1063 ヤバンの罠3
「ディスペル。リムーブ・カース」
私は解呪魔法をかけた。
黒い泥は、ただの黒い泥になった。
「ひゃはははははははははははは! これはナァ、悪魔が作ったってハナシの、とんでもねえ呪いの品でよお! この泥からァ、無限の死霊が湧き出て、周囲一帯を闇の領域に変えちまうって代物ヨォ! 泣いて謝ったって、もう手遅れだが、どうしてもつっーんなら、助けてやってもいいゾォ! 闇の力を浴びれば、死霊は襲ってこねぇからよぉぉぉ! もっとも、その時は、俺らの奴隷だがナァ! ひゃははははははははははははははははは!」
ヤバンが狂ったように笑った。
時が流れた。
黒い泥からは、何も出てくることはなかった。
「あれ?」
ヤバンが首を傾げる。
「親分、これってどういう……?」
「まさか、失敗ですかい……?」
勝利を確信してた部下たちも困惑の表情を浮かべ始めた。
「おい、フリオ! どうなってんだこれはヨォ!」
ヤバンが叫んだ。
しかし返事はなかった。
なぜならフリオールは、とっくにゼノに連れて行かれて闇の世界だ。
しっかりとオハナシされていることだろう。
さて。
私はワイバーンくんを胸に抱いたまま、ポカンと成り行きを見ていたモルドの人たちにたずねた。
「ということを叫んでいるんですけど、どうしますか?」
「お、おう……。じゃねえ! おい、とっ捕まえろ! 不発だかなんだか知らねえが今のは辺境伯家への明確な攻撃だ!」
我に返ったバスクが叫んだ。
バネの留め金が外れたようにまわりにいた兵士たちが動いた。
「チキショウ! おい、野郎ども! やっちまえ! こっちには、闇に潜む者がついてるんだ! たかが領主兵ごとき敵じゃねえ!」
ヤバンが剣を抜いた!
部下たちも抜いた!
「フリオ! あいつら幻惑させろや! いつもの手順で頼むぜ!」
ヤバンが叫んだ!
しかし返事はなかった!
「親分……。フリオールさんなんですがね……。さっき、闇の中に引きずり込まれたんで、もういないかもしれやせん……」
「はぁ!? あいつが闇の中に潜むのはいつものことだろうが!」
ヤバンと部下の会話を聞きつつ……。
私、思う。
ヤバンについては、トリスティン送り……。
ううん……。
ジルドリア送りにした方がいいのだろうか……。
なにしろ、ジルドリア王国の公爵家が関わっているようだし。
闇の主に睨まれて、闇の眷属である吸血鬼フリオールが嘘をついたとは思えないし……。
ただ、ここはモルド領、しかもお城の本丸だ。
まわりには領主本人までいる。
そんな中で、ヤバンを送ってしまうのはどうなのだろう。
問題な気がする。
うむ。
私は身勝手な子ではないのだ。
思慮深く、みんなの顔を立てる子なのだ。
ここはお任せしよう。
私は様子を見ることにした。
「フリオ! 返事をしやがれ、フリオ!」
尚もヤバンが叫んだ。
よほどフリオールの力を頼りに、好き勝手してきたようだ。
その力がなければ……。
「降参しろ。全部しゃべるなら、命だけは助けてやるかもしれねぇぜ?」
ヤバンたちを半包囲して、バスクが言った。
「ナメやがって……。ナメやがってよぉぉぉぉぉぉぉ! こうなれば――。この俺様の力を思い知らせてやる!」
あ。
ヤバンが懐から、怪しげなクスリを取り出した。
それを一気に飲もうとする。
「ディスペル。リムーブ・カース」
私は解呪魔法を使った。
ヤバンがクスリを飲む。
「へ、へへ……。皆殺しにしてやるぜ……。この俺の力、見せてやるよぉぉぉぉ! うおおおおおおおおおおおおおお!」
しかし、なにも起きなかった!
「あれ?」
ヤバンが自分の体を確かめる。
「捕まえろ!」
「はっ!」
バスクの号令で、一斉に兵士たちが動いた。
ヤバンとその一味は捕まった。
さすがはモルド兵。
抵抗する連中もいたけど、すべて軽々と蹴散らしてしまった。
全員が地面に倒されて――。
全員がロープでぐるぐる巻きにされたのを見届けてから――。
私は、ワイバーンの幼子を抱いたままこっそりと宙に浮いた。
ワイバーンくんを巣に返してあげないといけない。
私はワイバーンの住処に急行した。
結果としては危ないところだった。
吸血鬼の仕業に遅ればせながら気づいたザニデアの古代竜数名が、奪還作戦を決行しようとしていたのだ。
特に、ワイバーンと親交があって、幼子たちを可愛がっていたメルスニールさんという竜の女性がそれはもう怒っていた。
私は、なんとか取りなした。
幸いにも、みんな、わかってくれた。
もちろん、幼子は返した。
ちなみに、フラウとエミリーちゃんはいなかった。
2人は、巨大ゴーレムの生成に相応しい良質の岩を探して、ザニデア山脈の南部に出かけていた。
エミリーちゃん、大冒険していそうだ。
要塞の上の広場に戻ると……。
何事もなかったかのようにモルドの人たちが宴会をしていた。
すごい胆力だね。
犯罪者たちは、とりあえず投獄されたようだ。
私がワイバーンの幼子を返してきたことについては、咎められなかった。
ただ、うん。
お酒を飲みながらモルド辺境伯が、
「しかし、惜しかったと言えば惜しかったな。ワイバーンの幼子なんて、普通は手に入るモンじゃねえ貴重品だ。躾ければ乗れるっていうしな。売ってくれるなら買いたいところだが」
なんて言うから、真面目な顔で言わせてもらった。
「言っとくけど、そのせいで竜族の襲撃を受ける寸前だったからね? もしも自分の意思で手に入れようとするなら――」
「失礼いたしました、そのようなこと、我々は考えてもおりません。精霊様、どうかお怒りをお鎮めください」
辺境伯の頭を押さえて、辺境伯の奥様が頭を下げてくる。
精霊と名乗った記憶はないけど……。
私の個人情報は、それなりに流れているようだ。
まあ、いいけど。
それならそれで話も早いし。
「おう! 今のは、ただの戯言だ! そんな気はないから忘れてくれ!」
「ならいいけど……」
昔から帝国では、ザニデア山脈には深入りしないのが不文律だった。
麓の一帯から大迷宮のダンジョンまでと、東西を繋いだ街道のある谷の周囲だけを管理領域としてきた。
なので、竜族との衝突もなかった。
「あと、私のことはクウちゃんで結構です。様とかいりません。見ての通りの子供なので敬語もいりません」
「ふふ。わかったわ。いずれにせよ、約束は守ります」
「はい。お願いします」
「ねえ、クウちゃん。それで、なのだけど……」
奥様が言う。
「はい。なんですか?」
「できれば、竜族の方とお話しさせていただくことはできないかしら? また同じような事件が起きた時のためにも」




