218 閑話・アンジェリカは見た
朝、起きてリビングに行くと、おじいちゃんが出かける準備をしていた。
慌ただしい様子だ。
「何かあったの、おじいちゃん?」
「おはよう、アンジェリカ。実はご領主様から急な呼び出しがあっての。すぐに向かうところなのじゃよ」
「ふーん。今日もなんだ」
おじいちゃんは、私たちが住むアーレの町だけじゃなくて、帝国全土に名の知られた高名な神官だ。
事件や相談事があれば呼ばれることも多い。
私はアンジェリカ・フォーン。
城郭都市アーレに住んでいる11歳だ。
「セラフィーヌ殿下と異国の王女殿下を歓迎するにあたり、式典の内容を改めて確認したいとのことじゃ」
「……それって、昨日と同じだよね?」
「ご領主様は、かなり意気込んでおられる様子じゃからの」
今、クウは、セラやヒオリさんたちを連れて馬車で旅をしている最中だ。
明日の午後にはアーレの町に来る予定になっている。
私も手紙をもらって、それは知っていた。
私はクウから旅に誘われていた。
なんと海に行くと言う。
家族の許可がもらえたので同行する予定だ。
私は生まれてから、まだ一度も海を見たことがない。
海なんて、アーレからだと遥か彼方だし。
普通なら死ぬまで縁はない。
まさか海に行けるなんて……。
本当に楽しみだ。
それで旅なんだけど、私はてっきり、お忍びだと思っていた。
だけどセラは公式にアーレに来るとのことだった。
急のことで町は大騒動になっている。
通りを清掃して、飾り付けて。
治安も強化されて、あちこちに衛兵どころか騎士が立っている。
「では、行ってくるでの」
「いってらっしゃーい」
おじいちゃんを見送ってから、私は朝食を取る。
その後は自由時間だ。
今は夏休み。
いつもなら魔術の練習をするところだけど……。
明日にはクウたちが来るとあって、正直、そわそわしてしまう。
「すぐに会えるといいけど。無理かなぁ」
明日は群衆の中から、馬車で通り過ぎるクウたちを見るだけでおわるかも知れない。
ご領主様は式典や晩餐会を開くようだし。
私が会えるのは、色々とおわった後よね、きっと。
残念だけど、しょうがない。
私は家を出た。
朝の大通りを歩く。
通りは綺麗だ。
住民総出で徹底的に掃除されている。
左右の建物には、帝国の紋章を描いた垂れ幕がたくさん掛かっていた。
街灯にも帝国の旗が掛かっていて、朝日を受けて煌めく。
でも、まだ作業はおわっていない。
幕のかかっていない建物も多くて、朝から大勢が働いていた。
すごいわよねえ……。
私はつくづくと思う。
だって、これは全部、セラを歓迎するためのものなのだ。
やっぱり皇女様なのよねえ。
と、思わずにはいられない。
思い出すのは、ほんわかとしたセラの笑顔だけど。
「アンジェ、おはよー!」
歩いていると声をかけられた。
学校の友達だ。
「おはよ、コニー。朝からどうしたの?」
「お掃除だよお」
「……もうこんなに綺麗なのに?」
「念には念を入れろって区長さんがうるさくってえ」
「大変だね」
「あ、でも、掃除に参加すればご領主様からご祝儀がもらえるんだよ。だからやりがいもあるってもんだよぉ」
細腕に力こぶを作って、コニーは笑った。
「それに、あの伝説のセラフィーヌ様が来るんだしねぇ」
「伝説って」
ちょうど思い出していたセラのほんわかした笑顔には不釣り合いな言葉だ。
「伝説でしょぉ、伝説。皇女殿下の世直し旅、私も大好きなんだぁ。すごいよね、私たちと同い年で魔術も剣も達人なんて」
コニーは素直に、詩人の歌う物語を信じているようだ。
セラの人気はアーレの町でも抜群に高い。
全員が全員、コニーのように素直に信じているわけではないだろうけど、表立って否定する人はいない。
なにしろ、ご領主様が率先してステージを開いているんですもの。
ご領主様が世直し旅の熱心なファンであることは、みんな知っている。
ご領主様は、セラのおじいさんなのよね。
孫が可愛いのは当然だろう。
私もおじいちゃんには、可愛がってもらっている。
「セラフィーヌ様って、どんな方なんだろうねぇ。きっと、物語に出てくる女神の使徒みたいに凛々しいんだろうなぁ」
あー、私も最初は、そんな風に思っていたなぁ。
かつての自分を思い出して懐かしくなる。
「楽しみね」
「うん。楽しみぃ。でも、顔、見せてくれるのかなぁ。馬車の中にいるだけで通りすぎておしまいだと寂しいよねえ」
「それはたしかに」
クウがいるから、もしかしたら派手なことになるかも知れないけど。
コニーと別れた私は、広場に行った。
セラの来訪を記念して、今日も広場ではステージが開かれる。
10人もの吟遊詩人を招いて夜までずっとだ。
見学は無料。
食べ物と飲み物も、ご領主様の好意で無償で提供される。
広場のまわりには屋台がたくさん出ていた。
まだやってはいないけれど。
私もステージは見るつもりだ。
今日はなんといっても旅の吟遊詩人カイルがやってくる。
若手では一番の人気者だ。
さらにカイルは、姫様に直接助けられたというエピソードを持っている。
私はそれが本当だと知っている。
相手はセラじゃなくて、クウなんだけどね。
一度、聞いてみたいと思っていたのだ。
私が広場でのんびりしていると――。
「この私を誰だと思っている!」
男の人の金切り声が響いた。
見れば広場の隅で、荷馬車に荷物を山積みした商人が衛兵ともめていた。
なんとなく目を向けて、驚いた。
だって、そこにいたのは私も知っているおじさんだった。
「俺はネミエの行商人でオダン、こっちは帝都の商人でウェルダン。露店の許可証だって見せただろう。怪しい者ではない」
「許可など関係あるか! よりにもよって精霊様の詐欺商品をこの大切な時期に売ろうとするとは――直ちに立ち去らねば牢に放り込むぞ!」
「詐欺商品などではない! 正規品だ!」
「確かめてもらえればわかる。すべて、帝都の工房で作られて、帝都では普通に販売されている商品だ」
いきり立つ男の横で、エミリーのお父さんが冷静に訴える。
「特にこのぬいぐるみなど、帝都では精霊様のご利益があると大人気の品で――」
おじさんがぬいぐるみを手に取って説明しようする。
その空色の髪の女の子のぬいぐるみは、クウをデフォルメしたクウの手作りの逸品で間違いなかった。
「ぬいぐるみごときにご利益だと! よくもそんなインチキを堂々と!」
オダンさんの手を衛兵が乱暴に払い除ける。
ああっ!
クウのぬいぐるみが地面に落ちたぁぁぁ!
「精霊様への不敬にも程がある! この詐欺師共が!」
衛兵が、ぬいぐるみを踏んだぁぁぁぁぁ!
「なんてことをするんだ。大切な商品に」
「弁償だ! 弁償しろ! この私を誰だと思っている! タダでは済まさんぞ!」
怒ったウェルダンという人が、衛兵の胸ぐらを掴む。
そのまま衛兵を殴ろうとした。
ああ……。
ウェルダンさんが取り押さえられた。
「離せ! 離せぇぇぇ!」
「衛兵に手を出したのだ。しばらくは牢の中で冷たいスープを飲んでもらうぞ」
脇で様子を見ていた騎士が冷たい声で告げた。
「俺たちは何もしていない」
「私が見ていなかったと思うのか? こいつも拘束しろ。間者の可能性もある。連行して取り調べをするぞ」
「何が取り調べだ。俺たちは無実の市民だ。あんたらは何様のつもりだ」
「なんだと、貴様……。誰に口を利いているつもりだ?」
「あんたに決まっているだろう。他に誰がいる」
オダンさんが騎士を見据える。
「詐欺師共が! このアーレで好きにできるとでも思ったのか!」
衛兵が横からオダンさんを押さえつけて、膝をつかせた。
それを見て騎士はそっぽを向いた。
「厳しく尋問してやる。覚悟しておけよ。貴様が何様なのか、よくわからせてやる」
「くっ……」
オダンさんの両手がロープで縛られた。
まるで犯罪者扱いだ。
ああ……。
2人が乱暴に連れて行かれる。
私はどうしようもできずに、ただ見ていた。
どうしよう……。
これ……。
クウとセラが知ったら、きっと激怒する事態だ……。
そうだ!
とりあえずぬいぐるみは保護しないと!
私は、踏みつけられたぬいぐるみを拾い上げて、急いで家に戻った。
馬車を操れる使用人に来てもらって、放置されたオダンさんたちの荷馬車をとにかく家に運び込んだ。
広場に置いたままでは、どうなるかわからないし。




