追憶とひとつの決意
ものすごく胃が痛い。
馬車が刻一刻と邸に近づいていく。ついに、あの日逃げ出した全ての事と向き合う時が来てしまった。
7歳の時からずっと頻繁に夢に出てきた勘当と放逐の場面。お父様の怒声と使用人達の顔を逸らす様は、いつも私の心を戒めた。
優しくされる度、楽しいと思う度、警告するように夢をみる。いい気になるな、どうせ捨てられる…泣きながら起きては、自分にいいきかせた。
愛されてるなんて思いあがっちゃいけない。ゲームが終わるまでなんだから。
後は庶民として生きていく…そう、むしろ私らしく自由に生きていける筈だから。
当然家族にも使用人にも出来るだけ当たり障りなく、周囲には極力興味を持たないのが私のモットーだった。後で失って悲しい思いをするくらいなら、最初から持たない。
大切なものは庶民になってから作るんだと、ずっと思っていた。
それがあの日、根底から覆ったのだ。
部屋に戻った私は途方に暮れた。
私を苦しめた悪夢は単なる被害妄想だったのかも知れない。そう考えると怖かった。
どれだけの善意と好意を無駄にしてきたのか。10年近くもの時間を無駄にして得ているものなんか何もない。
楽しい思い出も。
お友達も。
家族への愛情も。
全部育ててこなかった。
貴族として身につけておくべきだった教養も、社交性も、矜恃も、どうせ要らなくなるものと、真剣に身につけようとは思わなかった。
客観的に自分を振り返ってみてみれば、足元が崩れ落ちるような感覚に苛まれる。
愛情を与えられても疑うばかりで返さず、責務は放棄し、時が至るのをただ待つだけで、事を良い方向に向ける事なんて微塵も考えなかった。
邸を出た時、私はそんな自分に絶望していたのだ。
貴族として暮らしていく価値もなければ、これだけ疑って、迷惑をかけて、誰にも合わせる顔なんかなかった。
シナリオ通りに邸からいなくなる事で、私は多分、自分が作り上げたこのどうしようもない状況をリセットしてしまいたかったんだと思う。
下町での暮らしは気楽だったけれど、逃げていても問題を増やすだけで何ひとつ解決しない事だけはわかった。だから夕べひとつだけ、心に誓ったことがある。
もう逃げない。
これまで目を背けていた全てのものに、正面から誠実に向き合っていきたい。
「まあ何ですか!この荒れ放題の髪と肌は!ショーン、湯浴みの準備をなさい!」
邸に入るなりだった。