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渋々ブカブカのローブを羽織り、ジョシュアに抱えられるようにして連行される。
どうやら使用人専用通路というものがあるらしく、この貴人の牢の使用人通路はあの侍女しか使用しないため、滅多に人は通らない。……というようなことをジョシュアが一人でベラベラと喋っていた。
またどこかの小部屋に入ると、頭を垂れるよう耳打ちされる。ローブのせいで、足元しか見えなくなった。
そしてなんの前触れもなく、身が竦むような怒声を浴びせられた。
「おい、女。治せないとはどういうことだ」
凍りつくような、怒気の籠もった声だった。この国の王の声だ。
私は面を上げることも許されずに、縮こまるしかなかった。
「私は六年前、確かにフィリップを治す者を召喚した。それが出来ないとは女、偽ったか?」
声だけで捻り殺される、とそう思った。
恐怖で全身が震え、歯がガチガチと鳴り響き、喋ることさえ出来ない。
「恐れながら陛下、御目通り頂きたいものがあります」
そんな空気に割り入ったのは、確かにマークスの声だった。
「それは今でないといけないものか?」
「ええ」
ゴソゴソと衣擦れの音がして、バサリと洋服が床に落ちる。
息を呑む音がした。
「これは……」
「昨日、彼女が施したものです。彼女が触れると全身が淡く光り、次の瞬間にはこのようになっていました」
「疑う余地はない、と」
「身をもって体感しております」
まさか、マークスが庇ってくれたのか? 信じがたいことだったけれど、でもたしかに彼は今、私がその能力を持っていると身を持って証明してくれた。まさか彼がそのような発言をするなんて、思いもしなかった。
何故だか分からないけどよく思われてなかったし、私がどうなっても関係ないとまで言われていたのに。
「面を上げよ」
ここでようやくかぶされていたローブを外してもらえて、顔を上げることが出来た。目の前には怒気を収めた王様と、上半身裸のマークス。後ろにはアレクシスも控えている。
「なら何故、フィリップは治らない。あれは何故、まだ寝込んだままなのだ?」
だから、私に聞かれても困る。
恐怖の余韻で上手く喋れそうにない私は、助けを求める視線をマークスに投げた。
マークスは私の視線こそふいと無視したが、昨日のやり取りは一通り説明してくれた。
「……ふむ」
顎に手をあて考え込み出した王様は、こっちを見ることもなく軽く手を振る。
すかさずそばにいたジョシュアにローブを被されて、部屋の外へと引っ張られた。
視界が塞がる直前、マークスと目が合う。
助けてもらった礼を言おうとして……やめた。
彼にしてみたら、ただ単に事実を述べただけなのだろう。
すぐに視界は覆われ、私は再びジョシュアに抱えられた。
部屋についた途端、ローブを引っ剥がしたジョシュアは瞳をキラキラさせて私の手を握ってきた。
「いやー本当に凄いな、異世界人ってのは。まさかマークスのあの傷痕を治せるなんて思わなかったよ!」
マークスの傷痕とは、なんのことだろう。
ついていけてない私を他所に、ジョシュアは一人喋り続けている。
「マークスはあの傷痕とそれからまぁ、その色々あって……そのせいでこんな日陰勤務になったんだけど、それが治ったなら異動するかもしれないなぁ。ねぇ、俺にもそれ、してくれる?」
「いいですけど……」
軽く手に触れると、ジョシュアの体が一瞬強く光った。眩しさに瞬きする。
次に見上げたジョシュアの顔から表情が抜け落ちていて、私はギョッとした。
「なにこれ……ウソだろ……」
よく分からないが、治ったらしいのに喜ぶ様子もなく、彼はブツブツ呟いている。それからゾッとするような表情のない顔でヨロヨロと扉の方へ歩いていくと、なにも言わずに出て行ってしまった。
あの異様な様子はなんだか……一体どうしてしまったというのだろう。
――フィリップ王子を治せというのなら、もっとマトモな護衛をつけてほしい、切実に。
午後から顔を出したマークスは、通常運転の不機嫌顔だった。
「お前、ジョシュアになにをした?」
開口一番にそう尋ねられて、戸惑いながら答える。
「力を使ってって頼まれたから、使っただけです」
「なんか病気でも治ったのか?」
「はい、多分……」
あの反応だとやっぱり治ってないパターンなのかも、とも思ったけど。マークスはさらに顔を歪ませた。
「誰にでも気安く使うなよ」
「……すいませんでした」
この能力は王子にしか使ったらダメなのだろうか。べつにそう決まってるわけでもなかろうに。
でも揉めるのも面倒なので、とりあえず謝っておく。
そのまま、中に入ったところで立ち止まったまま動かないマークスに、嫌な予感がした。
「そこでなにをしてるんですか?」
「護衛任務だ」
「……もしかして、そこにずっといるつもりですか」
「いなくてどうやって護衛する」
……マジか。
こんな不貞腐れたような顔の男に四六時中監視されなければならないなんて……一気に閉塞感が増してしまったじゃないか。
もっと空気に徹するとか、逆に話し相手になってくれるとか、少しは気を使ってほしい。会話する気もないくせに、ジロジロとこっちを眺めないでいてほしいんですけど……。
「そういえば、私が治した怪我ってなんだったんですか?」
「……」
張り詰めた沈黙にとうとう負けて、半ばヤケクソになって話しかける。
重い沈黙は色々とよくない想像をかきたてる。……なんでもいいから気を散らしたかった。
マークスは案の定答えてくれなくて、諦めて昼寝でもするかと思い始めたころ、ようやくポツリとした言葉が返ってきた。
「それを聞いてどうする?」
苦々しい顔に、肩を竦めてみせる。
「いや別に、どうもしませんけど……」
マークスはしばらく睨むように私を見つめていたけれど、やがて溜息をつくとポツリとこぼした。
「……昔、ちょっと肩をやられた。それだけだ」
若いのに五十肩でもしたのか?
失礼なことを考えていたのが分かったのか、ますます睨まれる。
これ以上藪蛇になる前に、潔く昼寝しとけばよかったと後悔しながらいそいそとソファに横になった。