205 閑話・行商人のオダンとウェルダン
俺の名はオダン。
ネミエの町で暮らす中年の男だ。
小さくて古いながらも一軒家を持ち、家族は妻と娘が1人。
娘が重病に侵されて大変な時期もあったが、クウちゃんのおかげで回復し、今は元の暮らしに戻っている。
いや、元通りではないか。
俺は今、昔以上に頑張って金を稼いでいた。
娘、エミリーの将来のためだ。
クウちゃんのおかげで、娘には魔術の素養があることが判明した。
それどころかクウちゃんの友人から手ほどきを受けて、魔力にまで目覚めた。
娘は今、クウちゃんにもらった魔術の入門書を頼りに、将来は魔術師になりたいと懸命に修行に励んでいる。
同時に、できれば帝都の学院に行きたいという希望もあり、その資金作りのために森に薬草を摘みに行ったりもしている。
森は危険だから行くなと言っても聞かない。
困ったものだが、俺には娘を学院にやるだけの稼ぎがない。
妻も働いているが、2人の稼ぎを合わせたところで、悲しい現実として娘を学院にやるにはとても足りない。
親に文句を言うことも失望することもなく、エミリーは現実を受け止め、自分でどうにかしようとしている。
本当に立派な、自慢の娘だ。
だからこそ、エミリーが手に入れた未来の可能性を広げてやりたい。
だから今日も俺は馬車を走らせる。
俺は商人だ。
ものを仕入れて売ることしかできない。
今日もこれから帝都に行って人気の商品を仕入れるところだ。
ウェルダン氏とはその道中で出会った。
街道の分岐点でのことだ。
「くそっ! くそがっ! 動け! この私を誰だと思っている!」
馬車の車輪が、街道から外れて地面のくぼみに嵌ってしまっていた。
彼も俺と同じで1人で商売をしているようだ。
荷台には、たくさんの大玉のメロンが載っていた。
メロンと言えばリバーユの町の特産品だ。
おそらくそこで仕入れて、帝都に持っていく途中なのだろう。
ウェルダン氏は馬車を押して、必死にくぼみから抜け出そうとしていた。
だけど、なかなか上手く行かないようだった。
俺はすぐに手助けを申し出た。
困った時はお互い様だ。
だけどよく見れば、車輪の軸が折れてしまっていた。
これではもう無理だ。
くぼみから出したところで動けない。
そのことを指摘すると、ウェルダン氏は、
「そんなバカな! 全財産をはたいて仕入れてきたというのに! これでは納期に間に合わなくなる!」
と絶望した顔で天を仰いだ。
気持ちはわかる。
放っておくには、あまりに気の毒だった。
「よかったら俺の馬車に積んで行くか? ちょうど今は空だし」
「……い、いいのか?」
「ああ。帝都だろ? 俺も行くところなんだよ」
「すまん。恩に着る!」
俺達は協力して大玉のメロンを積み替え、壊れた馬車に繋がれていた馬を外した。
俺は馬車で、ウェルダン氏は外した馬に乗って、並んで帝都を目指す。
「俺はオダン。ネミエの町の商人だ。あんたは?」
「これは失礼した。私はウェルダン・ナマニエル。帝都の商人だ。緊急の受注を受けて馬車を飛ばしたものの、恥ずかしながら御者に慣れておらず、みっともない姿を見せることになってしまった」
「緊急の受注で仕入れが自腹とは、なかなかに厳しいな」
「私は個人商人としては新米でな。どうしても実績がほしくて、それでも願い倒して受けさせてもらったのだ」
「……上を見ているんだな」
「当然だ。私を誰だと思っている。……いや、失礼した。私は将来、大店を構えてみせると誓ったのだ。努力を惜しむつもりはないし、勝負も賭ける」
大玉のメロンを大量に必要とする相手なんて、間違いなく大貴族だ。
失敗すれば大失態となる。
そんな依頼を受けさせてもらえるということは、すでにウェルダン氏には一定の評価があるのだろう。
聞けばなんと、今まではウェーバー商会に勤めていたらしい。
ウェーバー商会と言えば、帝都で、いや、帝国で五指に入る大商会だ。
そこを辞めて個人商人から再スタートとは……。
「すごいもんだな。酔狂なことだ」
俺は思わず、呆れた口調で感心してしまった。
無礼と取られても仕方なかったが、ウェルダン氏は愉快げにうなずいた。
「ああ、その通り。私は大衆食堂で酔っ払って決意したのだ」
「はははっ! 本当にすごいもんだ」
勝負を賭ける、か。
正直、俺は、どう勝負していいかもわからない。
「オダン氏には、何か野心はないのか?」
「俺にはないな……。いや、できれば、娘の学費を稼ぐために、もっと儲けたいと考えてはいるんだが、なにしろ学はないし頭の回転も悪くてな。毎日、同じことをするしかできていないよ」
ウェルダン氏の取引は、無事に済ますことができた。
納品したのは、帝都の一等地エメラルドストリートに建つ高級果実店だった。
俺のような庶民には縁のない場所――。
ではなく、クウちゃんのお店のある通りだった。
「この度は本当に助かった。どう礼をすればよいか」
「礼など不要だ。個人の商人同士、困った時はお互い様だろう」
「商人ならば欲も持つべきだと思うが」
「俺には難しいな」
我ながら苦笑してしまう。
「オダン氏は、これからの予定は?」
「精霊様グッズの買い出しだな。ネミエでもブームでな、よく売れるんだ」
「……ほう。それは、なかなかに目のつけどころがよい。帝都での祝福から始まって、先日の皇帝陛下への祝福。帝国では今、精霊様への信仰が再熱している。たしかに売り出せばブームになりそうだ」
「だろう?」
「だが言ってはなんだが、ネミエのような小さな町で儲けは少なかろう。やるならば数が捌けて値段も上げられる大きな町へ行かねば」
「そんなものなのか?」
「これも何かの縁だ。オダン氏、私と組んでみる気はないか?」
「ウェルダン氏と?」
俺は首をひねった。
どういうことだろうか。
「精霊様グッズを買えるだけ買って、城郭都市アーレへ売りにいかないか? アーレは帝国で第二の都市だ。しかし帝都からは距離もあり、精霊様のグッズはまだ広まっていないはずだ。一気に高値で売りさばくチャンスだ」
「しかし……」
俺は迷った。
出会ったばかりのウェルダンという人間が信用に足るかは未知数だ。
ウェルダン氏の条件は破格だった。
ウェルダン氏が出資して、俺と共同でやりたいと言うのだ。
出資分はウェルダン氏が回収するとして、それを越えた売上の配分は、なんと五分五分でよいと言う。
そうそうある話ではなかった。
だが、美味い話には裏がある。
悲しいが、それが現実だ。
そうそう都合よく儲けさせてもらえるわけなどないのだ。
「どうだろうか? 私と勝負に出てみないか? 娘さんの学費など簡単に稼げるくらいの利益は出ると思うが」
「それは――」
「もちろん賭けの部分はあるが、私の経験がやれると告げているのだ」
俺は迷いつつも断ろうと思った。
騙されれば、妻の人生も娘の人生もおわってしまう。
2人を露頭に迷わせるわけにはいかなかった。
その時だった。
「――あれ、ウェルダンじゃん。と、オダンさん!?」
若い女の子の声が届いた。
振り返れば、空色の髪を陽射しに煌めかせる見知った女の子がいた。
クウちゃんだ。
クウちゃんは私達のところに駆け寄ると話しかけてくる。
「どうしたの、2人って知り合いなんだ?」
「クソガキめ。今は商売の話をしているのだ。あっちへ行っていろ」
ウェルダン氏がクウちゃんを邪険に扱う。
クウちゃんは気にすることもなく、私に笑いかけてきた。
「オダンさん、商売、頑張ってるんだね。儲かってる?」
「ああ、まあまあだな」
「でも、ウェルダンと商売してるんだねー。意外」
「いや、それは……」
断ろうとしていたところだが。
「まあ、でも、ウェルダンもやればできる子だから、2人とも頑張ってね」
「だれが子だ! この私を誰だと思っている!」
「……クウちゃんは、ウェルダン氏とは仲がいいのかい?」
「仲がいいっていうか、ねえ?」
「何がねえだ!」
「一緒に乾杯した仲だよねー」
「クソガキが!」
ウェルダン氏は悪態ばかりだが、仲は悪くないのだろう。
そんな気がする。
「あ、そうだ。オダンさん、実はエミリーちゃんに手紙を書いたんだ」
「どんなだい?」
「実は、みんなで旅行に行こうと思って。途中でエミリーちゃんも拾って一緒に行きたいなーと。あ、必要なものは全部こっちでそろえるから、エミリーちゃんには来てもらうだけでいいよ。だいたい10日なんだけど」
クウちゃんの友人といえば……。
恐れ多くも皇女様。
高名なフォーン神官の孫娘。
そして、魔術の知識に長けたハイエルフの少女たち。
か……。
田舎娘が混じってよい集団とは思えない。
正直、酒を交わした男が公爵様だとエミリーから後で聞いた時には、驚きのあまり心臓が飛び出すかと思った。
第一、お金を払わずにタダで旅行などしていいものではない。
エミリーは恐縮するだろう。
あるいは、悪い勘違いをしてしまうかも知れない。
とはいえ、お金を払うとはとても言えない。
皇女様を含めたご令嬢方の旅行だ。
それにかかる費用など、下手をすれば俺の一生分の稼ぎを上回る。
でも俺は、断らなかった。
「ああ、俺は構わない。エミリーが行きたいと言うなら連れていってやってくれ」
「ありがとうっ!」
本来なら、関わっていくべきではない相手だ。
関わっていったところで、将来的には、金銭的にも身分的にも、エミリーがついていくことは不可能だ。
しかし、エミリーは彼女達のことを心から信頼している様子だ。
クウちゃんたちもエミリーを友人として受け入れてくれている。
だから、今はまだ――。
社会の現実より、個人の絆を大切にしてやりたい。
個人として見ればクウちゃんや皇女様は誠実で明朗で勤勉な、エミリーの手本になってくれる友人たちだ。
それに旅は、かけがえのない経験になる。
「ガキ! 私達は大切な話をしているのだ! 早く消えろ!」
「わかったよー。もう。ウェルダンはいっつもキリキリしてさー。でも商売、一からやり直してるんだよね。応援するから頑張りなよ」
「ガキに言われるまでもないわ!」
「ま、私が祝福してあげたんだからさー。失敗されても困るけどー」
「さっさと消えろ!」
「はいはい。じゃーねー。『陽気な白猫亭』、また遊びに来なよー。商売が上手く行った自慢話を待ってるからねー」
「ハンっ! その時にはこの私が客すべてに奢ってやるわ! おまえにも好きなだけ食わせてやる!」
「楽しみにしとくー」
ひらひらと手を振って、クウちゃんは身を返した。
と思ったら振り返って、
「あ、そうだ。商売ならさ、うちのお店にも来なよ」
「誰がガキの店になど!」
「まあまあ、そう言わずに。これも何かの縁でしょ。ミスリルは無理だけど、売れるものなら安く卸してあげるよー」
今度こそ、クウちゃんは去っていった。
ウェルダン氏は悪態をついている。
やはり、これはこれで、仲がよいのだろう。
「ウェルダン氏――」
「済まなかったな、オダン氏。話の腰を折ってしまって」
「先程の話だが、受けようと思う」
「おおっ!」
「俺も手持ちの金はすべて出す。共に勝負しよう」
自分でも不思議だが、クウちゃんが応援するというなら、この話は絶対に成功すると確信を持つことができた。
「ではウェルダン氏、早速だが、クウちゃんの店に行ってみようか」
クウちゃんは店の方に歩いていった。
帰ったのだろう。
「ハッ! くだらん! と言いたいところだが……。商売のためであればプライドの方がくだらないものか。あのガキの店には、たしかに価値の高いものがある。仕入れさせてくれるのなら仕入れて損はない」
「俺もそう思う」
特にクウちゃんを模したぬいぐるみ。
あれはまさに、精霊様グッズそのもののような気がする。
「……私はどうも短気になっていかん。迷惑をかけるかも知れんが、これでも商売には自信がある。損はさせないつもりだ」
「俺はよくも悪くも慎重でな、おかげで商売は低調だ。止めさせてもらうことはあるかも知れんが頼りにしている」
俺とウェルダン氏は硬い握手を交わした。
無難に無難に、低調に低調に、生きてきた俺の人生の中で――。
これは初めての勝負だ。
ウェルダン氏を信じて、共に稼ごう。
そしてエミリーに、立派な教育を受けさせてやろう。
お読みいただきありがとうございました!
ブクマと評価もよかったらお願いしますっ!




