128 閑話・信徒ウェーバーは心の平穏を取り戻した
愉快だ。
実に愉快だった。
私はゾル・ウェーバー。
大商人であり、聖女様を心から信仰する1人の信徒。
このところ私は不快を隠しきれずにいた。
理由は明白だ。
先日の大演説会において、現皇帝ハイセル・エルド・グレイア・バスティールに精霊様の祝福が降りたからだ。
私もそれは見た。
見惚れるほどに美しい光の柱は、人の手で作り出せるものではない。
あれはまさに精霊の御業――。
祝福と呼んで差し支えのないものだった。
帝都では、皇帝が光の加護を得た――聖女に並ぶ存在、すなわち「聖者」となったのだと沸き立った。
あの祝福を見た者がそう思うのは無理もないと理解することはできる。
私とて、そう思えなくはなかった。
だが、それは認められなかった。
何故ならば――。
光の化身たる唯一の存在、「聖女」ユイリア・オル・ノルンメストに並び立つことができる者など――。
この世界に、いてはならないのだ。
聖女様こそが唯一の光として、この世界を照らすべき者なのだ。
ふたつの光はいらない。
光は唯一だからこそ、等しく世界を照らす。
私は密かに、聖女様のため、すべてを失ってでも、どんな手段を使ってでも、皇帝は殺さねばならぬと決意していた。
他に手がなければ、この身に邪悪を刻み、皇帝の前で爆発してもよかった。
家族を――可愛い孫のアリスを生贄に使う覚悟すらあった。
だが決意したところで、ふと思い出した。
この帝都には精霊がいるのだ。
おそらくは祝福と共に現れ、第二皇女の呪いを解き、自由に空を飛び、気ままに生きている空色の髪の少女が。
確証のある話ではなかった。
ただの推測だ。
しかも、普通なら有り得ないと一笑に付すレベルの推測だ。
ただ、クウと名乗るその少女とわずかながらに接して、おそらくそれは真実なのだろうと思うようになっていた。
感覚的なものだ。
クウと名乗る少女には、あの日、私の人生を変えた――。
ユイ様に見たものと同じ「何か」を感じられたのだ。
それが何かはわからない。
わからないからこそ、感覚的なものだった。
だから、聞いてみようと思ったのだ。
真実はどうなのか。
本当に皇帝は聖者となったのか。
本当に聖女と並び立つ存在に成りおおせたのか。
結果は――。
私の予想など遥かに超えたものだった。
そう。
この世界にユイ様に並び立つ者などいるはずはなかったのだ。
世界公認。
世界でただ1人、創造神アシスシェーラに選ばれし者。
それこそがユイ様だった。
私はその言葉を、心から素直に信じることができた。
皇帝など、並び立つどころか光の魔力すら持っていない存在なのだ。
何を気にすることがあったのか。
ああ。
本当に笑いが止まらなかった。
私は年甲斐もなく、孫ほど年下の少女と、まるで長年の友人同士であるかのように笑い続けてしまった。
だが、どうしようもない。
心から、愉快だったのだから。
暗殺計画など不要だった。
ああ。
気にする必要すらなかったのだ。
世界に光は満ちている。
ユイ様こそが世界公認の存在として、それを照らしているのだ。
ひとしきり笑った後は買い物をした。
アリスのために、店にあったすべてのぬいぐるみを買った。
アリスにどのぬいぐるみがほしいのかと聞いたら「全部」と言ったからだ。
最初、私はそれは無理だとアリスを諭した。
「あ、べつにいいですよ。アリスちゃんが気に入ってくれたのなら」
「……よろしいのですか?」
常識的に考えて、こうした個人の工房で特定の品を買い占めることは、とても褒められた行為ではない。
経営の安定している店であれば嫌がられることが大半だ。
「そりゃ、転売目的で買い占めなら断固拒否するけど、アリスちゃん、私のぬいぐるみを気に入ってくれたんだよね?」
膝を折って目線を合わせ、クウがアリスにたずねる。
「……うん」
アリスはこくりとうなずいた。
「おへや、いっぱいにしたいの……」
「いいよ」
アリスの頭をなでて、クウは優しく微笑む。
「ほんと?」
「うん。きっと、すごく可愛いお部屋になるよー」
「うんっ!」
人見知りの激しいアリスが、早くも心を許したのか明るい笑顔を見せた。
「ありがとう、てんちょーさんっ!」
「クウだよ。私のことは、クウちゃんって呼んでね」
「ありがとう、クウちゃん!」
「どうしたしまして、アリスちゃん」
「ははは。ここに連れてきたのは、どうやら正解でしたな。クウちゃん――と私も呼んでいいですかな?」
「うん。いいよー」
「――では、クウちゃん。アリスとよかったら友達になってやってください」
「うん。いいよー。
アリスちゃん、これからよろしくね」
「うんっ! クウちゃん!」
私はあまりに楽しく、また笑ってしまった。
精霊と友誼を結べたからではない。
そんな打算はなかった。
この世界に現れた精霊の少女を、何かに利用するつもりは毛頭ない。
ただ、引っ込み思案でなかなか友達のできないアリスに、明るく陽気な友達の出来たことが嬉しかったのだ。
店に帰ると、ウェルダンが戻ってきていた。
退職届を出してくる。
店を辞めて行商人からやり直すと言う。
二度の失敗をやらかした男だ。
本来なら好きにしろと追い出して二度と関わらないものだが、妙に強い目をしているのが気になった。
話を聞いてみると、昨夜、私の護衛キャロンと、一度目の失敗の原因となったふわふわ工房の少女と、一緒に酒を飲んだという。
工房の少女は未成年なので、酒ではなく果実水だったというが――。
酒を飲ましていたら問答無用で叩き出していたところだ――。
少女の名を聞いてみると、クウとのことだった。
空色の髪をした、馬鹿みたいに能天気なエルフの娘だとウェルダンは言った。
ともかく大いに騒いで。
また商売がしたいと強く思ったそうだ。
「よかろう」
私は退職届を受け取った。
1つの提案と共に。
ウェルダンとは、個人の取引相手という形で新たに契約を交わした。
こうしておけば、商品の仕入れや販売をウェーバー商会の本店や支店で円滑に行うことができる。
たとえ辞めたとしても、縁が切れることはない。
「ありがとうございます!
この私を誰だと思っているのか――。
もう一度、世間に教えてやろうと思います!」
ウェルダンは、きっと遠からず、商人として再び名を馳せるだろう。
私にはその予感があった。




