282 閑話・マリエは木になりたい
どうしてこんなことになっているのでしょう。
私は今、大宮殿の豪華な部屋にいます。
一緒にいるのはアリーシャ殿下とセラフィーヌ殿下です。
2人は押し黙ったまま、紅茶を飲んでいます。
私はマリエ。
肩書だけは貴族ですが、ただの平凡な映像屋の娘です。
いえ、平凡どころか零細です。
吹けば飛ぶような家の子です。
なので今日も、朝からお店のお手伝いをしていたのですが……。
いきなり現れた両殿下に連行されて、大宮殿に来ました。
お父さんは、今日は「木」になりました……。
頼りになりません……。
死んだ振りよりは、マシなのでしょうか。
わかりません。
しばらくするとドアが開きました。
現れたのは、帝国を代表する大貴族のご令嬢、ディレーナ様です。
挨拶をして席に着かれます。
その後でアリーシャ殿下が言いました。
「急に呼び出して申し訳ありませんね、ディレーナ」
「いいえ、お気になさらず」
「貴女が帝都に居てくれてよかったわ」
「夏休みには、殿下とのお茶会の約束がありますもの。反故にされたわけではありませんでしょう?」
「無論です。本日はその件で呼ばせていただきました」
「話は伺っております。面白いことになりましたわね」
「――ええ。本当に」
私はドキドキしながら2人の会話を聞いていました。
仲直りしたとはいえ、2人は幼い頃から犬猿の仲だったと言います。
ほんのわずかな会話のズレで、再び亀裂が入ってもおかしくありません。
そうなったら私、どうすればいいんでしょう。
お父さんの真似をして、死んだふりをするか、「木」になるしかありません。
万が一のために、準備しておかねば……。
私は木……。
私はすでに死んでいる……。
「クウちゃんが言うには、相手は最初からわたくしたちを下に見るつもりです。もちろんそのようなことはさせませんが――」
「わたくし、追加で参加する者の名しか聞いておりませんでしたが――。そのように攻撃的なのですね、相手は。しかし、わたくしとしては、いささか――」
ディレーナ様がどうしてか言葉を濁します。
お茶会に追加の参加者があるのですね。
私、ここまで来ているのに、何も話を聞かされていません。
始めて知りました。
そして、その方は攻撃的だと。
帝国を代表するお二人を相手に、攻撃的になれる方がいるのでしょうか。
ちょっと考えつかないです。
「貴女の懸念はわかります。相手がかのリゼス聖国の聖女では、さすがに分が悪いと言わざるを得ません」
「え、あの……。ユイさんが攻撃的、なんですか?」
思わず私はたずねました。
ユイさんとは竜の里で一緒だったので、それなりに知っています。
ユイさんは、おっとりとしていて優しくて――。
正装すれば神々しくて……。
攻撃的な人では決してありませんでした。
普段はカメでしたけど……。
「マリエ。貴女は、聖女ユイリア・オル・ノルンメストを愛称で呼ぶような親しい間柄なのですか?」
「あ……。いえ! そんなことは! ありませんけれど……」
あぶない!
あぶないよ、私!
ユイさんのことは絶対に秘密です。
漏らせば呪いがかかります。
私、死にます。
はっ!
いけませんっ!
私はすでに死んでいて木だったのを忘れていました。
木に戻ろう、私……。
死んでいる木なら、枯れ木でしょうか……。
え。
私、まだ11歳なのに枯れ木!?
そんなの悲しすぎますよいくら私でもっ!
はっ!
いけないいけない!
無にならねば……。
クウちゃんとも、ユイさんとも、古代竜様とも約束したんです。
ユイさんには、信じてるね、と言われたんです!
秘密をもらすことは絶対にできません……。
「ならば呼び方には気をつけなさい。少なくとも、面識もないのにユイさんなどと呼ぶべき相手ではありません」
「はいっ! 申し訳ありませんでしたぁぁぁ!」
私は立ち上がって全力で頭を下げた。
そんな私を座らせてから、アリーシャ殿下は話を続けた。
「相手が聖女なら最悪でしたが、幸いにも違います。わたくしたちの相手は、王国の薔薇姫エリカ・ライゼス・ジルドリアですわ」
「……正直、安心しましたわ」
ディレーナ様が感情を隠さずに安堵の息をつきました。
ユイさんは、それほどの存在なのですね。
私的には優しいカメの人ですが。
「それにしても、聖女様は天に昇ったと聞いていましたのに――」
「クウちゃんが天から連れてくるそうですわよ」
アリーシャ殿下は楽しげに笑って、さらに話を続けます。
「あとの参加者もクウちゃんが誘ったようですわね。お父様がクウちゃんから聞いたところによれば、お茶会のメンバーを増やしたことに深い理由はなくて、みんなで仲良く楽しんでほしいというだけのようですわ」
「……クウちゃんが誘えば、誰でも来てしまうのですね」
ディレーナ様がため息をつきます。
「少なくとも偽物が来ることはないでしょう」
「ええ。それはわかりますわ」
「帝国の威信がかかっています。帝国を代表する公爵家の令嬢として、貴女にも協力していただきますわよ、ディレーナ・フォン・アロド」
「はい。もちろんです。帝国の為、微力を尽くしますわ」
クウちゃんは、本当に不思議な存在です。
一体、何者なんでしょうか。
皇女様たちと親しくて、聖女様にはぶっちゃけ上から目線で、普通では到底不可能なことを普通にこなして。
古代竜の人たちですらクウちゃんには敬意を払っていました。
精霊様……。
ということのようですけど……。
うん。
みんなの態度を見るに、そうなんだろうけど……。
私にはいまいち、実感がないです。
クウちゃんは舞踏会の夜に出会った友達――。
今でもそんな認識です。
ものすごく、本当にものすごく、振り回されているけどね……!
あーもう!
私の平和な日常を返してよ、クウちゃん!
私が心の中で憤っていると、セラフィーヌ殿下と目が合いました。
しまったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!
私は慌てて視線をそらします。
私は木です……。
もう枯れ木でいいのでそっとしておいてください……。
でも実は、私は気づいていました。
そう。
ずっと――。
ずっと私は、セラフィーヌ殿下に睨まれていたのです!
それをずっと気づかないフリをしていたのに!
このまま逃げるつもりだったのに!
うっかり目を合せてしまいました!
どどどど……。
どうしましょうか……。
私の枯れ木への擬態は、どうも通じていません。
で、でも……。
続けるしか……。
そうだ!
アレだ!
ここはもう、お母様直伝の空気の奥義に賭けるしかない!
微笑をたたえ、背筋を伸ばし、呼吸を穏やかに。
退屈そうな顔をすることなく、決して動かない。
これぞ空気の奥義!
幾多の貴族パーティーでお母様が生き延びてきた、必殺の技!
さあ、私は気配を消します。
セラフィーヌ殿下、どうか私のことは忘れてください……。
「お姉さま、ディレーナ様、申し訳有りませんが、少しだけわたくしにもお時間をいただいてよろしいでしょうか?」
「ええ。どうしたの、セラフィーヌ」
「ありがとうございます」
よかった。
セラフィーヌ殿下には話したいことがあるみたいだ。
どうぞ私のことは忘れて存分に議論してください!
と思ったら。
「マリエさん」
「は、はい?」
セラフィーヌ殿下に名前を呼ばれました……。
「貴女、クウちゃんとは随分と親しいようですね?」
「は、はい……。それなりには……」
「わたくしの大親友であるクウちゃんとは、わたくしのデビューパーティーで知り合ったのですよね?」
「は、はい……。そうです……」
「それだけですか?」
「と、言われますと……」
「それだけにしては親しすぎるようですが。他にも親しくしているのですか?」
「はい、まあ。仕事をもらったりとかしたので」
「どんな仕事ですか?」
「あ。それは、あの――」
しまったぁぁぁぁぁぁ!
何を言っているの私ぃぃぃぃぃぃぃ!
仕事のことは秘密なのにぃぃぃぃぃ!
困った。
どうしよう……。
「どうして黙るのですか? まさか、わたくしに言えないことですか? わたくしはこう見えてクウちゃんのいいところは100個言えるのです。100個ですよ? そのわたくしに秘密にするのですか?」
「すいません一個も言えなくてすいません許して下さい!」
「許す? わたくしは聞いているだけです」
ひぃぃぃぃぃ!
もうダメです。
お父さん、助けてお父さん!
はっ!
そうだ。
枯れ木が駄目なら、若木になろう。
起死回生の一手です!
なりました。
瑞々しく!
するとセラフィーヌ様が眉を吊り上げて言いました。
「わたくしをバカにしているのですか?」
通じませんでしたぁぁぁ!
我が家の奥義、全滅ですぅぅぅぅ!
もういい。
ヤケです。
私は直立して叫びました。
「申し訳有りません! 仕事の内容は秘密です! クウちゃんとも約束したので絶対に口外はできません!」
おわった。
私、おわったかも知れません。
皇女殿下に生意気な口を利いてしまいました……。
ああ……。
ごめんなさい、お父さん、お母さん……。
「……そうですね。申し訳ありませんでした」
でも奇跡が起きました。
セラフィーヌ殿下が納得してくれたのです。
「では、クウちゃんのいいところの言い合いで勝負です。勝った方が、クウちゃんの一番の親友です。いいですね!?」
「え。あの……」
「セラフィーヌ、もういいでしょう。わたくしたちはクウちゃんのことを話すために2人を呼んだわけではないのですよ」
「……そうでした。すいません」
助かりました……。
アリーシャ殿下が、話を元に戻してくれました。
セラフィーヌ殿下からは、この勝負はまた後日ですと言われましたけど、聞かなかったことにします……。
なぜなら私は木なので、人間の言葉はわからないのです……。
話し合いは昼食を挟んで午後まで行われました。
私は疲れきりました。
それどころか灰になりました。
帰ったら、お父さんの胃薬がほしいです。




