163 閑話・パーティーの後の少女たち
◇閑話1・少女マリエは帰路に着く
長い長い時間が、ようやくおわりました。
もはや気力も尽きています。
家へと向かう馬車の中で、膝に乗せたぬいぐるみを指でさすりつつ、私はぐったりとしていました。
「ふははっ。今夜はぐっすりと眠れそうだね、マリエは」
そんな私を見て、お父さんが笑います。
「本当に大変だったんだよ……。お父さん、助けてくれないし……」
逃げるし。
「ふははっ。お父さんが助けたりなんてしたら、家と家とのお付き合いになってしまうじゃないか。そんなことになったら大変だぞ? それこそお父さんのデリケートな胃袋が破裂してしまう」
「……どこがデリケートなんだか。後半、ずっと食べてたよね」
「ふははっ。それこそがお父さんの奥義なのだよ。食べるのに夢中で他のお貴族様とは関わらない、名付けて、オール・オブ・ザ・イート」
「私も食べてればよかったかなぁ……」
「マリエは、お嬢さま方としゃべっていたようだが……」
「私、壁際にいただけなのに」
「ふははっ。まだまだ修行が足りないのだよ。お母さんを見てみろ、未だにいるのかいないのかわからないだろう?」
馬鹿にしたような発言だけど、お母さんは得意げな顔をしています。
「微笑をたたえ、背筋を伸ばし、呼吸を穏やかに。退屈そうな顔をすることなく、決して動かない。これが空気の極意ですよ、マリエ」
確かにお母さん、パーティーの最中、いったい、どこで何をしているのかまるでわかりませんでした。
まさに会場の空気と化していたのかな。
「マリエは将来、外に嫁ぐのであれば平民になれるが、1人娘として婿を迎えてハロ映像店を継ぐのであれば準男爵婦人として生きることになる。お母さんの技は今の内に会得しておくんだぞ」
「はい……。頑張って覚えます……」
私は、できればお婿さんを迎えて、映像屋をやっていきたいと思っています。
映像の仕事は好きなので。
「お貴族様になんて、関わってもロクなことはありませんからね」
「そうだぞ、お母さんの言う通りだ。我々なんて、本当のお貴族様から見れば道端の小石みたいなものだしな」
ごめんね、お父さん、お母さん。
実は、もういろいろと手遅れかも知れないです。
「……それで、いったい、王女様達と、どんなお話をしていたんだい?」
おそるおそるといった様子で、お父さんがたずねてくる。
「あの、お父さん、お母さん――。
私ね……。
実はアリーシャ殿下のお茶会に誘われることになっちゃったんだけど……。
あとね……。
私、帝都に住んでるでしょ?
だから中央貴族の派閥なんだって……。
アロド公爵家のディレーナ様が面倒を見てくれてね……。
って、お父さん!?
お母さん!?
お願い白目を剥く前にあきらめて話を聞いてー!」
◇閑話2・皇女セラフィーヌの就寝
あっという間の1日が、ついにおわりました。
全然疲れていなくてまだまだ踊れそうですが、もう眠る時間です。
部屋の明かりは消されて、わたくしはベッドの中。
明日は勉強もなくてお休みですが、剣と魔法の修行はするつもりです。
アンジェやエミリーちゃんも頑張っているはずです。
2人には負けられません。
なのでしっかりと寝なくてはいけません。
「あーあ……。でも、今日は楽しかったなぁ……」
何より楽しかったのは、なんといっても、クウちゃんと踊れたことです。
しかも、お互いの初めての相手として。
本来ならわたくしとクウちゃんは女の子同士なので公の場では踊れないのですが、勝負になって本当によかったです。
他の方々と踊るのも楽しかったです。
クウちゃんが近くにいてくれればもっと楽しかったのですが、クウちゃんは私と踊った後で食事に行ってしまいました。
踊る前にも、お腹は一杯になっていたと思うのですけれど……。
見つけた時にはダウンしていました。
さすがのクウちゃんも食べすぎには勝てなかったようです。
本当に、クウちゃんはいつでも楽しくて素敵です。
「でも……しばらくお別れかぁ……。寂しいな……」
クウちゃんは、今日で行事に一段落がついたので、またしばらくの間、素材探しの旅に出るそうです。
なので当分は大宮殿には来てくれません。
寂しいですけれど、クウちゃんには仕事があります。
こればかりは仕方ありません。
お父様となにやらお話もしていたようなので、ミスリルのアクセサリーのような特別な品の受注を受けたのかも知れません。
本当にお父様ったら……!
クウちゃんに大変な仕事をさせて……!
考えると腹が立ってきました。
「わたくしからクウちゃんを引き離すだなんてっ! 許せませんっ!」
怒って、赤面します。
今の嫉妬は、さすがにとても恥ずかしいものです。
そばに誰もいなくてよかったです。
私は息をついて、気持ちを落ち着けました。
ああ、でも……。
わたくしは、ずーーーっとクウちゃんのそばにいたいのです。
大人になっても。
ずーーーーっと。
こんなことを思うのは変なのかも知れませんけれど。
でも、そう思ってしまうのです。
だって今、毎日が楽しくて仕方がないから。
ずっとずっと。
続いてほしいと願うのです。
◇閑話3・クウちゃんさまのいつもの夜
パーティーの後、なんとなく『陽気な白猫亭』に寄ってみた。
今夜もお店は盛り上がっていた。
ロックさんが酔い潰れて寝ていたので悪戯することにした。
「さーみなさん!
お立ち会い!
ここに取り出しましたるは、今流行りの姫様ドッグの材料!
辛味子の粉末でございます!
これをこうして――。
酔っ払って寝ている一流冒険者の鼻に近づけると――。
果たして!
どうなるか!
さあ、実験してみよー!」
「ぶほっ! ぶほぶほぶほおおおおぉぉっ!」
「はい! むせましたー!」
どっとお店が湧いた。
やったぜ。
笑いの渦が、今まさに、ここに生まれたよ。
「じゃあ、私はこれで」
「待てクウぅぅぅぅぅぅぅぅ!」
「うわおっ」
首根っこを掴まれた。
「あれロックさん、酔っ払ってるんだよね? なんでそんなに元気なの?」
「今ので目が冴えたわ! てめぇ、よくもやってくれたな!」
「あはは。うけたよー」
「うるせぇ! このやろう! おまえもこうしてやる!」
「ぶほおぉぉぉぉ! ぶほぶほっ!」
テーブルに置いた辛味子をつかんで、ロックさんが鼻と口に押し付けてきた!
「わははははははは! はい! むせましたー!」
「お、女の子になんてことするんだろうねこの人はー!」
「うるせぇ! 男女平等だ!」
「ぶほっ! ぶほっ!」
くそー!
押し付けられた分、私の方がダメージが大きい!
でも負けない!
「あ! ブリジットさんがボンバーに告白されてる!」
「はぁ?」
今だ!
素早くアイテム欄から取り出した辛味子を、ロックさんの鼻と口に押し付ける!
「ぶほあぁぁぁぁ!」
「ざまぁ! ぶほっ! ぶほっ!」
くっ。
私にもダメージの蓄積が!
と、そこにメアリーさんが来た。
「2人とも、いい加減にしてくれないかなー?
食べ物を粗末にして!
あと床、掃除してくれるんだよね?」
怒ってる。
見れば床に、辛味子が散らばっていた。
ごめんなさい。
掃除します。
もちろんロックさんも一緒にね。
◇閑話4・令嬢ディレーナの就寝
今日も1日がおわりました。
夜の遅い時間――。
わたくしはようやく、自分の部屋で1人きりになります。
わたくしは、今日も上手くやれたのかしら?
部屋で椅子に座り、鏡に写った自分にわたくしは問いかけます。
皇妃候補。
聖女候補。
最近ではそのように呼ばれることも多いわたくしですが、自身の立場が非常に脆いことは自覚しています。
わたくしは、失敗したのです。
本来であれば表舞台から消えてしかるべき存在です。
なのに許されました。
お父様にも叱られることはありませんでした。
お父様は、わたくしの件を丁度よかったと言っていました。
お父様は長年に渡って現皇帝と反目し、何かと文句をつけてきました。
間違いなく反皇帝派の筆頭です。
わたくしもその娘として、ずっとアリーシャとは反目してきました。
だけど、陛下には真実、精霊の加護がありました。
山脈を隔てた東諸国では、
「精霊の加護など帝国にあるはずがない。悪質な政治工作だ」
と、信じられていないようですが――。
帝都に来れば真実だと理解できます。
帝都にいた昨日までの怪我人や病人が1人残らず全快していたのです。
病に倒れて死を待つばかりだった老年の元執事が、走り回れるほどになっていたのには本当に驚きました。
さらには演説会。
陛下を包んだ光の柱はわたくしたちも直に見ました。
あれはまさに、精霊の加護でした。
精霊は、帝国を選んで帝都に現れたのだ――現皇帝を選んだわけではない。
それが今までのわたくしたちの見解でした。
でも、そうではなかった。
それがハッキリと示された瞬間でした。
それを見て、多くの中央貴族がそれまでの反目を忘れて手のひらを返しました。
状況は変わったのです。
精霊の加護を持つ皇帝。
その権勢は、すでに帝国内では圧倒的なものです。
お父様は、口では、あんなものは悪質な詐欺だ、何かの魔道具を使っているだけのことだと言っていましたが――。
内心では冷静に――。
これ以上の反目は失脚を招くと判断していたようです。
わたくしが事件を起こしたことで、ちょうどタイミングよく頭を下げることができたわけです。
皮肉な話ですが、結果としてはよかったのでしょう。
クウちゃんのことは、お父様には言いませんでした。
わたくしはただ、陛下のお膝元で精霊様に救われた。
そして精霊様に懺悔し、許された証として指輪をいただいた。
そうとだけ伝えました。
お父様からは、何の追求も受けませんでした。
聡明なお父様のことですから察してはいると思いますが、あえて触れないで置いたのでしょう。
わたくしは自分の顔を見ながら、あらためて今後のことを考えます。
方針としては決まっています。
アリーシャ達との関係を深め、信頼を勝ち得、皇妃の座を射止める。
それこそがアロド家のためになる最良の道です。
わたくしは名門貴族家の娘として――。
許された以上――。
その努めを果たす気ではいます。
アリーシャたちへの憎悪は、すでにまったくありません。
なので恥を隠し、演じ続けることはできるはずです。
だけど、正直に言うと怖いのです。
またいつ――。
わたくしの耳元に、「あの声」が聞こえてくるのかと思うと……。
憎め……憎め……憎め……。
という囁き……。
あの声は、ただの幻聴だったのでしょう――。
わたくしがアリーシャを憎むばかりに自らの内に生み出した――。
でも、もしかしたら――。
そうではなかったのかも知れない――。
あの声は、わたくしを闇の底へと誘う、得体の知れない何者かからの囁きだったのかも知れない――。
そう思ってしまう自分もいるのです。
その恐怖は、誰にも言えません。
事情聴取の時には、「あの声」のことも素直にすべて話しましたが――。
それはすでに過去のことです。
事件は、何事もなかったということで、おわったのです。
言えば、事件をぶり返すことになります。
わたくしは悪くなかった。
と、主張しているのだと思われても仕方がありません。
それは悪手です。
お父様にも迷惑をかけることになるでしょう。
なので私は、耐えるしかないのです……。
囁きの恐怖に……。
わたくしは最近、祈りが日課になりました。
形だけではない、心からの祈りです。
それは精霊様への祈りですが――。
わたくしが膝を折るのは、台の上に置いた聖女様の肖像画です。
もちろんわたくしを救ってくれたのはクウちゃんですが、それは十分にわかっているのですが――。
優しく微笑む聖女様のご尊顔に――。
わたくしは光を感じるのです。
それは本当に、心の底から不安の和らぐ光でした。
わたくしは椅子から立ち上がって、今夜も聖女様に救いを求めます。
「聖女様……。どうか、わたくしをお救いください……。どうかわたくしに光のお導きをお与えください……」
わたくしは今夜も聖女様に祈ります。
すると本当に不思議ですが、心の不安が和らぐのです。
闇が遠ざかるのを感じます。
光を感じます。
そして、わたくしは今夜も眠りにつきます。
明日はまた、公爵家の娘として自分を演じるために――。




