1040 閑話・はぐれ狼オムの成り上がり、ファーネスティラ編
「クソがぁぁぁぁ! またも失敗だとぉぉぉぉぉ!」
激しい怒気と共に、男がグラスを床に叩きつける。
「何が『ローズ・レイピア』だ! あんなものは、エリカ王女がお気に入りを集めただけのオママゴト組織だろう! その女1人拉致できないとは――。所詮はチンピラなどただのゴミか……。無能共が」
男は、このファーネスティラの町を長年に渡って牛耳る、連絡会と呼ばれる地域振興組合の幹部の1人。
名はカチグ・ミニナール。
今、その男――カチグは、豪華に装った自慢の執務室の中で――。
無駄に大きな机の椅子に座って――。
使用人の1人から、この町に監察にやってきた『ローズ・レイピア』隊員にして貴族令嬢ファラータ・ディ・オスタルの――。
3度目の拉致に失敗したとの報告を受けたところだった。
俺はオム。
海洋都市から流れ着いた、チンケなはぐれ狼。
昔は、海洋都市を支配するファミリーの一員として、肩で風を切って歩いていたこともあった俺だが――。
最初のファミリーは、新獣王国の若き英雄ナオ・ダ・リムの手によって1日で消滅させられ――。
別の海洋都市で、ようやく入ることのできた次のファミリーは……。
ある日、突然……。
青の魔王の襲撃を受けて、ボスが行方不明となり……。
その後は分裂を繰り返して、力を失い……。
最後は結局、新獣王国に恭順した他のファミリーによって併呑され、むなしく消滅してしまった。
俺は、そんな混乱の中、海洋都市にいた仲介屋の紹介で、カチグに金で雇われることになった。
最初はただのチンピラの1人だったが――。
デカい体と強面を見込まれて、護衛の役に付くことができた。
カチグも、俺のことはそれなりに気に入っているようだ。
なにしろ俺がうしろにいて、睨みつけてやれば、町の連中なんてすくみあがって実に素直な良い子になる。
カチグは、金回りが本当に良かった。
相当な利権を持っているようだ。
おかげで俺も、たんまりと稼がせてもらえている。
このまま何年かここにいれば、海洋都市に戻って、稼いだ金で一旗揚げるのも夢ではないくらいだ。
俺は強い。
俺は頭の回転も早い。
俺に足りないのは、金と運だけだった。
それさえあれば、俺なら最強のファミリーを作ることができる。
俺には、その自信があった。
ただ、今――。
俺のその明るい人生設計には、危機が訪れていた。
カチグが利権を貪るこの町に、『ローズ・レイピア』が査察に来たのだ。
ジルドリア王国が誇る最強集団、王女専属メイド隊『ローズ・レイピア』のことは俺でも知っている。
海洋都市にでも、多くの噂が流れてくるほどには有名だ。
エリカ王女によって選抜された……。
10代の少女たちを中心としたメイド隊……。
その武力は、正騎士を凌駕し……。
その魔力は、王宮魔術師を上回り……。
その知力は、宰相ですら舌を巻く……。
俺たちはその話を、大いに酒の肴にして、笑って聞いていたものだ。
だって、よ。
ありえるわけがねえ。
「旦那、裏に護衛がついているんでしょうよ」
俺はカチグに言った。
「そうだな……。ちっ! そうだったのかもしれん……。となれば、急いでかき集めただけのチンピラでは無理か……」
カチグの計画はこうだった。
まずは、チンピラどもを使って『ローズ・レイピア』の小娘を攫う。
そして、監禁して――。
十分に恐怖を与えたところで――。
カチグがそれを助ける。
助けたところで、十分に恩を売って、交渉を優位に行うのだ。
貴族令嬢にとって、拉致監禁など、絶対にあってはならない醜聞。
世間に知られれば、もはやまともな結婚はできない。
それどころか、家の危機にもつながる。
その醜聞を秘密にしてやることで――。
査察を有耶無耶にする。
それどころか、小娘を懐柔して手駒のひとつとする。
今や飛ぶ鳥を落とす勢いの『ローズ・レイピア』に手駒があれば、さぞや役に立つことだろう。
「まあ、いざとなれば、この俺が出向きますよ」
「うむ。オムよ、おまえなら問題なかろう。拾ってやった恩を忘れず、せいぜい俺の期待に応えることだ」
「へい」
俺は軽く頭を下げた。
けっ、クソが。
とは思うが、決して顔には出さない。
「だが、まずは、ヤラとレヤクからの報告を待つとしよう。今回の件は、あくまで順番だからな」
「へい」
拉致監禁の計画は、カチグが1人でやっているわけではない。
連絡会の幹部連中が全員関わっている。
連中は、それぞれにチンピラを雇って、それぞれに『ローズ・レイピア』の隊員を拉致しようとしていた。
成功した者が、利権の割合を増やす密約のようだ。
今は、ヤラとレヤクのターンというわけだ。
この2人は呪具を使って『ローズ・レイピア』の隊員を呪縛し――。
その後、チンピラに襲わせて――。
強硬手段で拉致しようとしていた。
宿には兵士もいるが……。
チンピラは、こっそりと裏口から入る計画だ。
宿の連中は、とっくにこちらの言いなりなので問題はない。
『ローズ・レイピア』のお嬢様方は、よほど現実を知らないようで、自分たちが本当に強いと思っているのだろう……。
出歩く時も、会談する時も、兵士をそばに付けることがない。
もっとも……。
影の護衛はいるようだが……。
呪具の力なら、そいつらも簡単に始末できることだろう……。
呪具とは恐ろしいものなのだ。
ただ、今では、その使用は極めて限定されている。
聖女ユイリアの宣言に始まって――。
ジルドリア王国、リゼス聖国、バスティール帝国、ド・ミ新獣王国……。
主要な国では、すでに持っているだけで違法だ。
特に支配の首輪に関しては、重犯罪者以外に不法に使用している個人や組織があれば、そのすべてを消滅させる、と――。
ナオ・ダ・リムが強い声で宣言している。
海洋都市でも、去年まで、普通に支配の首輪は使われていた。
なんといっても便利だ。
はめるだけで、相手を思うままにできるのだから。
だが、今、すでに表立って支配の首輪が使われることはない。
堂々と使い続けたファミリーはいくつもあったが……。
すでにその時のボスと幹部は、全員、どこにいるのかもわからない。
行方不明だ。
俺は少し、心配もしていた……。
呪具を使ったことで、あのナオ・ダ・リムに目を付けられたら……。
あの青の魔王が現れるキッカケになったら……。
俺たちは確実に消される。
立ち向かえるとは、まったく思えない。
その時は……。
逃げよう……。
俺は心の中で、固く決意していた。
はぐれ狼オム、再び。
前回の登場は「725 閑話・はぐれ狼オムの成り上がり」です。
果たしてオムは、今度こそ成り上がれるのか……!




