225 アーレからの旅立ちの朝
「では、馬はお預かりします。よい旅を」
「ありがとー」
アーレの町を出て少し離れた道端で、馬を馬車から外す。
何も聞くことなく、ローゼント家の執事さんは馬を連れてアーレの町に戻った。
さすがだ。
私たちはその姿を見送る。
ここまでありがとうね、馬くん。
元気でねー!
「……ねえ、クウ。
クウのことだから平気だとは思うけど……。
馬を外して、馬車だけ残して……。
どうやって旅をするの?
というか、私たちってどこに行くの?
海とは手紙に書いてあったけど」
アンジェにはまだ、具体的なことを何も話していなかった。
なので疑問に思うのは当然だろう。
パーティーの後、アンジェは家に帰ったので、ゆっくり話す時間もなかったし。
ランウエル海岸。
それがこの夏の私たちの旅の目的地だ。
場所は、帝国の南端。
多分、楽園のようなリゾート地だ。
「……多分、なんだ?」
「うん。噂でしか知らないし。詳しく調べてもいないから」
「そこは調べておいたほうが……」
「だって、あんまりわかっちゃうと面白くないよね? なにがあるのかわからないのが素敵で最高なんだから」
「宿は?」
「そこも行き当たりばったり。あ、でも、キャンプは道具あるし、最悪、暖かい場所ならどうとでもなるよね」
「私、キャンプなんてしたことないんだけど……」
アンジェが不安な顔をする。
「平気平気。アーレに来る途中でもテント泊したけど問題なかったよ」
「うんっ! 楽しかった!」
エミリーちゃんが全力でうなずく。
「でも南方って、中央と比べると治安よくないのよね……?」
「へーきへーきっ! あっはっはー」
「そうですよ、アンジェちゃん。なんといってもクウちゃんは、帝国一、大陸一、世界一なんです。そこに大精霊のゼノちゃんと賢者のヒオリ先生と古代竜のフラウちゃんが加わるんだから危険なんてあり得ません」
「ま、それはそうか」
セラの言葉はオーバーすぎるけど、アンジェは納得したみたいだ。
「って。え? 古代竜ってなに? フラウって、あの小さい獣人の子よね?」
そう言えば、まだ説明してなかったっけ。
「おーい。食べるよー」
草むらに広げたシートの上からゼノが手を振ってきた。
シートには、ローゼントさんが持たせてくれた肉や果物が山とある。
これから朝食なのだ。
ヒオリさんとフラウも今や遅しと私たちが来るのを待っている。
「まあ、あとでまとめて説明するよ。とりあえず食べよっか。私たち、実は起きてからまだ何も食べてなくって」
「りょーかい。私は食べてきたから飲み物だけもらおうかな」
パンをぱくぱく。
果実をもぐもぐ。
シルエラさんが注いでくれた紅茶を、ごくごく。
ふぅ。
清涼感のある若々しい味が、実に朝の空気に合っていて美味しい。
さすがはシルエラさんだソツがない。
「あ、そうだ、クウ」
「なに?」
食べつつ、アンジェがバッグから革袋を取り出した。
じゃらり。
と、お金の音がする。
「これ、旅の代金なんだけどクウに渡せばいい? 使いやすいようにっておじいちゃんが銀貨で用意してくれたから少し重いけど」
アンジェがそう言うと、セラとヒオリさんとエミリーちゃんがピタリと動きを止めた。
「どうしたの、みんな?」
アンジェが不思議そうに首を傾ける。
「……そ、そうですよね。……旅にはお金がかかるものですよね。わたくし、銅貨1枚すら渡していませんでした」
「そ、某も……」
「わたしっ! 頑張って働くからっ! なんでもするからっ!」
「いや、うん。そういうのはいいから。アンジェもお金はいいよ」
「そういうわけにはいかないわよ。そもそもこれ、おじいちゃんからだし。受け取ってもらわないと私が困るわ」
少しだけ押し問答をした末、受け取ることにした。
旅の資金としてお爺さんが持たせてくれたお金を私の小遣いにするわけにはいかないとアンジェが言い張るし。
「あ、ヒオリさんはいいからね?
そもそもうちの社員なんだし。
これはふわふわ工房の社員旅行でもあるから無料です。
セラもいいからね?
私、大宮殿で豪華ディナーをいつもごちそうになってるし。
そのお金も払ったことないんだからお互い様です。
もちろんエミリーちゃんもいいからね。
子供は無料です。
ゼノとフラウは体で返してね期待してるからね?」
私は反論の余地を与えないように、いっぺんにそれだけ言った。
でもエミリーちゃんには不満があるようだ。
「……でも、みんな子供だよね?」
たしかに。
まあ、それはそうなんだけどね。
少なくとも見た目では。
「ならさー、エミリーもクウんとこの工房の店員になればいいんじゃなーい? そうすれば無料だよねー」
完全に他人事な様子でゼノが適当なことを気楽に言う。
「わたし、なるっ!」
胸の前で拳を固めて、エミリーちゃんが宣言した。
「……クウちゃん。わたし、クウちゃんのところで働きたい。一生懸命がんばるから働かせてください」
「え、えーと……。そんな大事なことは、今、決めるわけにはね? そもそもお父さんとお母さんの許可がないと」
8歳だからまだ早い、ということはないのだろう。
ネミエの町でも仕事を探していた。
働くこと自体は、オダンさんも止める様子がなかったし。
ただ、私の工房は帝都だ。
日帰りで働きに出るのとはわけがちがう。
うん、いいよー。
とは、さすがに言えない。
「わかった! わたし、旅から帰ったらお父さんとお母さんに聞いてみるっ!」
「うん」
私はうなずいた。
「クウのところに来るなら、ボクがまた魔力の使い方を教えてあげるよ」
「それならば、理論は某にお任せあれ」
「じゃあ、ボクとひおりんでエミリーを一流の魔術師に育てよう! これは楽しみなことになってきたぞー! ねえ、クウ! いいよね!?」
なんか、ゼノとヒオリさんが妙に盛り上がっている。
「いいなー。それなら私も働きたいわ。ねえ、クウ。来年から休日にふわふわ工房でアルバイトさせてよ?」
アンジェまでそんなことを言う。
アンジェは来年から学院生。
帝都での寮生活がすでに決まっている。
「わ、わたくしも――!」
「セラはもう私がしっかりと教えてるよねー?」
「そ、そうでした……。失礼しました」
「ねえ、クウ。いいでしょー?」
「クウちゃん、今日からわたしも店長って呼んでいい?」
アンジェとエミリーに迫られた。
いったん、離す。
「まあ、落ち着いて。そういうのは旅がおわってからにしよ? まずは旅を楽しもうではありませんか。うちは人手不足だし、前向きに検討するから」
「ありがと、クウ。もちろん真剣にやるわよ」
「わたしもっ!」
エミリーちゃんがいてくれれば、いつ開いているのかわからない適当運営のお店からは脱却することができる。
忙しくなる週末もアンジェが来るなら安心だ。
私は、ますます自由にふわふわできる。
店員が子供だけというのは不安もあるけど、それは今でも同じか。
帝都は平和だし、エメラルドストリートは特にだし、昔のウェルダンみたいなヤツが来た時のために緊急の連絡手段はほしいところだけど、普通にものを売るだけなら問題はないだろう、きっと。
でも、となると……。
私が生成する以外にも商品がほしいところだねえ……。
前世の知識を生かして、生活用品とか。
100均グッズとかよさそう。
簡単に作れて、便利で、こちらの世界にはないもの……。
なにかあるはずだ。
今度、竜の里にいるカメ三人組に相談してみよう。
私より遥かに長くこちらの世界で生きてきたカメ三人組なら、何かいい商品を思いついてくれるはずだ。
あー。
カメ三人組……ナオにユイにエリカ。
勇者と聖女と王女を放り投げて、今頃なにをしているんだろうねえ……。
「店長、いかがされましたか?」
「あ、ううん」
いかんいかん。
旅を楽しもうと言った矢先から、現実モードになってしまっていた。
「しかし、アレであるな。その2人も集まるのならば、クウちゃんの家は、まさに邪神の侵食に対する砦となるのであるな」
「また大げさな」
「大げさではないのである。妾が見るところ、その2人もセラフィーヌに匹敵するほどに能力が高いのである。きちんとした修練を積めば、将来は選ばれし者たちの従者となることも夢ではないのである」
それでも従者なんだ。
とは、言わなかった。
選ばれし者たちとは、ナオとユイのことだろうし。
あの2人は、そもそも創造神アシスシェーラ様からそれを運命づけられている。
まさにチートだ。
強さと可能性の桁がちがうのだろう。
そんなこんなで。
賑やかに朝食はおわった。
私は周囲を見渡す。
朝の早い時間。
少なくとも私たちのまわりに、人や馬車の往来はない。
「じゃあ、みんな、馬車に乗って」
みんなが乗ったのを確かめて、ドアを閉める。
「クウとフラウは?」
窓際にいたアンジェが身を乗り出して聞いてくる。
「私たちは飛んでいくよ。私は道案内、フラウには馬車を運んでもらうし」
「そうなんだ……。って、フラウが馬車を運ぶの!?」
ふふー。
びっくりさせますターイム!
「じゃあ、フラウ、お願いね」
「了解なのである」
フラウが人化を解き、本来の姿――。
巨大な漆黒の古代竜へと戻った。
「え。え……?」
馬車の中で、アンジェが驚きのあまり固まった。
「どうしたの、アンジェちゃ……ん……」
アンジェの脇から身を乗り出してきたエミリーちゃんも固まった。
「お二人とも、ちゃんと座らないと危ないです――よ」
2人を席に戻そうとしたセラも、巨大な竜となったフラウの姿を目撃した。
「あの……。フラウちゃん、ですよね」
「うむ。で、ある」
セラは前に一度、大宮殿の庭でフラウの姿を見たことがある。
あと旅の計画も知っている。
なので、いくらかは冷静だった。
「よ、よろしく……。お願いします……」
「任せるのである」
三人が馬車の中に戻る。
代わって外に首を出したヒオリさんも、すぐに馬車の中に引っ込んだ。
フラウが馬車を抱きかかえる。
巨大な翼がはためき、その巨体が宙へと浮き上がった。
さあ。
南の海を目指して!
空の旅の始まりだ!




