流れ着いた果て
ウィレムはトボトボと山道を歩いてきた。
周りは針葉樹の森になっている。高くそびえ立つそれらの木々が陽の光を遮っているため昼間だと言うのにやや、薄暗い。
ウィレムはふと後ろを振り返って、降ってきた山道を見つめた。
遠くに小さく、あの、自分の城が見える。
しかし、その遠景も、ウィレムが覚えている要塞化された自分の城とは多少姿が異なっているようにも感じられる。
ーー何故、この魔導士ウィレムが、自分の城から追い出されなきゃならんのだ・・・
心の奥底に棲んでいる悪魔の格好をしたウィレムががなり立てた。しかし、今の回復しない体力では、確かに何とか生活することはできるものの、激しい運動には到底耐えられない。また、あの聖騎士をきどるアーカットに斬られた脇腹が、ちょっとした拍子にズキンと痛む。
ーーだいたい、何がどうなっているんだ?そもそも俺のの使ったゴーレムや召使いたち、執事のアクロマーゾはどこへ行ったんだ?なんで俺の名前を言っても誰もビビらないんだ・・・。
様々な疑問がウィレムの頭の中をよぎっては、流星のように流れていく。
ーーとにかく、魔力さえ回復すれば、道も開けるはずだ。
ウィレムはそう考えて、落ち込む自分をふるい立たせて再び歩き始めた。そもそも自由飛翔できるはずなのに、いまの魔力と体力ではまったくそれすらもおぼつかない。
料理人のサンダルと粗末な衣服の上に、ところどころ焦げのついたエプロンをしているウィレムのその格好が、ウィレムをさらに不調のドン底に落とし込んでいるようであった。かといって、着替えも無いのだ。
ーーちっ、せめて部屋に戻って、長衣の一揃いくらいもってくりゃよかったな。
幸いなことに、ウィレムは魔法を使うときに使う「触媒」として使っていたあの指輪をまた左手につけていた。
これがなかったら魔法や魔術はおろか、彼を魔導士たらしめている魔道の力をひきだすことすらできなくなるところだった。もちろん、正確には無くても使えないことはないのだが、非常に限定された形で力が発動したり、顕現したりするため、使い慣れた触媒が無いのは心細い。
ーーどこで力を蓄えるか・・・。
ウィレムはは非常時に備えて、いくつもの隠れ家を用意していたのだが、その多くは魔法の力を使わなければ、1日やったそこらでたどり着けるような場所にはなく、そのためこれから向かえる宛先も自ずと限定されてきてしまう。
ウィレムはいくつかの候補を頭の中であげては消していった。その理由の多くは地理的な理由によるものであった。
ーーだいたい、本拠地である城の近くでこうなることは想定していなかったんだよな。
ウィレムはの城は、北の山脈の入り口に建てられていた。この近辺は人口も少なく、麓には人口百人程度の村がいくつか無いこともない。
ーー有事に備えて世界中に隠れ家を作ったのは良かったが、この周りには隠れ家を何で作っておかなかったんだろう。
自由飛翔ができるウィレムはにとって、山脈を越えてひとっ飛びで北のノースランド平原まで飛び去ることは容易いことだ。だが、有事の際の有事に自分が魔法や魔術を使えなくなるほど弱るということは、想定すらしていなかった。
ウィレムはとりあえず、もう一山越えた先の泉のそばの山小屋に行くことに決めた。あそこは恩をかけてやった狩人のレッドホーンが棲んでいるはずだ。あいつはウィレムの配下では無いが、悪いやつでは無い。幾ら何でもウィレムのことを無下にあしらいはしないだろう。
ーーレッドホーンがいなくても、小屋で休ませもらえれば体力も回復するはずだ。
レッドホーンは狼人間の狩人で、弓矢の達人だ。眷属の狼を使って、大きなヘラ鹿を捉えてくる猟の名手でもある。だが性格はどちらかというと臆病で、ウィレムの魔道の力に対して畏れの念を抱いており、ウィレム自体を崇拝しているような奴でもあった。
ウィレムはすぐに今まで進んでいた山道をはずれて、獣道に足を向けた。
その方がレッドホーンの山小屋へ行くには近道なのである。
そして
ウィレムの希望は見事に裏切られた。
***
「ない・・・・・・・・・」
ウィレムのは絶句した。
両顎が自然と垂れ下がる。
「跡形も・・・ない・・・・」
ウィレムはその場でがっくりとその膝をついた。
呆然として、本来であれば泉の横に建っているはずはずの、あの山小屋のあった場所をウィレムは見つめた。
「レッドホーンのやつ・・・一体どこへ・・・」
ウィレムは絶望のドン底であった。
これではいつまでたっても悪の大魔導士として復活することはできそうにない。ひょっとしたら永久に復活できないのでは無いだろうか・・・。
一瞬、悪の大料理人になるために、あの料理長のところへ戻ろうか・・・という邪念に襲われたウィレムはあわててその思いを改めた。
あの料理長は、見込みがあるとか言いながら、その度にボコボコ殴られるのはゴメンだし、そもそも何故使用人風情に・・・というプライドの欠片をウィレムはまだ持っていた。
もっとも、なけなしの魔法障壁をどういう理屈か簡単に打ち破るあの料理長の往復ビンタはウィレムのプライドを半分以上ふんさいしていたのだが・・・。
ウィレムはとりあえず自分の記憶の中にある泉のそばの、本来なら山小屋があったはずの所まで歩み寄った。
「どういう、ことだ・・・」
その地面はどういうわけか、もう何十年も前からその場所には何も建っていなかったかのように踏みしめられている。そして、残骸のように残されている基礎。本来ならこの上に山小屋が建っていたはずでは無いだろうか。
「どうなってるんだ?小屋が亡くなってからまるで何年も経っているかのように、踏みしめられている。ここじゃ無いのか?」
ウィレムは来た道順を性格には頭の中で再現して確認した。
たしかに、ここのはずだ。
そんなことを考えいる、まさにその時。
ウィレムは背後にヒトの気配を感じた。相当量の魔力だ。
彼を魔導士たらしめている超感覚は、ズバ抜けた感知能力をそなえている。常人の百倍は優にすぐれた彼の超感覚が、物音や息遣いまで殺して潜む、その存在を見つけ出してた。獣や魔獣のような本能に支配された存在でないことにも気づいた。人間の透明な思念を感じる。
「なにもにょだ!」
ウィレムは格好つけて振り向かずに言ったが、思いっきり舌を噛んだ。
今の彼には反撃するに足る魔力がほとんどない。だから軽やかな彼の弁舌で、もしも忍び寄って来ているものが悪意を持つものなら、何とか危機を脱しなければならない。
「そこにいるのは、わかっている」
こんどは舌を噛むことはなかった。
ウィレムは声に威圧をこめてニヤリと言った。
静寂が辺りを支配している。
ウィレムはゆっくりと振り向いて、その人物がいると思しき藪を指差しながらいった。
「出てこい。もし出てこないなら痛い目にあうぞ」
ウィレムは何でこんな月並みの台詞を繰り返さねばならないのだろう、と自分でも思いながら言った。それはただ単にかれの国語力の問題ではあるのだが、彼はそれには気づいていない。
一瞬の沈黙が流れた。
その時、一人の人物が、おそらく伏せていたのだろうが、立ち上がった。
やはり人間である。ウィレムはそれを見て、自分の体調がこのように不調な時でも正確に働く自分のチカラを再確認した。
姿を現したその人物は典型的な狩人の格好をしていた。おまけにどうやら女性のようだ。
緑色の服装に、短弓と背中には矢筒。腰には狩猟刀をもっている。
「よく気づいたわね」
その女性は、張りのある透き通った声で言った。年齢は若そうだ。城でバシバシとウィレムのことをどつきまわしたエリカとかいうあの娘より年上だろうか?
「当たり前だ、俺は魔導士だからな」
大抵はこの「魔導士」という言葉で、普通の人間なら恐怖に慄くはずであった。しかし、彼女は違った。
「ま・・・まどう・・・し・・・・」
彼女は絶句するとウィレムのの格好をマジマジと見つめた。
ウィレムも負けずに睨み返す。
またもや沈黙が流れた。
カッコー、と、どこかで鳥が鳴いた。
「クク・・・アッハハハハハ・・・」
その女性は、この世で最高の冗談を聞いたかのように盛大に笑い出した。大爆笑というやつだ。
「何がおかしい」
ウィレムはかなり気を悪くしながら言った。本来なら大爆笑しているこの女をいますぐ魔法で八つ裂きにしても良いのだが、不自然なこの魔力の減少と、体力の消耗から彼にはそれができない。
「何って、真面目な顔して『魔導士』ですって・・・・」
彼女は目尻に涙を浮かべて応えた。
「どうしておかしい」
不貞腐れてウィレムが言うと彼女は応えた。
「だって、魔導士なんて、もうおとぎ話くらいにしかいないわよ。百年前の最後の魔法使い狩り以降、もう全滅しちゃったんだから・・・・」
彼女の爆弾発言にウィレムは驚愕した。
そして、驚愕したと同時に彼の灰色の脳細胞がある、恐ろしい仮説にたどり着く。それがもしそうならば、あるいは・・・。やっと合点がいった。
ーー草原歴300年代に魔法使い狩りなんていちども聞いたことがない。だいたい一般の間でも草の根レベルで魔導士の存在は知られていた。数は決して多くはなかったが少なくもなかったはずだ。
「それって、いつくらい・・・」
「いつって、帝国成立の前後くらいだから帝国歴元年くらいじゃない?皇帝陛下の命令で大神官たちがね・・・」
狩人とは思えない博識で彼女がいろいろと話し始めたが、流石のウィレムも平静ではいられずにその言葉がなかなか理解できない。
ウィレムが新たに質問しようとしたその瞬間、新たな生物の接近を感知した。
彼女もどうやら気づいたようだ。ゆっくりと振り返る。
彼女は肩から弓を外し、矢筒の蓋を開いた。
数は十数人の程度、気配の色合いからして人間ではない。おそらく低位妖精のゴブリンやコボルドのような邪妖精だろう。あれは妖精とは名ばかりで、もはや獣だ。
「ごめん、まいたとおもったけどヤツラが来ちゃった・・・」
彼女はテヘっと笑うと腰に差していた狩猟刀を鞘ごとウィレムに放った。
ウィレムは何とかその刀を受け取る。だが、生粋の魔導士であるウィレムには、刀なんて扱ったことすらない。一番大きな刃物でもペーパーナイフ程度だ。
受け取ったと同時に、ゴブリンが十二匹、泉の向こう側に姿を表した。
ゴブリンは彼らの言葉で口汚く、彼女のことを罵りながら、ウィレムと彼女を睨みつける。そしててにもっていた獲物を携えると襲い掛かって来た。
ウィレムが女性にゴブリンたちの意図を訪ねるまでもなく、ゴブリンたちの意図は明白であった。
ひょっ
彼女の矢が飛んで一匹のゴブリンの頭に命中した。なかなかの腕前だ。彼女は次々と矢を放つ。
さて、ウィレムは今までいちども自分の肉体を駆使して戦ったことはなかった。時代の常識として、剣の持ち方くらいは知ってはいたが、それだけで戦えるのであればウィレムは剣の才能があるということである。
しかし、ゴブリンたちは矢にひるむこともなく、ウィレムの事情に気づくこともなく、猛然と醜い牙を剥き出しにして突っ込んで来た。
ウィレムは覚悟を決めた。
何と言っても悪の大魔導士がゴブリンに殺されたとあっては末代までの恥だ。
ウィレムには、まだしなければならないことが残っていたし、死ぬのはご遠慮願いたい。
彼女の矢がもう一匹の胸を貫く。正確に心臓の位置を貫いている。
ゆっくりと自分を切らないように刀を抜くと、右手で持ち手を握りしめた。ウィレムにちかづいてきた一匹を冷静に見極めながら、ゴブリンの一撃を避けると右手の狩猟刀を振り下ろす。
ボキ
鈍い音がしてそのゴブリンの頭蓋を破壊した。一撃である。ひょっとしたらウィレムは魔法と料理の他に剣術の才能まであるのかもしれない。
しかし、最初の一撃はまぐれだったようだ。
次の一匹はウィレムの攻撃をひょとさけるとウィレムを傷つけようと剣を横薙ぎに凪いだ。
しかしながら、ウィレムは剣を避けることに関してだけは天才であった。
ウィレムのフットワークは彼を来続けようとするとゴブリンの剣から軽やかに避けてウィレムを泉のそばで動き回らせた。言い換えればウィレムは泉の周りを逃げ回ったと形容することもできる。
七匹目のゴブリンが彼女の弓によって倒れるとようやく知恵の無いゴブリンにも彼らの不利が理解できたようだ。
ゴブリンは捨て台詞とともに『名誉ある撤退』をした。
ゴブリンたちの言葉がわかるウィレムはその語彙と語調に閉口した。
ゴブリンは去った。ウィレムは生まれて初めて、自分の握る剣で生物を倒し、撃退した。
ウィレムは狩猟刀を彼女に返すと、彼女は、その場に倒れているゴブリンでまだ息が残っているものに丁寧にとどめを刺していった。
ウィレムは無言でとどめを刺して回る彼女を観察した。
近くで見るとなかなか美人だ。金色の髪を女性にしては短めな肩のあたりで切っている。
「やるじゃない」
彼女は最後のゴブリンの息の根を止めてから、ウィレムに顔を上げて言った。
「あんたもな」
「ところであなたの名前、聞いてないわ」
「俺はウィレムだ。人によってはウィリアムと呼ぶやつもいる」
「そう、わたしはアルニシア」
アルニシアそう言うと、包帯をポケットから取り出してウィレムに言った。
「あなた、少し切られているわ。手、だして」
確かに左腕を少し切られていた。
もちろん、アーカットからうけた脇腹の傷に比べればかすり傷のようなものだ。
アルニシアはウィレムの左手をつかむと、手早く応急手当てをした。慣れたものだ。
「ありがとう」
ウィレムは正直に礼を言った。もっとも、彼からすれば「わたしのために魔力や体力の回復を手助けしてくれて」という言葉がかけていたわけだが。
「あなた、かなり疲れているみたいね」
アルニシアは上から下までウィレムの容姿をかんさつしながらウィレムに着いてくるように手招きした。
「別に疲れてはいない・・・」
「いえ、疲れてる顔してるわ。たぶん血が足りないのね。そんなに出血してないとおもうけど、破傷風とかになっても困るし」
彼女は美人だったし、目指していた休憩できる予定だった小屋がなくなっていることもあり、ウィレムは仕方なく着いていくことにした。少なくとも彼女は美人で、十分にウィレムの好みではあった。少なくとも昨晩ウィレムをヘンテコな薬草で看病してくくれたエリカとかいう小娘よりも、台所でかわいそうな人認定してくれたメイシーよりもだ。
しかし・・・
***
「どうしたの?大丈夫よ。ここ、わたしの家みたいなものだから・・・」
彼女はそう言ってウィレムの手を引くとウィレムが先刻後にしたウィレムの城の玄関口からウィレムを再び中へ入れてしまった。出てくるときには気づかなかったが、門番の兵たちも慣れたもののようでそしらぬ顔だ。
ウィレムは声もなくトボトボと着いて歩く。
城の中は喧騒に包まれていた。
何人ものメイドや侍従たちが右往左往している。
「何があったの?」
アルニシアはメイドやの一人を捕まえて尋ねた。
「あ、姫様、実は・・・・」
メイドの言葉が終わる前に、背後から灼熱の赤龍マグナも真っ青になるほどの強大な殺気がウィレムの背後で一気に広がった。
「おい、そこの新入り、今までどこほっつき歩いてやがった!とっととこっちへ来い!」
そして料理長は憤怒の形相でウィレムに走り寄ると問答無用でウィレムを殴った。
ゴン!
ウィレムはまたもや避けられずに倒れた。
「ちょっと、このヒト怪我してるわよ・・・って、ああ〜白目向いちゃってる」
アルニシアが料理長に抗議したが、料理長はウィレムの首根っこを万力のような腕で捕まえると、ウィレムを抱えてあっという間に姿を消した。
「うわーーーー、病人が四人になったーーー」
その場にいあわせた侍従長のギジェルモが叫んだ。
「四人?」
「はい、姫様。一人は公爵様。一人はエリカ様、一人は台所のメイシー」
「そしてウィレムで四人?」
「はい、何でも、さっきのウィレムさんを昨晩エリカ様がどこかから拾ってきて、あの呪われた部屋で看病したとかで、公爵さまは『何とふしだら』とキレてしまわれ、エリカ様はお部屋で寝込んでおいでで、ついでにメイシーは何故か風邪だそうで・・・」
「ふーん、エリカもやるじゃない。子供だ子供だっておもってたけど。」
「姫様、そういう問題では・・・・」
「わかってるわよ。」
アルニシア、トーヤ公の第一公女だが頑なに結婚しようとしない変人と帝国では噂されている彼女は、エリカと違って庶子だ。だが、トーヤ公爵家の血を引いていることは間違いなく、狩人の真似事をしたりしているがいざ有事の際は軍隊を率いて戦う武人でもある。
ウィレムが連れ去られた時のウィレムの表情と物腰、そして言葉遣いを思い出しながら微笑んだ。