169 聖女ユイの願い
大聖堂の近くまでやってきた。
もちろん空中からだ。
深夜。
さて、どうしようかなー。
とりあえず敵感知に反応はないので、私は大聖堂の正面に浮かんでいる。
眼下には、石で舗装された立派な広場がある。
広場は無人だった。
夜の立ち入りは禁止されているようだ。
目の前にそびえる大聖堂は、夜の世界の中、決して派手にではなく、とても静謐に白い光を薄くまとっている。
魔力感知してみると、白い光に反応があった。
警報機能があるのかも知れない。
方針が決まるまでは、近づきすぎない方がいいだろう。
「んー。どうしようかなー」
大聖堂のまわりをくるりと飛んでみた。
外から見て、「ここかな?」というような場所はなかった。
生活の雰囲気自体を感じない。
私、当然のようにユイは大聖堂で暮らしていると思っていたけど、もしかしたら違うのかも知れない。
「まあ、入ってみるか……」
光の膜をくぐるのは怖かったけど、いつまで悩んでいても仕方がない。
行動あるのみ!
私は覚悟を決めて、光の膜に触れ、そのまま中に入ってみた。
窓をすり抜ける。
礼拝堂の上の階の廊下に入った。
幸いにも警報は鳴らなかった。
警備員やガーディアンゴーレムが殺到することもなかった。
精霊だから許してもらえたのだろうか。
わからないけど、とにかく侵入成功だ。
廊下には一定の間隔で魔石の明かりが灯り、普通に歩くことはできそうだ。
私は浮かんでいるけれど。
ここから先は、手当り次第に中を見ていった。
もちろん姿は消したまま。
すり抜け、すり抜け、で。
事務室。
資料室。
休憩室。
小礼拝堂。
食堂。
若い男の子たちの寝室。
若い女の子たちの寝室。
若い子たちは、男女それぞれに30人が同じ部屋で寝ていた。
見習いの神官や巫女なのだろうか。
この国では未来のエリートなのかも知れないね。
なんにしても、人は暮らしているようだ。
さらに上の階に行くと個室もあった。
ただ、ユイの姿を見つけることはできなかった。
いかにも特別そうな部屋もあったけど、瞑想室や執務室で、そこで寝起きしている雰囲気はなかった。
「……どこにいるんだろうなぁ」
どうも雰囲気的に、ここではない気がしてきた。
まあ、でも、ここまで来てしまった以上、一番上の階にまで行ってみよう。
というわけで、階段をふわふわ浮かびながら上った。
最奥の部屋のエントランスにまで来た。
奥には両開きの扉がある。
金で縁取られた白い扉だ。
いかにも大切な儀式を中で行いそうな、ものすごい荘厳さに満ちていた。
きっと、聖国の最重要施設だ。
まわりには誰も居ない。
ここで私は『透化』を解いた。
『透化』していると、肌の感覚や匂いが消えるので、安全ではあるけれど、かなり物足りないんだよね。
やはり最後は、きちんと全身で感じたい。
歩いて扉に近づく。
すると、扉が薄く光った。
白い光だ。
カチャ……。
鍵の外れるような音が扉から聞こえた。
扉が開いていく。
ふむ。
どういうことだろうか。
私の存在に反応したようだけど。
精霊だからだろうか。
かも知れない。
おそるおそる、導かれるまま中に入ってみた。
「おお……」
中には純白な空間があった。
眩いほどに白いドーム状のホールは、転生する時に一度だけ訪れた、アシス様のいた神界によく似ていた。
そして、白く輝いた床には、なんと転移陣があった。
迷わず登録。
アルシャイナ大聖堂:精霊の間
やったぜ。
これでいつでもここに来れる。
まあ、ここに来るのは、タイミングを考えないと、とんでもないトラブルを招くことになりそうだけど。
「この転移陣、どこにつながってるのかな……」
登録する時に魔力を流したことで、転移陣は起動していた。
乗っかれば、飛べるはずだ。
飛べば、意外にあっさり、ユイに会える気もする。
なにしろ聖女だし。
この精霊の間が、聖女専用の礼拝堂である可能性は十分にある。
扉には魔法の認証もあったし。
なにより精霊の間なんて、私が言うのもなんだけど、特別な名称だよね。
「よし、行くかっ!」
私は転移陣に乗った。
ローディングのような暗転を挟んで。
視野が回復。
「ふむ……」
私は周囲を見回して、つぶやいた。
洋館の一室。
――礼拝堂だろうか。
転移陣があって、祭壇がある。
とりあえず登録。
聖女の館:精霊の間
おお。
どうやらユイの家に来たようだ。
窓を見れば、木々の向こう側に大聖堂の背中が見える。
どうやらここは大聖堂の裏側のようだ。
木の高さと比べるに、たぶん建物の2階だろう。
部屋を出た。
ドアには鍵がかかっていたけど、触れたら自動的に解除された。
廊下には、大聖堂からの光が薄く届いていた。
歩ける程度の視野はあった。
さて。
となりにも部屋がある。
ここのドアにも鍵がかかっていたけど、触れたら自動的に解除された。
光の魔力に反応しているようだ。
私はドアを開けた。
部屋には月の光がレースのカーテンごしに差し込んでいた。
そこは、清潔に整えられた少女の個室だった。
棚には本が置かれている。
机に、化粧台に、クローゼットがある。
ベッドの中では懐かしい顔の少女が眠っている。
間違いない。
ユイだ。
前世と変わらない、穏やかで優しい顔立ちだ。
懐かしいからかな。
見ていると、妙に心が安らぐ。
「うう……。うう……」
ユイが小さく呻いた。
なんだか苦しそうだ。
どうしたんだろう。
熱でもあるんだろうか。
白魔法で病気を解除してみた。
変化はなかった。
「やだぁ……。やだぁ……。ちがう……ちがうの……」
嫌な夢でも見ているのかな……?
白魔法で恐怖を取り除いてあげた。
すると安らかになった。
どうやら夢が原因だったようだ。
「……もう大丈夫だよ、ユイ」
優しく前髪と額に触れて、私は枕元で囁いた。
ユイがゆっくりと目を覚ます。
すぐそばにいた、私のことを見つめた。
「ごめん。起きちゃった?」
「……クウ?」
「うん。久しぶりだね」
ユイが目を閉じる。
「ねえ、クウ……。お願いがあるの……」
「なに?」
「お願い……。私を、どこか遠くに連れて行って……」
「……どうして?」
「もうヤなの……。ここにいたくないの……」
「わかった。いいよ」
まあ、転移の魔法で、すぐに戻ってこれる。
嫌な夢を見たみたいだし、再会ついでに気分転換させてあげよう。
私はユイをそっと抱きしめた。
「転移。
――竜の里ティル・デナ:エントランス」




