チートな男
走りながら、謎の男は言う。
「ロロ、犬の弱点は鼻先だ!じゃあ、鼻を狙うならどうするかってはなしだけどな――」
そう言って、男はひょい、と巨大なブラック・ドッグの背を、跳び箱を跳ぶように、ジャンプして向こう側に着地してみせる。……なんて脚力なの!?私は驚いた。
「腕を噛ませるんだよっ!で、あとは拳で殴れ!」
そう言われて、私は、少し怖じ気づいた。この巨大な犬の口に……私の腕を……。
「ひるむなよ、ロロちゃん。この変態わんこは、女の子が怯えてる姿が何より好物なんだぜっ!変態だー!ぎゃはははっ」
そう言われ、私は決意した。
ブラック・ドッグがこちらを向いた隙に、走って足下まで回り込む。
そして、猛犬が大きく口を開けたのを見計らって、七色の装甲に覆われた腕を突っ込んだ!
「ガッ……ググ……ハガッ……」
ブラック・ドッグはうめく。あんなに薄く脆そうな装甲なのに、私の甲冑は全く傷が付いていないようだった。それに、明らかに体が軽い。
私は、腕を噛ませたまま、1回、2回と拳で猛犬の頭を殴りつけた。
ガスッ!ドゴッ!と鈍い音がする。やがて、ぐちゃあ……と何かが潰れるような、固いものが割れるような音がして、ブラック・ドッグの力が目に見えて弱くなった。
「ひゅう!鼻先って言ったのに、脳髄を叩き潰したか!ロロちゃんつよ~い!」
男が言ってみせる。私は、最後に腕を抜き、鼻先をおもいっきり蹴り飛ばした。
ブラック・ドッグは、そのまま動かなくなる。そして、周りに黒い渦が現れたかと思うと、ブラック・ドッグの死骸はその中に沈んでいって、消えた。
授業で習ったのだが、魔獣は魔界から来ているため、致命傷を与えられたり死んだ場合、魔界に戻るのだと聞いていた。でも、実際に見るのは初めてだ。
「!シャンテにポーション……!」
私は、放り出されていた鞄を漁り、回復ポーションを取りだした。
瓶の蓋を取り、下駄箱の向こう側の、2年生の玄関にまで吹き飛ばされていたシャンテの傷に、水薬をかけていく。
「……ロロ……」
ちぎれていた肉が盛り上がり、回復していく。シャンテは、少し気絶していたようだが、私の方を見て、それから私の隣の男を見る。
「……何……?誰……?助けてくれたの……?ロロ、その格好は……?」
私は一言、「そうだよ」と答えて、十分にポーションが染みこんだのを確認してから、ポーションの空き瓶を捨てた。
「ロロちゃん、まだだぜぃ?」
男がそう言う。私は、「え……?」と疑問の声をあげた。
「もう一人のお友達、ずいぶん帰りが遅くないかあ?こりゃまずいぜ」
そこで、私ははっと気づいた。
「シャンテ、動ける?」
そう聞くと、シャンテは、
「ああ。だいぶ回復したからな。それより……キジャモが心配だ」
と、廊下の向こうを見る。シャンテは剣を拾い、私も落ちていたダガーを拾う。
そして、私たちは廊下を疾走する。
廊下の途中まできて……シャンテが私の腕をつかんでとめた。
「……血の臭いがする」
そう言われ、私は、薄暗い逢魔が時の夕日の中で、血が飛び散り、引きずった跡があることに気づいた。
教室に続いていく、その跡をたどると……「グル、グル」という、低いうなり声が聞こえた。
私たちは、扉が開いている教室をゆっくりのぞき込んで……硬直した。
ブラック・ドッグがもう一匹、いる。そして、夢中で食んでいるのは……すぐ側に花輪を落とした、背の小さな体。
首がありえない角度に折れ、腸が、出ている。
キラキラといつも明るく私を見つめていたあの目が、今は濁っている。
……キジャモが、腹から食べられている。
「てめえっ!!」
シャンテが剣を構えると、ブラック・ドッグはうるさそうにこちらを向いた。
「シャンテ、待って。刺激すると……」
私が言うと、シャンテはガクガクと震える足で、
「だって、キジャモが……キジャモが食われてるんだぞ!?」
と、叫ぶ。
すると、一筋の風が、私とシャンテの側を吹き抜けていった。
「はっはあ~~!!悪いわんちゃんだなあ!めっ!!」
と、あの男が、ブラック・ドッグに体当たりした。
ブラック・ドッグはそれに怯む。
「飼い主のしつけがなってないのかなあ?人様に怪我させるわんちゃんは、保健所行きだって知ってるかなあ?」
男はそう言うと、ブラック・ドッグの額にでこぴんしたように……思えた。
だが、そのでこぴん一発で、ブラック・ドッグは吹き飛んだ。そのまま、四肢をぴくぴくと動かし、舌をだらんと垂らすと、黒い渦に吸い込まれていく。
「ふいー。犠牲者一人、かな?でも、その子助かるから、蘇生魔法使えるやつ呼んだ方がいいぜ?」
そう、男が言うので、私ははっとした。蘇生魔法は、僧侶博士の秘技だ。そして、校医は、一通りの回復魔法と蘇生魔法が使えるのだ。
「教官室に行かなきゃ……!エレン先生を転移魔法で呼んで貰おう!」
私がそう言うと、シャンテは「あ、ああ……」と、少し呆然としながら答えた。
「早くしてね~~。じゃあ、俺はこれで。ば~いば~いき~~~ん!!」
と、男が言うと、煙のように姿を消してしまった。と、同時に、私を覆っていた甲冑も消える。
「なんなんだ?あの男……」
シャンテが走りながら言うので、私は、
「私の、頭の中に住む男だよ」
と、答えた。