1234 閑話・オルデ・オリンスの試練
「――では、オリンスさん。あとは好きに、楽しくお過ごしなさい」
「はい。ありがとうございました」
主要な方々を紹介してくれて、皇妃様は私から離れた。
私はそれを頭を垂れて見送り――。
ついに1人になる。
私は、オルデ・オリンス。
いよいよ、ただの平民の娘でしかない私が社交の場に出る。
緊張で胸が張り裂けそうだった。
いきなり罵声を浴びせられたらどうしよう……。
そんな不安はあったけど……。
「ごきげんよう、オリンスさん。わたくしからも挨拶させていただいてよろしいかしら。アリーシャと申します」
なんと水の精霊様と一緒にいたはずのアリーシャ第一皇女殿下が、わざわざ私のところに来て話しかけてくれた。
私はあわてて挨拶を返す。
アリーシャ殿下は、まさに淑女の見本のように優雅な態度で、私と少しの間、気さくに当たり障りのない会話をしてくれた。
私は思った。
ああ、これが本物かぁ、と。
どこからどう見ても隙なんてない、本当に優雅なお姿だった。
きっと人生で失敗なんて一度もしたことがないのだろう。
まさに完璧。
そう確信できるお方だった。
しかも私と違って、本当に精霊様と縁を結んでいる。
アリーシャ殿下は精霊様のところに戻られると、楽しげに笑いかけられている。
精霊様も殿下には心を許している様子だ。
私は再び1人になると、姿勢を正して静かに微笑む。
普段の私なら、積極的に自分から話しかけていくところだけど……。
それはマナー違反だと勉強している。
とにかく無難に、目立っていても目立っていないフリをして、ただただ穏やかな態度で時間を経過させていく。
トラブルなくパーティーを乗り切ることが、今日の私の課題だ。
友達を作る必要はない。
というか、作れるわけもないしね……。
いくら着飾ったところで、生まれと育ちは変わらないのだ。
あああああ。
私は絶望的に気づいた。
やっぱり私、死ぬほど無謀な選択をしたぁぁぁ!?
もしかしてトリスティンに行ったら、ずっと孤独ぅぅぅ!?
友達もいない人生なんて嫌だあぁぁ!
心の中でだけ身悶えしていると……。
「ふふ。心穏やかでいられないのはわかりますが、それを表に出しては淑女失格ですわよ」
いきなり、そう声がかかった。
それは、愉快げな声ではあったけど……。
ハッと見れば、となりに、とんでもなく高飛車そうなお嬢様がいる!
絶対に高位の貴族令嬢!
それこそ逆らったら社会的に抹消されそうな!
「アロド公爵家のディレーナと申します。はじめまして」
公爵家ぇぇぇ!?
雲の上だぁぁぁ!
いや、うん、皇女様だってそうだったけどぉぉぉ!
「あ、すすす、すみません! オルデと申します!」
私は必死に頭を下げた。
「落ち着きなさい。別に、喧嘩を売りに来たわけではありませんのよ?」
「は、はい……」
「しかし、それでは先が思いやられますね」
その通りです……。
呆れた眼差しを向けられて、私の心は完全に萎んだ。
そこにソード様、ではなく、店長さんが現れた。
「ディレーナさん、あんまりオルデをイジメちゃダメだよ? その子、礼儀作法は身についていても経験的にはまだゼロなんだからさ」
「あら、クウちゃん。わたくし、イジメてなんておりませんわよ? 練習相手になって差し上げようと思っただけです」
「ですよね。すみませんでした」
店長さんは、ディレーナ様と親しい仲のようだ。
2人の会話は軽快だった。
「しかし本日は、物語の主人公のような子に水の精霊様に。なんとも晴れやかな新年会になったものですわね。どちらもクウちゃんなのでしょう?」
「あははー」
「ところで、本日はセラフィーヌ殿下もお忙しいのかしら?」
「そうですね……。しばらくはちょっと……」
「では、この子はわたくしが預かりましょうか? 今日は、そうした経験も積ませることが目的なのでしょう?」
この子とか言われているけど、どう見ても年齢は私の方が上よね。
とは思ったけど、もちろん口にはしない。
存在感という意味では、圧倒的に向こうの方が上だし。
「意地悪しちゃダメですよ?」
「あら、むしろそれをこそ経験した方が良いと思うのですれど」
「それはそうですね。じゃあ、意地悪でお願いします。今後の糧になるディレーナさん流の試練を与えてやって下さい」
「心得ました」
「というわけでオルデ、頑張ってね」
「…………」
「どうしたの?」
「あ、いえ! はい! よろしくお願いします!」
「じゃあ、いこっか」
店長さんが私の背中に軽く触れた。
とんでもないことになった……。
とは思うけど、断ることなんてできないので、どうしようもない。
「あら、クウちゃんも来ますの?」
「はい。オーレリアさんやエカテリーナさんに、まだ新年の挨拶をしていませんし。ついでにさせていただきますね」
「挨拶と言えば、わたくしたちもまだでしたわね」
「それは確かにですね。――新年おめでとうございます、ディレーナ様」
「おめでとうございます、クウちゃん。今年もご指導をよろしくお願いします」
店長さんは、明らかにただの店長さんではないようだ。
公爵令嬢のディレーナ様が自分から頭を下げる。
いや、うん。
店長さんがソード様なのは知っているけど……。
実は、公然の秘密だったりするのだろうか……。
「オルデも新年おめでとう」
「オリンス様、遅れましたが、新年おめでとうございます」
ぼんやりしていると、2人から挨拶を受けて――。
私は慌てて返した。
そして、慌てた素振りなど見せてはいけないとディレーナ様に注意されて、私は必死に心を落ち着かせて謝るのだった。
ごめんなさい、モッサ先生!
たくさん指導してもらったのに、どうにも上手くいきません!
私は先生の言葉を思い出す。
モッサ先生は常に言った。
礼儀作法も大切ですが、最終的には貴女らしくあることを一番にしなさい、と。
うん。
自分でもわかる。
今の私は、まるで私らしくない!
頑張ろう。
何しろこれは自分で決めた道だ。
萎縮していたら、道なんて切り拓くことはできない。
そもそも、ソード様が見てくれているのだ。
たとえトラブルになったって、何がどうなることはないだろう。
私の安全は完全に保障されているのだ。
どう考えても、挑戦してみなくては損というものだ。
私は俄然、やる気になった。




