10 閑話:皇帝ハイセルは考える
バスティール帝国皇帝ハイセル・エルド・グレイア・バスティールは、本日何度目になるのかわからないため息を自らの執務室でついた。
「――それで、あの娘はどうした?」
「大宮殿の敷地を出たところで消えたとのことです。背負っていた大袋が最初に消えたとの報告も受けております」
苦楽を共にしてきた同い年の腹心、内務卿バルター・フォン・ラインツェルからの報告は予想の範疇ではあった。
驚きはない。
だがハイセルには疑問があった。
「なぜ、大袋だけが最初に消えたのだろうな」
「わかりかねます」
「消えた後の追跡は?」
「望遠の魔道具による空域調査、魔術師による魔力調査、獣人部隊による感覚調査、すべてで無理でした」
「やはり瞬間移動か」
「有り得るのでしょうか?」
バルターが怪訝に眉をひそめるのもハイセルには理解できる。
そのような魔術は聞いたことがない。
「そう考えるしかなかろう」
「本人に聞いてみては?」
「あれで隠しているようだからな、今はやめておこう」
二日前、愛娘のセラフィーヌから精霊様が現れて呪いを解いてくれたとの報告を受けた時、すぐさまハイセルは精鋭の密偵を街に向かわせた。
クウは簡単に発見され、以降、監視させていた。
街の中で、消えたり現れたりしていたこと。
街を浮遊して進んでいたこと。
放たれた矢のような速度で帝都から森へと飛んでいったこと。
森の中で忽然と姿を消したこと。
すべて報告を受けている。
さらには同時刻に、セラフィーヌのもとに現れたことも。
冒険者を名乗ったということから冒険者ギルドにも連絡を入れ、登録でも何でも許すから、特別扱いはすることなく、普通に、一般的に、魔道具『女神の瞳』に触れさせよとハイセルは命じた。
「バルター、おまえは『女神の瞳』の記録はもう見たか?」
「はい。許可をいただきましたので、お二人の分は拝見させていただきました」
「どう思う?」
「まさに精霊であり、我々は許されたのだと」
ハイセルはため息をついた。
あらためて『女神の瞳』に記されていた情報に目を向ける。
『女神の瞳』が読み取る情報は、その場で映されるものだけではない。
もっと深くまでを読み取り、その情報は『記憶の結晶』と呼ばれる大宮殿の地下に存在する古代遺産の魔道具に集まる。
それを見れば、様々なことがわかる。
帝国の治世が安定を続ける、大きな要である。
-----公開情報-----
氏名:クウ・マイヤ
種族:精霊
出身:神界
年齢:11
犯罪記録:なし
-----魔術情報-----
魔力値:999999
属性:光、闇、火、水、風、土
-----秘匿情報-----
善性値:100
称号:精霊姫、精霊第一位、女神の友人、女神の加護
「善性値100というのは、祝福の故だろうが」
善性値は悪を行う度に減少し、善を行う度に増加する。
平均値は0。
よほどの悪行、よほどの善行をしない限り大きく動くことはない。
大半の人間は10から-10の間で生きている。
「バルター。この魔力値約100万というのはどう考える?」
「精霊と我々では計測の基準が異なるのではないでしょうか。参考にはならない数値かと」
「そう考えるか」
帝国が大陸に誇る魔術師団長の魔力値は103。
その圧倒的な魔力で長く帝国に貢献してきた、誰もが認める大魔術師だ。
クウの魔力値は、ざっと大魔術師の1万倍。
さらに全属性持ち。
全属性持ちなどハイセルは聞いたことがなかった。
大半の人間は属性を持たない。
属性を持つということは、すなわち、その属性の魔力を有するということ。
属性持ち自体が希少な存在であった。
そして、持ったとしても基本的にはひとつだけである。
中にはふたつの属性を持つ者もいるが、それとて10年に1人。
ハイセルは心の中で唸る。
精霊であればあり得るのかも知れないが……。
「精霊姫かつ精霊第一位ということは、すべての精霊の主という意味なのかな?」
「申し訳有りません。わかりかねます」
「女神の友人ともあるが」
称号は、その人間の本質を示す。
どういう基準でつくのかは不明だが、間違えてつくことはない。
反逆者であれば反逆者。
忠臣であれば忠臣。
殺人鬼であれば殺人鬼。
魔道具『女神の瞳』で修正することのできる犯罪記録とは違って、称号は偽ることのできない真の姿を表す。
「どう思う?」
「申し訳有りません。わかりかねます」
「何でもよい、言ってみろ」
「持病の腰痛を治していただき、感謝しております」
「おまえもか」
またもハイセルはため息をついた。
水の魔術による癒やしは、完全なものではない。
妻アイネーシアも、水の魔術でいくら治しても再発する肌の疾患に悩まされていた。
それがあの祝福ですべて解決した。
表立ってこそ騒がないが、アイネーシアはすでにクウの信奉者だ。
クウが精霊であると広く知れたら、どれだけの騒ぎになることか。
宮殿内でもクウが精霊であることを知る者は少ない。
当夜にセラフィーヌから話を聞いた者たちには、箝口令を敷いた。
そもそも奥庭園への立ち入りを許可されている者たちだ。
わざわざ命じずとも理解できているだろうが。
「セラフィーヌのことはどう思う?」
「まさに精霊の加護かと」
5年もセラフィーヌを苦しめてきた称号「邪神に呪われし者」は消えた。
もはや存在していない。
かわりにセラフィーヌにはふたつの項目が増えていた。
属性:光
称号:精霊の友人
「光というと、聖女だな」
「はい。我が帝国に史上初の聖女が生まれたのです。素晴らしきことですな」
光属性は、聖女以外につくことのない属性として知られている。
光属性を持つことこそが聖女の証だった。
現在の大陸では、ただ1人。
ユイリア・オル・ノルンメスト以外にはいない。
クウも持っているが、あれは精霊だし除外でよい。
「発表すべきだと思うか?」
「発表すれば国民は沸き立ちますが、確実に聖国は反発します。隣国との間に戦争の可能性がある今、それは危険かと」
「ジルドリアか」
苛立たしい隣国の名をハイセルは吐き捨てた。
「ザニデア山脈におけるジルドリア密偵の動きが明らかに活発になっております」
「ダンジョンに涎がかかりそうだな」
「左様かと」
ジルドリアとの国境地帯であるザニデア山脈。
その帝国側にはダンジョンがある。
良質の魔石を多数産出する巨大ダンジョンであり、帝国の豊かな生活を支える基盤のひとつである。
「あそこは贅沢王女のせいで国庫が火の車のようだからな。王国では、贅沢王女ではなく薔薇姫と呼ばれているようだが」
「美姫ではあるようですが、中身には問題があるようですな」
「いざとなれば中央軍を派遣するから、襲撃があればすぐに報告せよと改めてモルド辺境伯には伝えておけ」
「中央軍の派遣は拒否されるでしょうが、改めて伝えておきます」
「武断の家風にも困ったものだな」
またもハイセルの口からはため息がこぼれた。
「ところで陛下、多数の中央貴族から謁見を求める声が上がっておりますが、いかがいたしましょうか」
「断る」
「……それは難しいかと」
「わかっている。調整しておけ」
「畏まりました。後、先程の光の柱を目撃したローゼント公爵が、陛下に会わせろと騒いでおりますが」
「断る」
「……それは難しいかと」
「わかっている」
セラフィーヌとクウが奥庭園で何をしていたのか。
それはわからない。
監視していた者からの報告では、クウがセラフィーヌに魔術をかけ――そして天地を繋ぐほどの光の柱が現れた。
扉がノックされる。
専属メイドのシルエラを連れてセラフィーヌが現れた。
「お父さま、お呼びと聞いて参りました」
「話はわかっているな? 先程の光の柱の件だ」
「存じません」
にこやかに答えられて、ハイセルは眉間を手で押さえた。
「大事だ。教えろ」
「存じません」
「おまえは近くにいただろう?」
「わたくしはただ、お友だちのお見送りをしていただけです」
「何をされた?」
「なにもされておりません」
セラフィーヌはにこやかな表情を崩さない。
「光っていただろう?」
「存じません」
「目撃していた者もいるが」
「では、その者にお聞きくださいませ」
「おまえがそばにいたと思うのだが?」
「わたくしはただ、お友だちのお見送りをしていただけです」
問答がループした。
ハイセルは父親として、愛娘の性格は知っている。
たとえ呪いに侵されようとも守るべき者を守ることを選び、どれだけ苦しくても泣き言ひとつもらさなかった子だ。
「シルエラ、説明しろ。命令だ」
シルエラは無言のまま頭を垂れ、後は目を閉じる。
不敬罪を適用されても文句の言えない態度だが、ハイセルに不敬罪などを適用するつもりはない。
こうなるのは承知の上で、聞いてみただけのことであった。
「はぁ……」
ハイセルは、もう本当に何度目になるかわからないため息をついた。
「もういい。下がれ。言っておくが、おまえにもクウちゃん君にも含むところがあるわけではないぞ。故に追及はしないし、何もしないのだ」
「はい。お父さま。ありがとうございます」
セラフィーヌはにこやかな笑顔のまま、専属メイドと共に退室した。
「すっかりお元気なご様子ですな」
「まったくだ」
嬉しいことではあるが。
「陛下、セラフィーヌ様と言えば、早くもご縁談の話が――」
「断れ!」
「畏まりました」
「……あの子はしばらく、クウちゃん君と友誼を結んでいればよい」
精霊姫。
精霊第一位。
女神の友人。
そんな存在を他国に奪われることは絶対に許されない。
帝国につなぎとめておく必要があった。
しかし、自由に空を飛び、姿を消し、あまつさえ瞬間移動までしてしまう存在を鎖でつなぐことはできない。
つないだとしても、どうなるのか。
かつて精霊を道具として扱い、世界征服を目論んだ挙げ句、一夜にして滅び、千年の時が流れた現在でさえ、草木一本生えることすら許されていない古代ギザス王国と同じ轍は踏めない。
手がないわけではない。
要はセラフィーヌが、このまま友人であればよい。
「贅沢王女と聖女のことも気にしていたようだが、どう思う?」
冒険者ギルドからの報告は詳細に上がっている。
クウは、エリカ王女と聖女ユイリアに対して、多大な関心を示していた。
「彼女はこちらの世界に来たばかりのようですし、大衆食堂で名を聞いて興味を抱いた程度だと愚考致します」
「それはそうか。そうだな……」
「むしろ勇者の名を出したことが気になるかと」
「勇者、か」
それはおとぎ話に出てくる名だ。
世界のすべてを滅ぼす魔王が現れた時――。
精霊に導かれて――。
この世界に生まれる、ただ一人の人間。
世界でただ一人、魔王を倒し、世界を救うことができる人間。
精霊の祝福を受けし者。
それが勇者だ。
ただ、あくまでもおとぎ話だ。
子供向けのお話の中で、名前が出てくるだけの存在だ。
魔王などという存在が確認されたことはないし、世界の運命を背負って戦う人間の存在も確認されたことはない。
「精霊が現れ、勇者の名を口にした。いくらか気になってしまいまして……」
「下手をすれば、セラフィーヌがそれになってしまうな」
ハイセルとしては冗談のつもりだったが。
「その時にはすべての力を尽くし、協力することをご誓約申し上げます」
腹心であるバルターに真顔でかしずかれ、苦笑する他はなかった。
「それにしても、精霊か――。本来であれば、たとえ俺だとしても、片膝をついて祈りを捧げるべきところだろうが」
クウに対して、どう接するべきか。
それは実のところ、ハイセルを大いに悩ませた問題だった。
なにしろ精霊、精霊様だ。
誠心誠意に敬って、目上の存在に対する態度を取るべきかどうか――。
本来であれば、そうすべきなのだろうが――。
「そのようなことをすれば、むしろ嫌がって離れていくかと。大衆食堂での大騒ぎを好む子ですし」
「……そうだな。実際に話して、それは俺も確信した」
たとえば祭り上げて皆で敬っても、クウが喜ぶのは最初だけ――。
すぐに窮屈に感じて、嫌になる。
そして、自由で気楽な環境を求めて出ていくだろう。
「精霊であることは認めて、その事実は敬いつつも、後は友人の父親として普通に接していくのが最良かと」
それが良いとハイセルも結論を出している。
懸念はある。
クウのあのお気楽な性格では、きっとこれから色々なことをやらかす。
その度に説教しなくてはいけなくなりそうだが――。
「善処はしていこう。果たして、どうなることか」
「今後が楽しみですな」
「まったくだ」