236 閑話・皇太子カイストの夏の一時
夏の午後。
俺は奥庭園の東屋で、父上から回された報告書に目を通していた。
俺は、カイスト・エルド・グレイア・バスティール。
この帝国の皇太子という立場にある。
とはいえ、現在はまだ学生であり、政務にはそれほど携わっていない。
父上から報告書を回されるのは珍しいことだった。
報告書の内容は2つ。
妹セラフィーヌの旅先での活躍ぶりと、他国に赴いていたという自称かしこい精霊さんの活躍ぶりだ。
……なるほど、遊びの内容か。
もっと国家の大事に関わることかと思っただけに、正直、落胆した。
面白いから読んでみろ、ということなのだろう。
そんな感じに意欲もなく読み始めた俺だったが、最初の項目で思わず笑いかけて表情を引き締める必要にかられた。
まわりにはメイドたちの目がある。
皇太子たる者、緩んだ姿を見せるわけにはいかない。
しかし、最初の項目からこれだ。
第一夜、セラフィーヌ殿下、妖精と遭遇。
初日から何をやっているのか。
妖精と言えば、精霊と共にこの世界から消えた伝説の存在だ。
旅の初日に会う存在ではない。
会うとしても、長い旅の末であるべきだろうに。
そもそも実在していたのか。
第一夜であるなら、帝都からそれほど離れた場所ではないはずだ。
調査の必要が――。
いや、調査してよいものか、まずはクウの意見を聞くべきだろうか。
クウに意見を聞く――。
そのこと自体に抵抗を感じる俺は、やはり未熟者か。
あいつは敬意を持って接しねばならぬ存在。
なにしろ精霊なのだ。
わかっている。
わかってはいるが、どうしてもあいつには丁寧に接することができない。
それはそもそも、あいつの馴れ馴れしい態度のせいだ。
そう。
あいつが態度を変えれば俺も変えるのだ。
俺は悪くない。
俺は次の報告を読む。
第二夜、セラフィーヌ殿下、剣で活躍。
セラフィーヌが剣の練習を始めたことは知っている。
だが、まだ始めたばかりだ。
報告書には、宿場町で狼藉を働いていた警備兵たちに怒ったセラフィーヌが大立ち回りの末に警備兵たちを単身で制圧したとある。
いくらなんでも虚報だろう――。
そう思ったところで、俺はクウの強化魔法を思い出す。
学院祭の時、俺もかけられたことがある。
おそらく、あの力を借りたのだろう。
それならば可能だと思える。
しかし、あの穏やかで物静かで心優しいセラフィーヌが、剣を手に持ち、兵士たちに立ち向かうなど――。
半年前には考えられなかったことだ。
このままではセラフィーヌまでもが狂犬になってしまうのではないか。
そんな心配が胸をよぎる。
そう。
この帝国を代表する、皇帝派閥における未成年の淑女――。
第一皇女アリーシャ。
公爵令嬢メイヴィス。
辺境伯令嬢ブレンダ。
3人が陰で「狂犬」と呼ばれていることを俺は知っている。
なにしろ喧嘩っ早い。
常に帯剣していて、すぐに剣で白黒をつけたがる。
……アリーシャはまだマシだが、特にメイヴィスとブレンダの2人が。
ああ、そうだ。
最近ではクウの指導を受けて、
恐るべき速度で成長し、
ますますその傾向を強くしているのだったな……。
ブレンダの兄でありメイヴィスの婚約者であるウェイスがこぼしていた。
もはや正面からぶつかっては、ブレンダにもメイヴィスにも勝てないと。
今度、クウちゃん師匠を紹介してくれと。
『かくなる上は、俺もクウちゃん師匠に弟子入りして指導を受けねば、兄として夫としてのメンツが立たん!』
と……。
いや待て、次の辺境伯が年下の娘に弟子入りしてどうする!?
と、さすがに止めたが……。
まあ、理解はしている。
クウに野心はない。
それだけは確かだ。
あいつは本気で、何も考えていない。
ディレーナも含めて次から次へと帝国の次世代を影響下に置いていることなど、気にもしていないことは確実だ。
だから、まあ、どうしてもというなら弟子入りは認めるつもりだが……。
俺は次の報告を読む。
第三夜、セラフィーヌ殿下、メイヴィス嬢と一騎打ち。
アーレではローゼント公爵――祖父殿の主催による晩餐会が開かれたはずだ。
晩餐会の余興で、未成年の少女と少女が戦う?
有り得ない話だ。
有り得ない話すぎて笑いすらこぼれる。
一騎打ちは、見る者を魅了するほどの高速の剣撃を繰り広げた末、メイヴィスの勝利でおわったという。
セラフィーヌたちは、その翌日、古代竜フラウニールに担がれ、姿を消し、南の海へと旅立っていったそうだ。
ランウエル一帯を治めるサウス辺境伯には、すでに連絡は届いているはずだ。
あくまでお忍びの旅なので、歓迎無用と伝えられているはずだ。
何もなければ、関わることはあるまい。
何もなければ……。
俺には不思議な確信があった。
何もないはずはない、と。
セラフィーヌを見守る精鋭獣人部隊も、すでに派遣されているという。
精鋭獣人部隊は、大陸東部からの難民で主に構成された部隊だ。
彼らは、同じく大陸東部から逃げてきた同族たちへの生活保護と引き換えに、帝国への忠誠を誓っている。
今までに裏切り者が出たことはない。
魔道具『女神の瞳』による鑑定にも問題はなく、信頼して使うことのできる者達だと俺も評価している。
果たして南の海で、セラフィーヌは何をしているのか――。
それは旅の後、セラフィーヌの口から直接、聞くことになるだろう。
どれだけ精鋭獣人が瞬足でも、魔法で帰還するセラフィーヌ達には遅れる。
話を聞くのは楽しみでもあるが、怖い気もする。
次に俺はクウに関する報告を読んだ。
クウは――。
リゼス聖国では聖女ユイリアと交流を持ち――。
ジルドリア王国では薔薇姫エリカと並んで民の前に立ち、薔薇姫の口からクウとの親友宣言が出たという。
その際、天から精霊の祝福が降りたという。
薔薇姫に至っては、なんと近日中に帝国を訪れるという。
信じられない話だが――。
事実なのだろう。
しかし、親友宣言とは。
セラフィーヌが知ったら、どんな反応をするのか。
考えるだけで疲れそうだ。
……いや、俺には関係のない話か。
ふふっ……。
はははっ!
セラフィーヌと薔薇姫に腕を引っ張られて困惑するクウの姿を想像したら、思わず笑いがこぼれてしまった。
これは面白いことになりそうだ。
俺に関係ないということだけで、実に心が軽い。
楽しみにしておこう。




