1274 閑話・メイドは今日も仕事をしていた
私はメイド。
名もなき、ただのメイドです。
でも今の私は、ただのと言えるものではないのかも知れません。
私はもともと、トリスティンの王城に下働き要員として雇われた平民のメイドです。
主な仕事は掃除に洗濯。
だったのですが……。
トリスティンが蹂躙される中、獣人からの攻撃よりも悪魔の生贄にされることを恐れた上のメイドたちが次から次へと逃げていき……。
いつの間にか王族のお世話どころか、人手不足のあまり、王太子リバース殿下の事務仕事までをも手伝うようになりました。
王族がいなくなってからも……。
何故か重要な会議の場に居合わせることも多く……。
特にソード様が来た時には、何故か必ず居合わせていました……。
ふと気がつけば、本当に不思議なことに……。
下働き要員でしかなかった私が、王家直属最後の使用人として、使用人の中で最上位の扱いを受けるようになっていました。
それで今回、ついに新獣王国との終戦調印式となった時――。
その使節団に私も入れられて――。
王家直属最後の使用人として、儀式の中で調印書とペンを机に置くという、まさに大役を仰せつかりました。
もちろん、私に作法なんてわかりません。
なにしろ私は、お茶の淹れ方すら正式に勉強したことはありません。
すべて、見様見真似でやってきました。
作法についてはジルドリア側の関係者に確認しましたが、トリスティン式の作法で構わないとのことでしたので……。
いつも通り、なんとなくそれっぽく、やるしかありません。
それで今、私はただの名もなきメイドのばすなのに……。
終戦調印式の現場たる、美しい湖岸にいるのです。
そして今……。
私の眼の前で、トリスティンの盟主たる公爵家の次期当主ナリユ卿が、その婚約者であるオリンス様に蹴られて、胸ぐらを掴まれて、説教されました。
「失礼しました」
と、オリンス様は下がりましたが――。
普通なら許されることではありません。
大切な儀式そのものを壊しかねないほどの、それは大蛮行です。
ですが、それを咎めるものはいませんでした。
エリカ王女などは、むしろよくやったと言いたげな顔です。
正直、私も同じ気持ちです。
私はトリスティンの王城で働いているからわかりますが、ナリユ卿は事ここに至っても現実感覚を持ち合わせていません。
王都の崩壊も、使用人たちの逃亡も……。
美しい場所だけで暮らす彼にとっては、すべてが他人事だったのでしょう。
ナリユ卿には、誰かが言わなければならなかったことです。
「ナリユ卿は、良い婚約者を得られたようですね」
聖女様がクスクスと笑って言いました。
さらに聖女様は皆に向き直って、今度は静かな声で告げます。
「さあ、儀式を始めましょう」
それは、オリンス様の罪は問わないという宣言でもありましたが、湖岸に向かう聖女様に異議を申し立てる者はありませんでした。
「まずは、この地で大切にされているこの湖に――。
水の大精霊様への祈りを――」
「ごほんごほん!」
ここでいきなり、ソード様がわざとらしい咳をしました。
それもまた普通なら咎められる行為ではありますが、ソード様を咎める者はいません。
人には格があります。
普通なら問題行為でも、それが許される存在というのはあるものなのです。
ソード様は聖女様のとなりに並んで、何やら耳打ちします。
聖女様はうなずいて、あらためて言います。
「失礼しました。終戦の契約は、精霊様に対してするものではありませんね。今回は精霊様に祈るのはやめておきましょう。
――皆、目を閉じて、思い描く人々に祈りを」
私たちは従いました。
すると――。
まわりで、どさりどさりと音がします。
それは人の倒れる音でした。
何事かと目を開けると、皆が倒れてしまっています。
立っているのは私と――。
聖女様、ソード様、それにセイバー様――。
「これは何のつもりですか、ソード。大切な儀式を台無しにするつもりですか?」
セイバー様がソード様に食って掛かります。
「そうだよ。どうしたの、クウ?」
聖女ユイリア様も同様にソード様に非難の目を向けます。
「あー、えっとお、ごめんねー、ユイ、リト。でもさあ、リトならわかるよね? ここでイルが飛び出してきたらどうなるのか」
「あー……。なのです。ユイ、ソードの行為は正しかったのです」
「そうなの?」
「あやうく大惨事になるところだったのです」
「代わりにさ、もっとすごいヒトを呼んでくるから、それで儀式はしよ」
「っていうと?」
「審判者マリーエ様」
「それって……。でも、マリーエ様は大丈夫なの……?」
「なんで?」
「マリーエ様にも仕事はあるよね? 映像を撮ったりしているんだよね?」
「あー、うん。それはね……」
「はぁ、もう。なら、私も行くよ。リトも言うなら必要なことなんだろうし。私もお願いすれば許してもらえるよね」
という会話が、3人の間で交わされています。
聖女様と神子服に身を包んだ2人の側近は、まるで友人のようです。
そして、マリーエ様……。
私の記憶が正しければ、それは神に近きお方の名前です。
「じゃあ、いつものメイドさん。あとのこと、お願いしてもいいかな? 寝ているヒトたちの様子を見ていてあげて」
ソード様に言われて、私は一瞬、反応ができませんでした。
驚いてしまったからです。
まさかソード様に「いつもの」と顔を覚えられているとは。
でも、私はメイドです。
命じられれば応じるのが役割。
「畏まりました」
私は静やかにうなずきました。
3人の姿が消えます。
最初からそこにいなかったかのように、こつ然と。
ただそれについては、私は驚きません。
ソード様が転移の魔術を使えることは、すでに知っているからです。
私はお見送りの現場にもいましたから。
私は、ソード様とは本当に何かと縁がありますね。
メイドさんの歴史
535 閑話・メイドは見ていた。トリスティン王国編
721 閑話・メイドは今日も見ていた。トリスティン王国編
1022 閑話・メイドは見ていた(トリスティン編)




