113 閑話・副会長ウェイスは保留する
俺はウェイス・フォン・モルド。
モルド辺境伯家の長男で、次期当主。
今は帝国中央学院に在籍し、騎士として将軍としての腕を磨いている。
モルド家の領土はザニデア山脈の中北部と麓一帯であり、帝国最大のダンジョンや隣国ジルドリアにつながる山道を有する。
巨大な権益を有する一方で、昔からジルドリアとの小競り合いや魔物の襲撃が絶えない危険な地域だ。
そのため、当主および一族に求められるのは何よりも強さ。
俺も将来は、自らの領土を自らの手で守るため、訓練、訓練、そして実践の授業を学院で受けている。
だが、今は学院祭の最中。
授業はない。
生徒会の副会長としてそれなりに仕事はしつつも、のんびりと過ごしていた。
少なくとも、あの少女が来るまでは。
「……なあ、カイスト。あの子はおまえの恋人か?」
「冗談はよせ」
「いや、仲がよかったと思ってな」
「冗談はやめてくれ」
深いため息と共に、友人であり将来の主、そして次期皇帝たる皇太子カイストは倒れるようにして椅子に座った。
「ウェイス、俺は正直、心底、疲れた……」
「その気持ちはわかるがな」
嵐のように現れた空色の髪の少女は、風の勢いで去っていった。
彼女が俺たちにかけた強化魔術はすでに切れているが、余韻は体に残っている。
俺も学院生として、辺境伯家の次期当主として、優秀な魔術師は多く見てきた。
帝国中央軍魔術師団長アルビオ・フォン・ナトラザークと面会し、その魔術を目にしたことすらある。
だけど、まるで息をするような気楽さで、ふわふわ宙に浮かぶことのできる人間は今までに見たことがない。
まるで風船かシャボン玉だった。
あれほどの強化魔術も今までに見たことはない。
正直、聞きたくてたまらない自分を抑えるのに必死だった。
あの子は精霊なのか?
と。
何しろ本人がそう言っていた。
そしてカイストは、それを否定しなかった。
さらに言うならば、皇帝陛下がご承知の様子だった。
つまり、あの子は精霊なのだろう。
この世界から1000年前に消え、帝国に現れ、帝国に加護を与えた――。
あの夜の祝福を与えた――。
いや、有り得るのか!?
たとえ彼女が精霊だとしても、彼女ではないだろう、きっと。
なにしろ、どう見ても思慮のあるタイプではなかった。
むしろ逆。
ノリと勢いだけで生きていくタイプだ。
いや、だからこそ、ノリでこちらの世界に現れて、勢いで祝福を与えたのか!?
まさか!
いや、精霊とはそもそも、無邪気なところもある存在だと言う……。
あるいは、あれが本当の姿なのかも知れない……。
俺の中では、精霊とはもっと荘厳でもっと神聖で、近寄ることすらはばかられるような存在だとの認識があったが。
そう、神の使徒――この世界の管理者であるかのような――。
それこそ精霊神教の連中が教え説くように。
カイストに聞きたくてたまらないが、皇帝陛下の名において秘密だと言われれば聞くことはできない。
湧き上がる好奇心は抑え込むしかなかった。
代わりに夜。
帝都の邸宅で妹のブレンダにたずねる。
「なあ、ブレンダ。おまえ、クウって子と親しいんだよな?」
俺たちは今、モルド領を離れて帝都の邸宅で暮らしている。
「……なんだよ、いきなり。……クウちゃん師匠がどうかしたのか?」
妹のブレンダは、それはもうリラックスした格好でソファーに寝そべっている。
ショートパンツにタンクトップ姿。
あられもないとは、まさに今の妹のことだ。
「あの子は精霊なのか?」
「アニキー。それを聞いてどうするのさー」
「どうもしない。ただの好奇心だ」
「なら、知らね」
アクビと共にそっぽを向かれた。
怒る気はない。
むしろ軽々しくしゃべる方が問題だろう。
「まあ、それはならいい。明日は勝てるんだろうな?」
「当然さ!」
勢いよくブレンダが身を起こす。
拳を握って勝ち気に笑う。
「少なくともモルドの家に恥はかかせねーから、安心してくれ」
そこからは、クウの強化魔法――魔術ではなく魔法だそうだ――が、いかに凄まじいかを聞かされた。
それと、クウとの特訓も。
驚かされたのは、そうして強化されたブレンダの全力を以てしても、クウに一撃すら与えることができなかったという事実だ。
それどころか、メイヴィスと2人がかりでも軽くいなされたという。
ブレンダとメイヴィスは女生徒とは思えないほどに強い。
2人同時では俺でも苦戦する。
強化された状態では、俺は負けるだろう。
いったい、クウの強さとはどれほどのものなのか。
「……念の為に聞くが、メイに怪我はなかっただろうな?」
「あったぞ」
「なに!?」
「ああ、すぐにクウちゃん師匠がヒールしてくれたから傷ひとつ残ってねーよ」
「……ヒールとは、治癒の魔術か?」
「白い光の魔法」
「白い光っておまえ――。
まさかそれは――。
……いや、まあ、それもいい」
「お。かしこくなったな、アニキ。なんにしてもメイの応援はしてやれよ。一応、婚約者なんだしな」
「当然そのつもりだ。婚約者の義務としてな」
ブレンダの親友であるメイヴィスは、俺の婚約者でもある。
子供の頃から、そう決まっている。
「アンタらと来たら。メイはメイで戦闘狂だし」
「良いことだろう? モルドに来るんだぞ。気に入らないヤツを殴り飛ばせないひ弱ではとても妻など務まらん」
「そりゃそうか」
「それに今日、クウとカイストがイチャついているところを見たが、まるで羨ましいとは思えなかったぞ」
「イチャついてたって……。またすげーな」
「カイストは、クウが去った後に疲れ切って椅子に倒れ込んだぞ」
「……なんだそりゃ」
なんだと言われてもただの事実だ。
「正直、俺は思った。俺とメイの義務的な関係の方が楽でよいとな」
「それ絶対、イチャついてたとかじゃなくて、クウちゃん師匠が普段通りに好き勝手していただけだろ」
「そうかも知れないが、俺は普段を知らないから判断はできん」
「そりゃそうか」
クウの正体については気にしないことにした。
判明したようなものだが、保留しておく。
まずは明日の武闘会に完勝することが最優先事項だ。
戦うのはブレンダたちだが、横槍を入れる輩が現れないように周囲には十分な警戒を向ける必要がある。
それが俺やカイストの仕事だ。
ただ、それについてはすでに打ち合わせがおわっている。
今すべきことではない。
俺はブレンダを誘って庭に出た。
もちろんブレンダには厚手の服と防具を着させて、だ。
寝るまでにはまだ時間がある。
今すべきこと。
当然、ブレンダへの指導だ。
「アニキ、ビビるなよ? 私、クウちゃん師匠の指導で今までとは別人だぜ?」
「いいだろう、かかってこい」
精霊による指導の成果、見せてもらおうか。
…………。
……。
正直、危なかった。
1戦目で1本どころか大剣の威力に押し負けて吹き飛ばされるところだった。
なんとか勝ったが……。
俺は早々に剣を鞘に収めた。
「おいおい、稽古だろ? なんで1戦でおわりになるんだよ?」
「指導と言ったが、本当はただの確認だ」
「なんだよ拍子抜けだな」
「本気の力は明日に取っておけ。それにしても、それなりには強くなったようだ。兄として誇らしく思うぞ」
「ははっ! ありがとよっ!」
俺は当然のような顔をして、なんとかその場をごまかした。
ブレンダの奴、強くなりすぎだ!
まるで暴風だったぞ!
兄として妹に負けるわけにはいかない。
当分の間、ブレンダへの指導はなしだ。
……学院祭がおわったら、死ぬ気で稽古をするとしよう。
 




