1277 覚醒のナリユ卿!
「どうぞ」
ユイが笑顔でナリユ卿とオルデを招く。
いったい、何の用件なのか。
私は思っきり警戒した。
いや、うん。
ナリユ卿に襲われるとか、そういう意味での警戒ではないけど……。
ナリユ卿のことだし……。
どうせ斜め上のことを言うに違いない、と……。
「実は皆さんに、感謝したいと思いまして」
ナリユ卿が言う。
「感謝……?」
私はますます疑って、仮面ごしながらもナリユ卿を見据えた。
「はい。僕は今まで、実はよくわかっていなかったんです。オルデには言われていましたけど、みなさんの気持ち、とか。そういうことを。もちろん、僕は僕なりによかれと思って、いろいろとしてきたつもりはあるんですけど……。
だけど、先程の儀式の、祈りの時……。僕の心は空っぽでした。
僕たちの輝かしい未来ではなくて、ちゃんと戦争のことを思ったんですけど……。その時に気づいたんです。
ああ、僕は本当は、何にも考えていなかったんだ、なぁ、と……」
これはもしかして、進歩のある話なのかな……?
私は耳を傾けることにした。
「僕は陽射しを見つめていました。不思議な陽射しでした。まるで、みんなの祈りが溶けて、空の上へと昇っていくような」
私は心の中で、ナリユ卿の言葉に同意した。
それは私も感じたことだった。
「その中で聞こえたんです……。僕にも、声が……」
やはりナリユ卿は、成長を始めようとしているのかも知れない。
セミの幼虫が、長い長い土の中の生活をおえて――。
ついに土から出て――。
羽化して、空へと飛び立つように――。
「それはまるで、愚民の皆さんの笑い声のようで……。考えていたのですが、それこそがきっと希望というものなのですよね。僕の目指す未来なのですよね……。ありがとうございます。僕はついに気づくことができました」
一部に気になる言葉はあるけど……。
とはいえ、何やら開眼したっぽいし、ここは流しておこう。
と思ったら。
「僕の使命! それは、すわなち! あんな戦争を引き起こしてしまった愚民の皆さんを! 知性も理性もなく、ただ本能の赴くままに生きてしまってきた、野生動物同然だった国民どもを! 正しい光の方向へと導くことなのですよね!」
ナリユ卿が一気にまくしたてて言った。
思わず私は変な声を漏らした。
ナリユ卿はそれを肯定と捉えたようで、さらに言葉を続けた。
「お任せ下さい! 僕も国に帰ったら、国で借金をしてでも愚民どもにパンとスープをごちそうしてやりたいと思います! 愚民というものは、お腹さえ膨れれば幸せなのですよね! その上で国の家畜となるように正しい指導を――。ぐはっ」
ハッ! いかん!
あまりの馬鹿さ加減に、つい蹴ってしまった!
その場にうずくまる程度だけど。
「す、すみません……。間違えました……」
うずくまりつつ、必死に顔を上げて、ナリユ卿が涙目で謝ってくる。
わかってくれた!?
つい蹴ってしまったけど、結果としては大正解!?
と私は一瞬思ったけど……。
「パンとスープではなく……。愚民にはパンだけで十分なのでしたね……。どうせ食べ物の味なんてわからない者たちなのですから……。ぐはっ」
わかっていなかった!
私はつい、また蹴ってしまった!
私はできるだけ冷静に、オルデにたずねた。
「ねえ、オルデ。いったいこの馬鹿は、どこで愚民なんて言葉を覚えたの?」
今までは使っていなかった気がする。
つまり以前より、状態が悪化している気がするんだけど。
「申し訳ありません。ハッキリとは……。私も再会したばかりで、まだまともに会話もできておりませんので……。ただ、少ない会話から推測するところ、おそらく、ナリユが最近雇った家庭教師からだとは思いますが……。これでも彼は、成長しようとしているようで……。最近では、真面目に勉強もしているようなのです……」
「その結果が愚民?」
「はい……。どうやらそのようです……。本当に申し訳ありません」
「いや、うん。オルデに謝ってもらわなくてもいいけどね」
さすがに彼女は悪くない。
本人が言う通り、何しろ再会したばかりなんだし。
「その家庭教師はここに来ているの?」
「いいえ……。来てはいないようですが……」
「名前は聞いた?」
「すみません、名前までは……。ラムス前王に仕えていた文官で、支配者としての心得を熟知しているとは聞いていますが……」
「なるほど。前時代なら正しい価値観を持っている人なんだね」
ただ残念ながら時代は変わった。
そこを理解しないと、ナリユ卿は破滅するだろう。
とはいえ、うん……。
足元でみっともなくひっくり返っている彼に、キタイできるとは思えない。
だってキタイは私のものだしね。
キタイは、ナリユ卿のものではないのだ……。
となると……。
私あらためてオルデに目を向けた。
「オルデは頑張れそう? ナリユ卿は相変わらずどころか酷くなっているけど」
「はい。精一杯にやってみます」
そかー。
と、いつもの生返事をしかけて私は我慢した。
何故なら今の私はソード様。
可愛いだけが取り柄のふわふわのクウちゃんではないのだ。
それに、オルデにとっては深刻な話だ。
「一生に一度だけのチャンスですし……。なんとか頑張って、私だけでも贅沢三昧できるようにしたいと思います」
本人は、かなり逞しい様子だけど。
とはいえ心配だ。
このまま送り出していいものかと考えてしまうね……。
オルデの安全は担保したい。
私はチラリとユイに目を向けた。
1番簡単なのは、オルデとユイで歩いてもらって仲良しアピールをすることだけど……。
それは影響が大きすぎて後が怖いか……。
なにしろユイは、ただのおっとりした女の子ではなぃ。
この大陸で最高の権威を持つ聖女様なのだ。
仲良しアピールは適度な相手にするべきだ。
ただ、そういえば、オルデはセンセイのお墨付きということにはするのか……。
それなら、それでいいのかなぁ……。
いや、ダメか……。
以前はそれでいいやと思った気もするけど、いざ実行となると不安を感じる。
だって悲しいことに、センセイなんて存在はこの世界に存在していない。
ただのまやかしなのだ。
断じて私ではないのだ。
うーむ。
トリスティンの外側からオルデの安全の担保となれる、適切な実在の人物はいないものか。
ユイみたいに極端に高い権威の持ち主ではなくて……。
でも並の貴族以上には権力のある……。
できれば、革新的で旧時代とは相容れない人物がいい。
加えて迂闊に触れると大怪我をしそうな、常に目立っている自己主張の激しい人物がいい。
さらに言えば、怒らせると何をしてくるのかわからない怖い人物がいい。
それを裏付けるだけの武力もあって……。
そんな人間、さすがにいないかなぁ……。
いないよねえ……。
半ばあきらめつつも私は考えて、閃いた。
いたよ……。
ぴったりなのが1人……。
「オルデ、ちょっと待ってて」
私は早速、行動に移った。




