1126 閑話・小隊長は見ていた
妖精様が現れたことで、親殺しの逆賊ライアルの成敗に燃えていた我々の軍は、いきなりの大混乱に陥った。
なにしろ妖精様は、精霊様の御使い。
俺たちの住む地域では遥か祖先の代から祀られてきた神聖な存在だ。
妖精様の姿を見間違えることはない。
何しろ小さくて――。
羽があって――。
愛らしい。
伝承にある通りの姿だった。
それに、光をまとっている。
俺は、最初に妖精様に声をかけられた。
案内を頼まれたので、妖精様を本陣まで連れて行った。
その流れで自然、俺は本陣の前に立っていた。
まわりにはすでに大勢の兵士がいて、妖精様の姿を一目でも見ようと、本陣に目を向けている。
驚いたのは、妖精様だけではなかった。
妖精様に呼ばれて、いきなり空中から女の子が現れたのだ。
その子は、年齢は10代の前半くらいだろう。
まだ明らかに若い。
だが、長い空色の髪を煌めかせて、優雅な礼装姿で華麗に舞い降りるその姿は、まさに神聖で――。
正直、見惚れる他はないものだった。
他の連中も同じだった。
いきなり軍陣に現れた謎の少女に、剣を向ける者はいない。
「えっと、皆さんがここの今の偉い人ですか?」
「あ、ああ……。そうだが……」
陣内にいた豪族の皆様が、少女に問われて、しどろもどろながらに返事をする。
「初めまして。私はスカイ。皇女セラフィーヌ殿下の旅の伴を務める者です。この度はいろいろとお伝えするためにやってきました」
「それは、いったい――。いや、皇女殿下……?」
「はい」
スカイと名乗った空色髪の少女が、柔らかな笑みでうなずく。
なにしろ空中から突然に現れたのだ。
ただの少女ではないのだろう。
大勢の兵に囲まれながらも、彼女に緊張の様子はない。
「いわゆるアレです。皇女殿下の世直し旅というヤツですね。知っていますか? 最近流行りの物語です」
「はい……。物語としてなら……」
「実は、辺境伯家の娘のラシーダさんが襲われて殺されかけまして。それをたまたま助けたんです」
「――我々の仕業だと?」
「いいえー。犯人はすでに拘束済みですよー」
空色の髪の少女が、事件のあらましを語る。
すべては、ライアスと我らを争わせて美味しいところを頂こうというノカースによる謀略なのだと。
辺境伯は本当に病気で、それについては陰謀ではないと。
にわかには信じられない話だった。
なにしろ我々は、実際、ライアスによる弾圧を受け始めていた。
ライアスが次の辺境伯となれば、我々、内地の豪族は前辺境伯殺しの濡れ衣を着せられて断罪される――。
それ故、その前に立ち上がって、父殺しの逆賊を成敗する。
それが今回の出兵の理由だ。
父殺しの逆賊ライアスを見事に成敗した後は、ノカースが帝国中央との間を取り持ってくれる算段になっていた。
しかし、そのノカースはすでに帝都だという……。
「それで、どうしますか? 人数はさすがに限られるけど、辺境伯に会いたいのなら連れていきますよー。シャグルさんもいますし」
「少し、時間をくれないか……?」
「はい」
妖精様と少女が陣内から出てくる。
「さっきは案内ありがとねー」
「いえ。とんでもありません」
妖精様に話しかけられて、俺は直立した。
「ねえ、スカイさま。この人たちに何かしてあげたら?」
「何かって?」
「面白いこととか?」
「そだねー。じゃあ、見せてあげるー。みんなー、集まってー」
言われるまま、俺たちは集まった。
そもそも集まっていたが。
いったい、何が始まるのか……。
空色の髪を翻して、少女がくるりと回った。
一回転すると――。
胸の前で猫の肉球のようなポーズを取って、
「にくきゅうにゃ~ん」
と、笑顔を作った。
俺たちは沈黙した。
今のは、いったい、なんだったのか……。
「……どうだったかな?」
緊張した面持ちで少女がたずねてくる。
「はい。可愛らしかったですが」
俺は素直に答えた。
「あははー。そかー。それはよかったー。じゃあ、次行くねー。波ざはざばー」
今度は少女が広げた両腕を揺らす。
波なのだろう。
俺は拍手をした。
すると、まわりの連中もみんな拍手をした。
「よーし、3つ目ー!」
まだやるようだ。
いいぞー!
と、誰かが叫んだ。
その後も、休む間もなく少女の芸が続いて、大いに盛り上がった。
俺たちは基本、宴会が好きだ。
少女の芸は、どれも正直に言えばくだらなかったが、くだらないからこそ俺たちの気風には合っていた。
俺たちは、前列の者はしゃがんで、広めに輪を作って、空色髪の少女の芸を大いに楽しませてもらった。
妖精様も楽しく、俺たちの上を飛び回った。
それもまた盛り上がりを加速させた。
歓声の中、陣内から豪族の方々が出てきた。
「おまえたち、今は戦の前ぞ! 何を宴会のように騒いでいるのか! いくら妖精様がいるとしても、そろそろ大概に――」
怒る声を気にせず、少女は言った。
「よーし、次は、ちょっと休憩! 大サービスの祝福だー! ブレスー!」
少女が両手を天に掲げた。
その両手から、たくさんの光が散って、青い冬の空に舞った。
そして、ひらひらと美しく降りてくる。
な……。
それは間違いなく、超常の光景だった。
俺たちは見とれた。
空に光が輝く。
それは、春の陽射しのようだった。
今まで見たことのないくらいに、柔らかくて、暖かくて、新鮮な。
その空から、光のかけらがひらひらと舞い降りてくる。
俺たちのところに……。
光のかけらが体に触れた瞬間、俺は不思議な感覚に襲われた。
光が体に染みていくのがわかる。
全身に静かに活力が漲る。
心が晴れ渡るのを感じた。
それと同時に、軽く捻挫をしていた左の足首に疼きを感じた。
足首の痛みが、すうっと引いていくのがわかる。
「これは、真の春の光だ……。妖精様が、精霊様を連れてきたんだ……」
誰かが言った。
俺も思った。
そうかも知れない、と。
俺たち、内陸の山の民には古くからの言い伝えがある。
海側で暮らし、外の世界から利益を得て、時代は貿易だなんだの言っている連中がとっくに捨てた世界の真実だ。
妖精様の伝承。
精霊様がこの世界を去って幾年。
この世界から、すでに本当の春は――本当の命の息吹は失われている。
だけど妖精様は、まだこの世界にいる。
俺たちが信仰を続けて、いつか、その祈りが妖精様に届けば――。
妖精様は現れ――。
そして、俺たちの信仰を認めてくれれば――。
妖精様は、精霊様をこの世界に連れ戻してくれる――。
その時――。
世界には、本当の春が訪れる。
その春の光は暖かく、優しく煌めいていて――。
どんな傷をも癒やし、俺たちに本当の幸せを導いてくれるのだ――。
ああ……。
俺は今……。
その瞬間に、立ち会っている……。
里にいる父も母も……。
すでに亡くなった祖母と祖父も……。
みんな、喜んでくれる……。
気がつけば俺もまた、他のみんなと同じように祈りを捧げていた。




