253 カメ様、現る。
満月に照らされた夜の海の中から、幾筋もの青い光が半円状に伸びる。
私たちは砂浜に並んで立ち、カメ様を出迎えていた。
南の海を守る、偉大な魔物。
どんな存在なんだろうか。
やっぱり、大きなカメなんだろうか。
ランウエルの砂浜には、カメが産卵に来るとも言うし。
「いいかおまえら! 最初の挨拶は俺だからな! 俺が領主だ!」
さっきからキアードくんはこればかりだ。
「わかってるてばー。何度もうるさいー」
まったく。
少しは雰囲気を大切にしてほしいものだ。
ゆっくりと現れるカメ様は、晴れた満月の夜と合わせて、本当に幻想的だ。
少しずつ。
少しずつ。
青い光が広がっていく。
まるで朝日のように。
海の中から次第に光が伸びて、半円から、球状へと。
そう――。
海面に浮かび上がったカメ様は、球状のお姿だった。
青く輝く無数の針が動く度、距離は近くなってくる。
大きい。
カメ様は、かなりの巨体だ。
そう――。
放射状に広がる青い光は、輝く針。
それが無数についている。
そう――。
私は、喉から出かかっている二文字を必死に飲み込んでいた。
だって、うん。
私はやらかしたばかりだ。
なので、私の口から「それ」をいうのは憚られる。
誰かが言ってくれれば――。
全力で追随して、うなずくところなんだけども。
セラもアンジェも何も言わない。
……アンジェ、ツッコんでもいいんだよ?
私たちの中ではツッコミ役な気がするアンジェに心の中で促す。
だけど返事はなかった。
やがて、球状に広がった青く輝く針を動かしながら、巨大なカメ様が波打ち際にまでその距離を近づけた。
キアードくんのお父さんが描いた絵は、だいたいにおいて真実を写していた。
青い線を放射状に、なんか乱雑に描いてあるだけの、どこの前衛芸術だよって感じの絵だったけれど。
それはまさに、それに近かった。
実際には、乱雑さはなく、美しいほどに整った球状だけれども。
それは閃光でも輝きでも、ましてやカメでもない。
たった二文字。
その二文字さえ誰かが口にしてくれれば、表現は完成する。
お願い!
誰か!
誰か言ってよぉぉぉぉぉ!
この罪人の私に代わって、カメ様を的確に表現してあげてぇぇぇぇ!
そんな私の思いとは裏腹に――。
砂浜には青い光が広がり、周囲は荘厳な空気に包まれる。
「おまえがカメ様か! 初めましてだな! 俺はキアード! この土地の領主だ!」
キアードくんの呼びかけに、反応はなかった。
フラウが口を開く。
「南の海の主よ。来訪、大儀である」
……アリガトウ。
どこからか、そう声が聞こえた。
男とも、女とも、老人とも、子供ともつかない。
不思議な声質だ。
……アリガトウ。
頭の中に直接響いてくるような声だった。
……アリガトウ。
それは、感謝だ。
タコの魔物を倒したことに対する――だろう。
……アリガトウ。
ぼんやりとその言葉を聞き続ける私に、ゼノが促す。
「クウ、言葉を」
え。
言っていいの?
私が?
その二文字を?
一瞬、反射的に言いかけた私だけど、すぐに気づいた。
ちがう。
求められているのは、それじゃない。
「どういたしまして」
私は笑顔で応えた。
偉そうなのはガラじゃないし、これでいいよね。
……アリガトウ。
波打ち際で輝く、巨大な青い球体の前に――。
何かが浮かび上がった。
それはゆっくりと降下し、砂浜に落ちた。
……アリガトウ。
最後に再びそう言って――。
カメ様が海へと帰っていく。
青く輝く球体の姿が、遠ざかっていく。
やがて、その姿は、日が暮れるように海の中へと消えていき――。
夜空には――。
満月の輝きだけが戻った。
「これは――。魔石か――」
カメ様の残していったものを、近づいたキアードくんがしゃがんで見つめる。
それは両手で抱えるほどの、2つの青い魔石だった。
「……おいカメの子、絶対にすごいもんだぞ、これ」
「超高品質の水の魔石なのであるな。これひとつで、100年はひとつの町の水源となる程なのである」
魔石は私とキアードくんで1つずつもらった。
私が持っていても宝の持ち腐れになりそうなので両方あげてもよかったけど、それはキアードくんに断られた。
嬉々としてもらうイメージがあったけど、意外に律儀だった。
「……あれが、カメ様なんですね」
セラがぼんやりとつぶやく。
「魔物って聞いていたけど……。なんだか精霊様の御使いみたいだったわね……」
アンジェも夢見心地のようだ。
「はい……。わたくしも、そう感じました……」
「某の霊視眼で見るところ、カメ様というのは強い水の力を有する――。自然と共に在るモノ――。海の妖精の長なのですね」
「わたしね、思った。魔物も、全部が悪い存在じゃないんだね」
「うむ。エミリーよ、その通りである」
「みんな、いい経験になったみたいだねー。魔物とニンゲンが少しでもわかりあえたのならボクも嬉しいよ」
みんな、それぞれに思うところはあったようだ。
キアードくんは静かに泣いていた。
父親の描いた絵が、やはり真実だったと喜んで。
みんな……。
思わなかったのだろうか。
結局。
誰も。
その二文字を、最後まで口にはしなかった。
いや。
うん。
みんなが言わないなら、私にも言えないけど……。
せめて心の中で、私は叫ぼう。
ウニだよね!?
ウニだったよね!?
ウニ!
どこから!
どうみても!




