1197 閑話・従騎士フロイトの決断……!
私、フロイトが最大の警戒をぶつける中、空色の髪をした異国の王女は、ケロリとした顔で言った。
「あはは。まっさかー。ただのクエストだってー」
「クエストとは何だ!」
私には先程から、王女の言っていることがまるで理解できない。
本気で何をするつもりなのか。
「……何と言われても困るけど、進化?」
「進化、だと……」
「そ。この子が進化するためにね。まあ、ちょっと見ててよ。ミレイユさんにもいいことがあるかも知れないからさー」
「いいこととは何だ!」
「ふむ」
「ふむとは何だ!」
「あ、うん。心配してあげてるの? 優しいねー」
「誰がだ! ここで騒動が起きてみろ! 私の責任になるのだぞ!」
「安心していいよー。クエスト通りなら元気になるだけだしー。消えてなくなったりはしないよー」
「そんな心配はしておらんわ! むしろ消えろ! 消えてしまえ!」
「じゃあ、ファー。まずはこの水晶を、ミレイユさんに手渡ししてあげて」
「了解シマシタ、マスター」
叫ぶ私をスルーして王女がゴーレムに指示を出す。
ゴーレムのメイドが水晶のサレコウベを手に持つ。
「ミレイユ、そんな怪しいものを受け取るんじゃないぞ」
「大丈夫だよ。私にはわかるんだ。これ、いいものだよ」
「おい!」
私は怒ったが、ミレイユまでもがこの私をスルーした。
「ドウゾ」
「ありがとう」
ミレイユが水晶を受け取る。
すると……。
不思議なことが起きた。
薄く発光した水晶のサレコウベが、まるでミレイユの中に溶けるように、光と共に消えていったのだ。
「うん。いいね。ゲームと同じだ。さすがはアシス様」
様子を見ていた王女が満足げにうなずく。
「どういうことだ! ゲームだと? アシス様とは、まさか創造神アシスシェーラ様のことか!?」
「あ、ううん。今のは気にしないで」
「なんか気持ちいい……」
胸に手を当てて、ミレイユが言う。
「おい。大丈夫なのか?」
私は思わずたずねた。
「うん。平気だよー。ものすごく、心があったまるの」
「何が心だ。幽霊の分際で」
「うわ。ひどっ」
王女が顔をしかめるが、事実は事実だ。
ヤツは幽霊。
心どころか、命すらそもそもない。
「ファーはどう?」
「報告シマス。進化ノ第1条件ヲクリアシマシタ」
「よし! いいね! じゃあ、次は、ガガンボの羽を渡して」
「おい。本当に大丈夫なのか?」
「平気だってー。ミレイユの魔力だって安定しているでしょー。消えかけたりなんてしていないよー。そもそも元気になるクエストなんだしー」
王女は相変わらずケロリとしているが――。
ミレイユの表情は、満足げだ。
それは、そう――。
まるで、この世にあった未練を、昇華させているような――。
第一、ミレイユの体は薄く輝いている。
それは今にも消えてなくなりそうな雰囲気だった。
ファーというゴーレムの少女が、大きな虫の羽をミレイユに手渡す。
すると、水晶の時と同じように――。
羽がミレイユの中に溶けた。
「進化ノ第二段階クリアデス」
「いいね」
「おい、まさか……。貴様、ミレイユを騙して利用するつもりか! そのゴーレムを強化するために!」
「人聞きの悪いこと言わないでよねー。ミレイユさんはどう? 変な感じではないよね?」
「はい……。不思議な感覚ですが、解放されていくようです……」
「おい! 解放とは、何だそれは!」
「まあ、心配する気持ちはわかるけど、ちゃんと私も魔力は見ているから、そこは安心してくれていいよー。アンデッドの浄化なんて、それこそ私は山ほど見てきてよくわかっているし」
「だ、誰が心配など! こんな幽霊女、むしろ消えてくれた方が清々すると言っているだろうが! むしろ消してしまえ!」
私は本音で叫んでいたが――。
心の中は複雑だった。
なにしろ、ミレイユがいなくなるのは、正直、困る。
私につきまとうこの幽霊女がいなくなれば、私は解放される。
好きに遊べるのだ。
だが……。
この幽霊女がいなくなれば、今まで成果を上げてきた、ミレイユを使った偵察行為ができなくなってしまう。
そうなれば、私は正騎士となることができない。
くっ!
それは、マズイ。
せめて正騎士となるまで、ミレイユにはいてもらわないと困るのだ。
それに――。
消えてしまえと叫びつつ、私の脳裏にはこの1年の生活が蘇っていた。
この1年の生活には、もう慣れてもいた。
ミレイユは、一緒に飯を食うことも、一緒に寢ることも、手をつなぐことすらできない幽霊女だが……。
苦楽は共にしてきた。
私は常に、ミレイユには消えろと言ってきたが――。
ミレイユはそれを気にすることもなく、いつも笑ってばかりいた。
私もつい、つられることもあった。
たまに、だが……。
だがそれは、思い返してみれば、悪いものではなかった。
「じゃあ、最後は陸ガニの爪ね。これを渡すとクエスト完了。ファー、進化の過程で異常があったら報告してね」
「了解シマシタ」
「……あの、私はどうなるんでしょうか?」
「ミレイユさんは、元気になると思うよー。魔力も安定しているし、消えることはないから安心して」
「あの、少しふーちゃんとお話しても?」
「どうぞ」
王女に断ってから、ミレイユがわざわざ私に向き合う。
「何の用だ?」
私は腕組みして睨みつけた。
少なくとも私に用はない。
「うん。あのね……。もしも、もしも私が消えちゃったらいけないから、最後にひとつだけ、ね……」
「何だ?」
「この1年、本当に楽しかった。ありがとう。いいお嫁さん、見つけてね」
ミレイユが私に近づいて――。
触れた。
頬にキスをしたつもりなのだろう。
実際には触れることはできず、ただ冷気を感じるだけだったが。
「バカバカしい! 貴様のように図太いヤツが簡単に消えるなど――」
あるものか!
わずかに区切った私の言葉を待つことなく――。
あまりにもあっさりと――。
ゴーレムの少女が、手に持った陸ガニの爪をミレイユに渡そうとする。
「おい待て! そもそも考えてみれば、おかしいだろう! どうしていきなり現れたヤツの言う事を聞く必要があるのだ!」
私は反射的に止めていた。
「ううん。それは、わかるんだよ」
「何をだ!」
「これは、私の受け取るべきものだって。不思議な感覚だけど、まるで最初からそう決まっていることみたいに」
「ええいっ! ともかくやめろ!」
私は陸ガニの爪を奪おうと動いたが――。
「はい、待ってねー。途中で邪魔する方が危険だよー」
「ぐはっ」
私は騎士のはずだが――。
これでもこの1年、訓練を重ねてきたはずだが――。
あっさりと簡単に、王女に引かれて、尻餅をついて転倒してしまった。
ああああ……。
ミレイユが、大きなカニの爪を受け取った。
カニの爪がミレイユの中に溶ける。
ひときわの光が、ミレイユの体を包んだ。
まるで、消えるように――。
おわるというのか。
この1年の、辛く苦しく、どこまでも鬱陶しかった――。
だが、ほんの少しだけ楽しくもあった――。
幽霊娘との日々が――。
こんなにも、あっさりと、唐突に。
「待て! 待てー!
消えるなー!
貴様が消えたら、この私の正騎士への道はどうなる!
貴様にはまだまだ、この私の道具として――。
便利に働いてもらわねばならんのだぞ!
わかっているのか!
この私の許可もなしに消えるのは許さんぞ!
待て!
待つんだ、ミレイユ!」
私は叫んでいた。
そんな私の声を聞いて――。
光の中、ミレイユは微笑んだように見えた。
「もー、ふーちゃん。私はみーちゃんだって言ってるでしょー」
「消えるなぁぁぁぁ! 貴様はこの私の――」
あああ……。
光の中に、ミレイユが溶けていく……。
私は呆然と、その光景を見つめた。




