女将さん
いたた……と思わず踞れば、女将さんは「ごめんよ、ちょっと強すぎたかねえ」と豪快に笑う。
「でも嬉しくってさ」
何がだろう?と首を傾げれば、女将さんは今度はちょっと乱暴に私の頭をグリグリと撫でた。
「あんた、無理してんじゃないかって、気になってたんだ」
「無理、ですか?」
「そうさ、クリスの母さんが言ってたんだよ。家に帰ってからずっと、そりゃあクリスは頑張ってたって。勉強だって家での習い事だって人が変わったみたいに一生懸命で、息抜きさせようと思っても難しいって心配してたんだよ。根を詰めすぎなんじゃないかってさ」
お母様が。
テールズに来た時、随分と女将さんと熱心に話し込んでいるとは思っていたけれど、まさかそんな事を話していたなんて想像もしなかった。
「だから、ここでは少し気を抜かせてあげられれば嬉しいってさ、そんな風に言ってたのに肝心のあんたはもう腕まくりであれやこれややろうとするじゃないか。そのうちパタッと倒れないように、そろそろ釘を刺しとこうと思ってたんだよ」
あっちこっちで心配をかけていたという事実にもう、申し訳ないやら恥ずかしいやら。女将さんは「自分で気付いてちゃあんとセーブしようってんなら文句はないさ」と笑ってくれるけど、それも違うのです……。
落ち込みつつ、正直にお話しした。
「いいえ、学園のお友達が止めてくれたんです」
「へえ」
「護身術が上達しないって悩んでたら、色々手を出しすぎなんじゃないかって注意してくれて」
グレースリア様をお友達と表現するにはいささか不敬な気がするけれど、関係性を正確に伝えるわけにもいかないから仕方ない。心の中でグレースリア様には謝っておく。
「いい友達じゃないか」
にこにこと笑う女将さんは、「良かったねえ」となぜか感慨深そう。
「最初に会った時にはさ、ほんと捨てられた猫みたいに警戒心丸出しで誰も信じてない感じだったのにさあ、ほんと、そんな友達がいるって分かっただけで満足だよ」
そう言われて、改めてそれがどれだけありがたい事かと気が付いた。
邸を飛び出したころの私は、そう、誰も信じられなかった。家族も、学園の人も、すべての人が敵に思えていたのに、今ではなくてはならない程に大切だ。
「ああ、今日は嬉しいねえ。午後もバリバリ働けそうだよ」
そう言って女将さんはえいや、と腕まくり。たくましい腕を自分でパシン、と叩いて見せた。タイミングよく、早めに店じまいした商人たちがわらわらと来店する。この波がひいたら、今度はクエストをこなした冒険者たちが換金を済ませて店になだれ込んでくるだろう。
「さあ、クリス! 稼ぎ時だよ、気張っておくれ!」
「はい! 頑張ります!」
私も女将さんをまねて、勢いよく腕まくりした。