269 閑話・皇女アリーシャの初陣
ダンジョンのボスという身の丈3メートルはあるスケルトンの魔物を倒した瞬間、稲妻を受けたような衝撃が体に走って、わたくしはへたりこみました。
「アリーシャお姉さま、大丈夫ですか?」
「ええ……。平気ですわ……」
クウちゃんに心配されて強気で答えるものの、体は動きません。
完全に脱力してしまっています。
かろうじて昏倒せずには済んでいるものの、とても立ち上がるのは無理です。
なのに――。
なんでしょうか。
この感覚は。
体が疲れて動かないのに、力が漲るのです。
本当に――。
体は動かないというのに、今ならさっきよりも、より苛烈に、より素早く、先程の魔物を倒せる自信が持てます。
「ヒール」
クウちゃんが回復の魔術をかけてくれます。
白い光の力です。
クウちゃんは、聖女以外に使える者はいないとされてきた力でさえ、息をするように簡単に使います。
「……お姉さま、どうですか?」
「駄目ですわね……。動きません……」
ただ、残念ながら脱力感は取れませんでした。
「今、どんな感じなのか、詳しく教えてもらえますか? 脱力していますか? 内側から力が漲っていますか?」
「はい……。そう……ですわね……」
わたくしは聞かれるまま、今の状態を伝えました。
ほぼクウちゃんが確認してきた通りです。
「うーん。これはアレだねえ」
クウちゃんにはわたくしの現状に心当たりがあるようです。
「教えて……いただけるかしら……。わたくし、どうなってしまったのかしら……」
「たぶん、レベルが上がったんですよ」
「レベル……ですか?」
「はい。今のアリーシャお姉さま、私が知っている状態と同じなので。一気にレベルが上がると体がついてこれずに、しばらく動けなくなるんですよ」
「治るの……ですよね?」
「平気ですよー。動くようになれば、たぶん、びっくりしますよ。ものすごく強くなっているはずですから。んー。でもあれかぁ。この世界にもレベルとか経験値ってあるのかなぁこの感じだと。これって絶対、パワーレベリングの制限ペナルティだよねえ。症状もまるで同じだし……」
クウちゃんの言葉の意味を完全に理解することはできませんが、回復はできるようでわたくしはほっとしました。
しかも、一気に強くなったようです。
体の内から漲る力は、錯覚などではないようです。
それにしても……。
わたくし、魔物を倒したのですね……。
ほとんどクウちゃんの力のようなものですが……。
それでも生まれて初めて、魔物を倒したのです。
目の前には、大きな魔石と、いくつかの魔道具が転がっています。
わたくしがダンジョンで、魔物を倒してドロップさせたものです。
ダンジョンのことは、学院の授業で習います。
高学年になれば、実際にダンジョンに入って研修もあるそうです。
とはいえ、ここまで来ることはないでしょう。
クウちゃんが言うには、先程、わたくしが戦って倒したのは、このダンジョンのボスということでしたし。
わたくし、いきなり初陣でボスを倒したのですね……。
ゆっくりと実感が湧いてきます。
それは大きな高揚です。
ある意味、体が動かなくてよかったです。
体が自由であれば、柄にもなく飛び跳ねて喜んでしまったかも知れません。
「ドロップ品はいったん預かりますねー。あと、お姉さま、できれば……。レベルアップのことは秘密にしといてもらえますか? こんな簡単に強くなれるって広まると、めんどくさいことになりそうだし」
「……わかりましたわ。約束します」
「ありがとうございますっ! 助かりますっ!」
秘密というのは、今更でしょうが。
クウちゃんのことは、そもそも、なにもかもが秘密なのですから。
「あ、でも、セラたちにはやっちゃうと思うので、メイヴィスさんたちには言っちゃっていいですよー。あとでバレると怒られるので陛下とかにも」
それだとわたくしの世界的には、ほぼ秘密にはなりませんわね。
なにしろ他に親しい相手もおりませんし。
「メイヴィスやブレンダが知れば連れて行けとゴネますわよ」
「んー。その時にはセラたちと合同でやりますかー。でも、ホントに秘密でお願いしますよめんどいし」
「わかっていますわ。約束は守ります。とはいえダンジョンでの訓練は、騎士団でも定期的に行われておりますから新しい発見ではありませんわよ。もちろん、ボスを相手に無傷で安全にとはいきませんが」
「そうなんですかー。それならよかったです。じゃあ、陛下の許可さえあれば、普通に遊びに来れますねー」
ダンジョンのボスを遊びで倒そうというのは、世界広しと言えども、クウちゃんくらいしかいないでしょう。
いずれにせよ、クウちゃんはいつでも無防備です。
わたくしたちがしっかりと秘密は守っていかなくてはなりません。
これまでは幸いにも――。
まるで女神様の加護があるかのように――。
クウちゃんが出会う人々は、皆、善良でしたが――。
これからもそうとは限りませんし。
「じゃあ、外に出ますか。今日はもう、お姉さまはお休みですしね」
「ええ。そうね」
本当に充実した一時でした。
脱力感が抜けた後、自分の体がどのように動くのかが楽しみです。
「えっと……」
「どうしたの、クウちゃん?」
「おんぶとお姫様抱っこ。どっちがいいですか?」
「そうね――。お姫様抱っこでお願いしますわ」
「はい」
小柄なクウちゃんが、年上のわたくしを軽々と抱き上げます。
「離脱」
視野が反転して、次の瞬間には外にいました。
森の中の広場です。
ダンジョンの出入り口でしょう。
広場は騒然としていました。
負傷したたくさんの冒険者が寝かされて、治療を受けています。
「これ、どうしたんですか?」
クウちゃんが衛兵にたずねます。
「――ダンジョン内に魔物の異常発生が起きたのだ。って、君たちは一体どこから、え、来たんだいつの間に!?」
「あはは。まあ、そこは気にしなくていいので」
「いや待て!」
「極秘の任務です」
クウちゃんが帝国の紋章が刻まれたペンダントを衛兵に見せます。
「ッ! これは――。失礼いたしました!」
クウちゃんはわたくしを抱いたまま、一旦、広場の隅に移動します。
「陛下にもらったペンダント、有効に使わせてもらっています」
「お役に立っているようで何よりですわ」
木陰に入ると、クウちゃんは手を掲げて光の魔術を使いました。
「エリアヒール」
癒やしの光が広場に広がります。
一拍を置いて、負傷していた冒険者が次々と身を起こします。
皆、全快したようです。
「いったん帝都に戻りますね。お姉さまを送ったら、ささっと異常発生とやらは解決してくるので問題なしです」
その後の体験も忘れ難いものとなりました。
なにしろ空を飛んだのです。
空を飛んでわたくしは、帝都の大宮殿にまで戻りました。
大宮殿ではメイドに預けられて、ベッドに寝ます。
クウちゃんと一緒だったとはいえ勝手にダンジョンに行ったことには、お父様とお母様に叱られました。
わたくしの症状がダンジョン内で一気に経験を積んだ時の反動であることは、お父様には理解していただけました。
ダンジョン研修に挑んだ騎士団の新人にも極稀に起こるそうです。
何をしてきたのかと呆れられましたが。
ふわふわ工房に残してきたわたくしの専属メイドであるセシリーにも、とても心配させてしまいました。
しっかりと謝っておきました。
クウちゃんの活躍を知ったのは次の日の夜です。
クウちゃんはお父様に報告したようです。
「アリーシャ。クウだがな、マーレ古墳に異常発生した魔物を一掃したそうだぞ。おまえに伝えてほしいとのことだったので伝えておく」
夜にはすっかり、わたくしの体は全快していました。
クウちゃんの言った通り――。
昨日までの自分とは別人のように強くなっているのがわかります。
これがレベルアップというものなのでしょう。
「お姉さま、クウちゃんと何かあったのですか?」
セラフィーヌがキョトンとした顔で聞いてきます。
今日もセラフィーヌは旅で遅れた分を取り戻すべく朝から夕まで授業でした。
クウちゃんと会うことはできなかったようね。
「ええ。昨日、クウちゃんと2人でダンジョンに行ってきたのよ」
「えええええ!? わたくし! わたくし、聞いていませんけれどもー! お姉さまだけズルいです! ズルすぎです!」
「セラフィーヌ、くれぐれも言っておくが――。いくらクウと一緒でも無断でダンジョンに行くのは許可しないからな。ダンジョンは危険な場所なのだ。皆が命懸けで挑んでいる場所なのだ。遊び半分で子供が行く場所ではない」
「そんなー」
あらあら。
お父様が釘を刺してしまわれました。
お母様も同意しています。
セラフィーヌがレベルアップするのは、しばらく先になりそうですわね。
当分は姉として、優越させていただきましょう。




