
ナオがしゃがんで、片膝をついたサギリさんに目線を合わせる。
「……サギリ姉さん?」
「大きくなりましたね、ナオ」
「うん」
2人が手を取り合う。
「――彼女は、かつてのド・ミ国で風の牙と讃えられた戦士でしてな。ナオ殿とは親戚関係にあるようです。今は帝国に身を寄せ、特殊部隊の一員として、帝国の治安維持に大いに貢献してくれています」
バルターさんが私に教えてくれる。
「強いんですよね?」
「ええ。風の牙の称号の如く、一騎当千の強さですな」
「……でも、国は滅びちゃったんですね」
「あらゆる手段で生活が破壊され、武器も食料も統制も失えば、もはや国としてはどうにもなりません」
この後、バルターさんに促されてナオとサギリさんが身を起こす。
2人は近くのベンチに腰掛けた。
私とバルターさんは、少し離れたところから見守る。
会話は聞こえる距離だ。
本当は2人きりにしてあげたいけど、これが条件だったから仕方ない。
「サギリ姉さんは帝国に居たんだね」
「ええ。共に逃れた生き残りと、今は平和に生きています。帝国は我々に市民権をくれたのですよ」
「――その格好は?」
サギリさんは久しぶりの再会だというのに黒装束だ。
「今さら着飾る気はありません。それに、ナオとの再会がおわれば、すぐに私は仕事に戻りますから」
「どんな仕事をしているの?」
「今夜は、この大宮殿の周囲の警備を任されています。驚きましたが、ナオは聖女様と共に居るのですね」
「うん。今は」
「私のことは聞きましたか?」
「うん。聞いた。帝都の特殊部隊にいるって」
「ええ。そうです。ド・ミの国での私は、ニナ様と共に常に前面にいましたが、今は常に陰に潜んでいます」
ニナ様。
ド・ミの国の王女で、ナオが会いたがっていた相手だ。
「帝国で私は学びました。思えばド・ミの国では、常に正々堂々、まっすぐに正面から物事に当たることしか考えていませんでした。獣王様も皆も、そうでした――。だけどそれでは守れないのだと――。陰に潜み、陰から陰へと厄介の種を始末することも平和のためには必要なのだと――」
「辛くない?」
「辛くはありません。むしろ充実しています。ナオは、生活できていますか? 辛いなら帝国に来てもいいのですよ? 許可はもらっています」
「私はいい」
ナオは即答する。
「……そうですか。ナオは今、何をしているのですか?」
サギリさんが質問する。
カメ。
私は心の中で即答したけど、ナオは即答しなかった。
しばらくの間を置いて、ナオは言う。
「冒険者」
と。
「そう――。自由に生きているのですね。東側で?」
「うん」
「大丈夫なのですか? 迫害されていませんか?」
「平気。私は強い」
「……そうですね。ナオもまた、獣王様の血を引いた誇り高き銀狼。不覚を取るはずもありませんか。ランクはいくつなのですか?」
「A」
「頑張っているのですね。安心しました」
ナオ、嘘をついたね……。
見栄を張ったね。
本当は竜の里で引きこもっているカメの子なのに……。
いいんだろうか……。
サギリさんに疑う様子はなかった。
それはそうか。
戦禍で生き別れた血族との、奇跡のような再会だ。
見栄を張られているとは思わないだろう。
「私には仲間もいる。心配ない」
「そうですね。一流の証であるAランクを与えられ、聖女様とも仲が良いのなら、私の心配などは不要ですね」
仲間もだいたいカメだよね。
頼りの聖女様もカメだよね。
「ナオ、お願いをしてもいいでしょうか。これを――」
サギリが何かを差し出す。
「……これは」
受け取ってナオは、手のひらの上でそれを見つめる。
なんだろう……。
小さいものなので、よく見えない。
「Aランクの冒険者であるナオなら渡せるかも知れません。これを――もしも出会えることがあれば、ニナ様に」
「ニナお姉ちゃん様は無事なの!? 生きてるの!?」
ナオが感情を剥き出してサギリさんに迫る。
サギリさんが驚いて瞬きする。
私も驚いた。
ナオが感情を剥き出すことなんて、前世でもなかったから。
「滅びた獣人国の元王女が、海洋都市で暮らしているという噂を聞きました」
「どこの都市!?」
「わかりません。船乗りたちの、ただの噂だったのです。海洋都市の商人で、とてつもない器量良しの獣人奴隷の娘を手に入れて、あまりに気に入ったものだから奴隷から解放して妻にした者がいる、と。その女は、風の魔力を持ち、銀色の髪と尾をなびかせ、まるで精霊のように幻想的に美しいと――」
「――きっと、ニナお姉ちゃん様だ」
「私もそう思いました。そしておそらく現地では存在が知られているはずです。東側沿岸の海洋都市群を巡れば、きっと見つけられるはずです」
「私に?」
「はい。私は大恩あるこの帝国に骨を埋めます。過去に未練があろうとも、受けた御恩を裏切るつもりはありません」
「わかった……。探してみる……」
「どうかお願いします。そして願わくば――。私にはもう、お手伝いすることはできませんが――」
「王者の証は、このナオ・ダ・リムが確かに受け取った」
「今では、ただの欠片ですが――。お願いします、ナオ。貴女になら、安心して託すことができます」
ナオが手に持っていたものを空に掲げる。
それで私も見ることができた。
それは、牙だった。
たった一本の、虎の牙。
その後も2人はいろいろな話をした。
平和で豊かだったド・ミの国が、みるみる内に荒廃して、滅ぼされて、住民たちが殺されて奴隷にされていったこと――。
そこから始まって、お互いが如何に生き延びたか――。
ナオは嘘つきだった。
フラウに助けられてカメの子になったことは話さず――。
瘴気の谷で生き延びて――。
そこから冒険者になったと嘘をついた。
その冒険譚は、私が語ったダンジョンでの出来事が主だった。
加えて、ユイが聖女として頑張ってきた、一般には知られていない、細かな出来事も含まれていた。
私とユイの物語――。
我ながら、それはまさに英雄譚だった。
ここまで露骨な嘘をつくナオなんて、私は前世から知らない。
ナオの話をサギリさんは楽しそうに聞いた。
そして心から言うのだ。
「さすがはナオです。貴女は私達の希望です。私達の誇りです」
と――。
ナオ……。
どんな心境なんだろうか……。
嘘をついたことを非難するつもりはない。
ただ――。
想像するだけで泣ける。
やがて2人の、再会の時間はおわった。
「ナオ、壮健で。もしも辛くなれば、帝国に来るのですよ」
「心配ない。私はすでに一流」
「……そうですね。ナオ、ニナ様を、頼みます」
「任せて」
しばらくの間、視線を交わし。
「では」
と、一礼した後、サギリさんの姿は消えた。
仕事に戻ったのだろう。
「お二人はこちらへ。休憩できる場所を用意してあります」
バルターさんの案内で私たちは個室に入った。
バルターさんは、どこまで何を気づいていたのだろうか。
わからないけど。
この気遣いは、ありがたかった。
私はナオと2人きりになる。
「ナオ、嘘つきだったね」
私は笑った。
ナオはうつむいて言った。
「私、嘘をついた」
「そうだね」
「私、嘘をついてしまった」
「そうだね」
「……わたくし、嘘をついてしまいましたの」
「……そうだね」
それは、エリカのモノマネだったのだろうか。
妙にかしこまった言い方だった。
ナオは1人で静かに泣いていた。
そんな嘘つきのナオを――。
私は、ただ見ていた。




