3 泉のほとりにお姫様がいた
気づいた時、そこは水の中だった。
正確には息も出来ているし違うのかも知れない。
だけどそこはどこまでも広がった透明な世界で、上にも下にも自由に動くことができた。
まわりには色とりどりの光が漂っていて――。
ヒメサマ――。
――ヒメサマウマレタ。
つたない声でそう言いながら私に近づいてくる。
「私?」
ヒメサマ――。
光の球が楽しそうに私の周りで舞う。
なぜだか自然に、私はこの子たちも精霊なのだとわかる。
「ありがとう。生まれたよー」
私は本当に、精霊のクウ・マイヤになったのだろう。
人間だった頃より、手足が細くて可愛い。
体もかなり小さくなった。
流れる髪は青空の色。
とはいえ、VRMMOでずっと動かしてきたもう1人の自分なので違和感はなかった。
心も実に軽やかだ。
「ねえ、ここってどこかな?」
人間の町に落ちるとばかり思っていたけど、ここはどう見ても人間の町ではない。
セイレイカイダヨ――。
サカイメダヨ――。
――ゲートノチカクナノ。
「なるほど。ありがとう。ゲートって、人間の世界への出入り口?」
たずねると一斉にソウダヨと返事がきた。
「ありがとう。どっちかな?」
――アッチ。
――アッチダヨ。
光の球に連れられて行ってみると、他とは違う黒い色彩で揺らめく場所があった。
これがゲートのようだ。
光の差し込む黒い揺らめきに邪悪な雰囲気はない。
水面に景色が映っている感じだ。
夜空かな?
光は人工のものっぽい。
たぶんこれ、人間の世界の、どこかの公園の泉につながっている。
「えっと、飛び込んじゃえばいいのかな?」
――アブナイヨ。
――キケン、キケン。
「う。……でも、ゲートなんだよねえ」
危険と言われると怖い。
とはいえ、いつまでも水の中みたいな世界にいるわけにもいかない。
「みんな、案内ありがとね。私は人間の世界で生きてくるよ」
私は黒い揺らめきに触れて、痛みとかがないことを確かめつつ、まずは腕だけ入れてみた。
すると一気に引き込まれて、体ごと中に入ってしまった。
体が強く浮いた。
ざぱんっ!
弾けた水面から、私の体は空中に放り出された。
石畳に囲まれた泉の上だった。
まわりには、よく手入れされた庭園が広がっている。
あちこちに照明が灯っていて、幻想的だ。
庭園の向こうには白亜の宮殿――としか思えない、西洋風の巨大で立派な建物がそびえている。
ついに来たのだ。
異世界!
感動した次の瞬間、私の体から光が溢れた。
「うわあああぁ!? なにこれぇー!」
しばらくの後……。
ようやく眩しさが収まって、私はあらためて世界に目を向けた。
「あー。これが祝福かぁ……。アシス様、少しじゃないよぉ……」
夜なのに、世界がとても明るかった。
うん。
間違いない。
私から溢れた光たちだ。
世界いっぱいに満ちて、星が降りてきたみたいに輝いている。
そんな中、私は1人の女の子と目が合う。
私の足元、泉のほとりで、仕立てのよい長袖の服を着た女の子が尻餅をついて私を見上げていた。
その女の子の全身は、至近距離で大量に光を浴びたせいか――というかそうに決まっているけど、私と同じくらいに輝いている。
「えっと……。ごめんね、いきなり……。大丈夫だった?」
私は地面に降りて女の子に目線を合わせた。
10歳くらいかな?
金髪碧眼の可愛らしい女の子だった。
「私はクウ。見ての通り――。かはわからないけど、精霊だよ」
「あの、わたくし……」
「よろしくね」
「は、はい……」
私を見つめながら、女の子は硬直している。
かなり驚かせてしまったようだ。
「ごめんね、本当にいきなりで」
申し訳ない。
しばらくすると女の子は、ふいに何かに気づいたような顔で、私から自分の両手へと視線を移した。
心底驚いた様子で女の子の目が見開く。
そしてなぜか、いきなり、ボタンを外して長袖の服を脱ぎ始めた。
「えっと……。どうしたの……?」
たずねても返事はない。
自分のことに夢中のようだった。
女の子は半袖のシャツ姿になると、ますます驚愕の表情を浮かべて自分の腕をさすって、さらにはシャツをめくってお腹を確認する。
「ご、ごめんね!? びっくりした!? したよね! 錯乱するのはわかるけど服を脱ぐのは問題があるようなっ!」
「あの、わたくし……。呪われていて、体に黒い痣が巻き付いていて……」
「うん?」
「でも、体が軽くて……。すごく気持ちよくて……。腕にもお腹にも、どこにも痣がなくて……」
女の子の目から、大粒の涙が落ちていく。
どうやらこの子は、かなり不幸な状態にあったようだ。
それが治った、と。
だって彼女の肌はつるつるのすべすべだ。
「たぶん、女神様の祝福の効果かな。ごめんね。あ、おめでとうかな? とにかく治ってよかったね」
「はい、ありがとう─。ありがとうございます、精霊さま!」
私はとりあえず女の子の横に座った。
「顔、涙ですごいよ。ハンカチとかは持ってる?」
「すみませんっ! はい、ありますっ!」
女の子はハンカチで涙を拭う。
暖かい夜ではあるけど、私は彼女が着ていた服をかけてあげた。
「私はクウ。貴女は?」
「はいっ! わたくしはセラフィーヌと申しますっ! どうぞセラとお呼びください精霊さま!」
「精霊さまはいいよー。クウって呼んで。それが私の名前だよ」
「クウさま?」
「さまはいらないよー」
「では、あの、クウちゃん。……どうでしょうか?」
年下の子にちゃん付けで呼ばれてしまった。
とはいえ、見た目的には、今や私は同年代なのか。
「うん。いいよー。よろしくね、セラ。ねえ、それでさ、少し質問してもいいかな?」
「はい。なんでしょうか?」
「ここってどこかな?」
「どことおっしゃいますと……」
「国の名前とか、場所の名前とか」
「はい、ここはバスティール帝国の帝都ファナス、その中にあるセリエアス大宮殿の奥庭園――願いの泉のほとりです」
「大宮殿……。すごい場所なんだねえ。ということは、セラは?」
「セラフィーヌ様――。そちらの御方は――?」
うしろから声が聞こえた。
振り向くと、離れたベンチの前で立ちすくむ若いメイドさんの姿があった。
「姫ー! 姫様ー! ご無事ですかー!」
さらに大宮殿の方から男の人の大きな声が聞こえた。
「グラバム騎士団長! こちらです! セラフィーヌ様はこちらです!」
メイドさんが叫ぶ。
これは騒ぎになりそうだ。
「私、そろそろ行くね。面倒なことになるのも嫌だし」
「どちらに行かれるのですか?」
「街かな。私、しばらくここで――帝都ファナスだっけ。ここで暮らすつもりだからよろしくね」
「はい。こちらこそ。あの、それでしたらわたくし、お手伝いを――」
「ありがとう。気持ちだけもらっておくよ。まずはせっかくだし自力でやってみるね」
「何をされるのですか?」
「そうだなぁ……」
どうしようか。
今の私はクウ。
クウと同じようにやってみるのがいいよね。
と、すれば……。
「冒険者! 私、冒険者になってみるよ!」
ゲームの世界で、クウは一流の冒険者だった。
冒険者ギルドで依頼を受けて、たくさんの仕事をこなしてきた。
初めての仕事も冒険者としてだった。
きっと私にもやれるはずだ。
この世界に冒険者という職業があればだけど。
さあ、のんびりしている暇はない。
急がないと大勢の人が来てしまう。
私は、VRMMOと同じ感覚で『浮遊』の能力を発動した。
すると私の体は簡単に浮き上がった。
移動も自由にできそうだ。
「いきなりの祝福ごめんね。害はないはずだから、そう伝えておいて」
「クウちゃん! わたくしとお友だちに! お友だちになってくださいっ!」
「うん! ありがとう、セラ! よろしくねっ!」
私は夜空へと舞って、大宮殿の敷地から離れた。