202 夕暮れの演奏会
「ただいまー」
「おかえりなさい、店長。なかなか帰ってこられないので心配していましたよ」
「うむ。妾を放ってどこに行っていたのであるか?」
お店に帰ると、ヒオリさんとフラウが待っていた。
「ごめんね。軽い散歩のつもりだったんだけど思ったより時間かかっちゃって」
「前にボクとクウが帝都の地下で助けた吸血鬼の子の様子を見に行っていたんだよ。そうしたらクウが、その子の『教育』を始めちゃってさー」
ゼノくん、何故、教育の部分に暗い感じの含みを持たせるのかな?
「な、なにやら恐ろしげな教育ですね……」
「ヒオリさん、真に受けなくていいからね? ほんの少し、言うことを聞いてくれないから力を込めただけだからね?」
「は、はい」
「それより、もう時間がないのである。ヒオリは飛べないのであるから、運ばねばならないのである。時間がかかるのである」
「あ、そうだね」
「お手数をおかけします」
時計を見れば、たしかにそろそろ出かけないといけない。
私だけなら一瞬だけど今日は3人もいるしね。
というわけで出発した。
ヒオリさんはゼノが肩に担いだ。
いつもとは逆だね。
私がその上で、みんなに透明化の緑魔法をかける。
空に浮かんで大宮殿にゴー。
ほどなくして奥庭園に到着。
願いの泉のほとりに降りた。
透明化を解除。
待っていた執事さんが、驚くこともなく一礼する。
「ようこそいらっしゃいました。古代竜様、大精霊様、賢者様、クウちゃん様。陛下と皇妃様がお待ちです。どうぞこちらに」
連れられて歩いた。
ちなみに私たちは普段着だ。
普段着といっても、私は精霊の服だし、フラウは豪華なローブ姿だし、ヒオリさんはいかにも賢者な学院長の衣装。
ゼノは、それなりに不気味さを感じる闇属性な黒い布衣だけど、同時に神聖な雰囲気もまとわせている。
普段着といっても普段着な人はいなかったりする。
会場は、奥庭園の一角だった。
近づいて驚いた。
美しい庭園に椅子が置かれ、オーケストラみたいに楽団が揃っているのだ。
陛下と皇妃様は、すでに観客席にいた。
なんとびっくり、お兄さまにお姉さま、セラにナルタスくん。
皇帝一家がそろっていた。
しかも、みんな正装だ。
最初にセラと目があって、小さく微笑み合った。
陛下と皇妃様が私たちを出迎えてくれた。
まずは挨拶。
見た目的には最年少なのに、フラウは堂々としたものだった。
私は作法通りに。
ヒオリさんはゆったりと余裕を持った態度で。
ゼノは完全にタメ口だったけど……演奏会へのお礼は言っていたからいいよねたぶんいいことにしておこう。
挨拶が済むと、陛下が自らの口で、演奏会の説明をしてくれた。
90分の交響曲なのだそうだ。
夜に舞うニーナは、その最後を飾る曲らしい。
もしも時間がなければ最後だけ演奏させるがどうするかと聞かれて、ゼノが全部聞きたいというのでそうした。
……90分。
正直、私、寝てしまいそうだ。
いや、うん。
確実に寝る。
しかし……。
さすがに寝てしまうのは失礼すぎる。
寝るわけにはいかない。
なにしろこの演奏会は、私の側からお願いしたことだ。
私には最後まで聴く義務がある。
「……あのー、陛下」
「どうした、クウ君」
「えっと。私、セラと一緒に聴きたいなーと思うんですけれども……」
「ああ。構わないぞ。並んで聴き給え」
「ありがとうございますっ!」
セラなら私が寝ても、優しく起こしてくれる!
というか、頼んでおこう!
話もおわって私たちは案内された席についた。
私はセラの横だ。
ぴったり椅子をくっつけた。
「えへへ。よろしくね、セラ。お願いしてとなりにしてもらっちゃった」
「クウちゃんと一緒で嬉しいです」
「私も」
ここで私はセラに肩を寄せつつ、こっそりお願いする。
話を聞いたセラは、「わかりました」と小さな声でうなずいてくれた。
ありがとう助かるよー!
さあ、演奏会だ。
夕方。
美しい奥庭園。
長く伸びた影。
赤く染まる空。
流れていく涼しい風。
素晴らしい環境の中、指揮者を務める老年の男性が楽団の前に現れた。
私たちに一礼してから、楽団に向き合う。
演奏が始まった。
時に緩やかに。
時に激しく。
まるで波のように素晴らしい音楽が押し寄せて――。
私は眠くなる。
トントン、と、セラが肩を当ててくれて、ハッと我に返る。
いや、うん。
本当に最高の演奏だと思う。
さすがはプロ。
さすがは皇帝陛下の前で演奏することを許された楽団だ。
だけど、なんでだろうか。
だからこそ意識が吸い込まれていく。
何も考えることなく音楽に身を任せるのは、まるで波に身を任せるようで……。
ふわふわ~。
っと。
しかし、私はセラに助けられつつ、なんとか起き続けた。
やがて最後の曲となる。
セラと一緒に踊った『夜に舞うニーナ』だ。
まだほんの少し前の出来事なのに、妙に昔のことみたいに懐かしく感じる。
ダンスは楽しかった。
世界は、いつの間にか、すっかり薄暗くなっている。
夕方がおわって、夜が近づいている。
「セラ。踊ろう」
「え。クウちゃん……?」
いいよね。
私はセラの手を取って立ち上がった。
アリーシャお姉さまとの対決のため、ずっと練習してきた曲だ。
まだ覚えている。
「楽しもうっ!」
「で、でも」
「ね?」
「……もう。しょうがないですね、クウちゃんは。わかりました」
やった。
邪魔にならないように脇にずれて2人で踊った。
こうして最後は楽しく過ごして。
演奏会はおわった。
曲がおわって、指揮者が私たちに一礼する。
私たちは拍手でそれに応えた。
アンコールはするのかな……。
と思ったけど、しないようだ。
「素晴らしい演奏だった。君たちの絶え間なき研鑽に称賛を贈ろう」
陛下がそう述べる。
その後でゼノにたずねた。
「――いかがでしたかな、闇の大精霊殿」
問われて、ゼノが立ち上がる。
というか浮き上がった。
次の瞬間、周囲が輝くような闇に染まった。
ゼノの力だろう。
邪悪な気配はない。
「うん。素晴らしかった。
フラウの言う通り、お母さんの姿を思い出したよ。
君達には感謝をしよう。
そうだな……。
お礼として、ボクが約束してあげるよ。
いつか必ず訪れる君達の死は、静かで優しい、穏やかなものになると」
楽団の人たちは、言葉もなく闇の中でゼノの姿を見ていた。
「素晴らしい祝言に感謝しよう」
陛下が感謝の意を告げる。
その言葉で我に返ったのか、楽団の人たちもあたふたと頭を垂れた。
「さて、皆。夕食の準備もすでに整っている。堅苦しいマナーは抜きにして共に楽しく食べようではないか」
「はい。よろしくお願いします」
大宮殿でのディナーはいつでも素晴らしい。
今夜も大いに味わおう。
「楽しみなのである」
フラウが腕組みしてうなずく。
「そうですね。楽しみです」
ヒオリさんは満面の笑みを浮かべている。
「――ボクはやめておくよ。少し夜の空を散歩してくるね」
「あ、なら――」
今夜はやめとこうか。
そう言いかけた私をゼノが制した。
「クウたちはいいよ。ボクは1人でいいから」
「……うん。わかった」
きっとゼノは、イスンニーナさんのことをたくさん思い出したのだろう。
素晴らしい演奏だったし。
1人になりたいなら、させてあげるべきだよね、きっと。
ゼノが薄闇の空に飛んでいく。
やがて溶けるように消えた。
その姿を最後まで見送って、私たちは食堂に向かった。




