1012 2人の夕暮れ(オルデ視点)
「……疲れたぁ。死ぬぅ」
赤く焼けた夕暮れの空が、帝都の町並みを同じ色彩に染める中――。
私は力なく大通りの片隅で息をついた。
私はオルデ・オリンス。
帝都に住む花屋の娘だ。
ようやく今日の、花の配達がすべておわった。
これで帰れる。
なんかもうヘトヘトだった。
「本当に大忙しだったね。僕がいてよかっただろ、オルデ。やはり力仕事は男の役割というしね」
「あのね」
「ん? どうしたんだい、オルデ。ああ、いいよいいよ」
「……なにが?」
「感謝なんていらないさ。僕達は一緒に暮らしているんだからね」
「あーもう! このボンクラがぁぁ!」
「いきなりどうしたんだい、オルデ?」
思わず私が叫ぶと……。
ナリユが驚いたように目をパチクリとさせた。
「誰のおかげで、こんな時間になったと思ってるのよ!」
「ははは。だから、感謝なんていらないよ」
「はぁぁぁぁぁぁ!?」
なんでこの男は、得意顔なのか!
叫んで、疲れが増した。
私は肩の力を落として、ナリユにたずねた。
「ねえ、アンタ、今日は何回、やらかしたっけ?」
「ははは。どうしたんだい、オルデ。僕は、今日は転んでいないよ。僕もすっかり慣れたみたいだね」
「ねえ、あのさ……」
「ああ、なんだい、愛しいオルデ」
「まさか、パーティーホールで盛大に装花をぶっ壊したこと、もう忘れたとでもいうつもり?」
「ああ、そうだったね。そういえば1回あったね。それでも、昨日と比べれば僕の成長は著しいよね。たった1回なんて!」
「そうね……」
言われてみれば、そうだった。
ナリユは、今日はちゃんと花を運んだ。
そして……。
せっかく運んだ花を、飾り付けた後に薙ぎ払ったのだ。
「オルデ、せっかくのホールだし、ダンスをしよう」
とか言って!
まわりも見ずに踊って!
私たちは花屋!
作業員だっつーの!
客じゃない!
客だとしても、まだ時間じゃない!
幸いにも、パーティーの主催は、私のことを小さな頃から知っている昔なじみの父の友人だった。
なので笑って許してもらえたけど……。
なんとか作り直したけど……。
おかげで、いつもならとっくに帰宅して、夕食を取っているような、こんな遅い時間になってしまった。
「ああ、でも、僕はオルデと踊りたかったな」
ナリユは、まるで反省した様子もなく、そんなことを言った。
私はため息をついた。
ついた後で、ナリユにたずねた。
「……ねえ、アンタって、ダンスは得意なの?」
「ううん。全然だったよ。自慢じゃないけど、僕は本当に、何をやってもダメな男でね。血筋以外に取り柄はないと、いつも言われていたものさ」
「ホントに自慢じゃないわね」
「だけど、オルデとは踊りたいと思ったんだ」
「あ、そ」
正直、少し嬉しかったけど。
さすがに口にはしない。
「そうだ、オルデ! 今からでも、どこかで踊ってみないかい?」
「はぁ?」
「さすがにここでは目立ってしまうけど……。どこか静かで、それなりに雰囲気のいい場所はないかなあ?」
「アンタねぇ……」
私は呆れたけど、いい経験にはなるかも知れないと思った。
完全に落ちぶれたとはいえ、というか、国にいた頃からダメ人間とはいえ、ナリユは公爵家の人間だ。
本物の貴族が、どんな風に踊るのか。
すごく興味はある。
「まあ、いいけど。じゃあ、さ、裏通りに行きましょうか」
「えええ!? 裏通りかい!?」
「私がいれば平気だって。だいたい、地元の人間のフリしてれば、別に変なヤツに絡まれたりしないわよ」
「そ、そうかい……。僕も慣れないとだね……」
「まだ取り壊されていない廃墟の神殿があってね、そこの3階のテラスが秘密のいい場所なの。それなりに町が見えてね」
「よし! 行ってみよう!」
「その前に、なんか食べよっか。お腹空いたし」
「そうだね。今日も僕たちは、よく働いた! まずは食事だね!」
まったく、どの口が言うのか。
私はつくづくと思ったけど、今は気にしないでおいた。
私たちは家に帰らず、広場の屋台で食事を買った。
ベンチに腰掛けて2人で食べる。
紙に包まれて、こぼれるほどに酢漬け野菜の乗ったホットドッグだ。
冬の夕暮れ。
広場には大勢の人がいた。
あ。
私はそこに見知った顔を見つけた。
長い青色の髪をきらめかせて歩く、帝都中央学院の女生徒――。
私より年下で――。
エリカの知り合いで――。
たぶん――。
思いかけて、私はその先の答えを胸の内に留めた。
エリカにも言われた。
その先を考えるのは破滅につながる、と。
「ねえ、ナリユ。住む世界の違う人間って、私、やっぱりいると思うのよね」
「ん? いきなりどうしたんだい、オルデ?」
「人間、平等じゃないってこと」
「それはそうだろうね」
ナリユはあっさりとうなずく。
「まあ、いいけどさ」
「それよりオルデ、僕は今、感動しているよ」
「どうしたの?」
「だって君が、今日はじめて、僕を名前で呼んでくれたから」
「あー」
そういえばそうか。
まあ、いいけど。
私はホットドッグを一口食べた。
この時――。
私は――。
ナリユを見つめる陰からの瞳に――。
まるで、気づいていなかった。




