市井官というものは
お父様は少しだけ訝るように眼を細める。
「お前が、武術?」
「はい、いずれは市井官として身を立てようというのに、護衛なしでは外も歩けないようでは配属された先でも困りますでしょう?」
そう口にすれば、お父様は苦い顔をする。
「現状は問題ないがな。月に一度、嘆願を持ち込む場を設けて数名の市井官が民の嘆願を聞き取る形になっておるゆえ、警備も最小限で済んでおる。基本的に市井官はその折に持ち込まれた嘆願を城内で精査、計画、遂行指示をするのが主たる任務で実行部隊は別におるのだ」
「まあ」
では書物にある市井官の『市井に入り込んで民の声を聞き生活を向上させる』というあの謳い文句は、実行部隊も含めての事だったのかしら。正直ちょっと想像とは違う。
「さすがに実行部隊の方に入りたい、などと言うのは聞けぬぞ。心臓がいくつあっても足らん」
「あらあら、クリスティアーヌの意思に任せると仰っていたではないですか」
「せっかく手元に戻ってきたのだ。市井に出していたあの時のような肝の冷える思いはできれば避けたいのは親心だろう」
お母様のご指摘に、お父様は苦い顔をさらに苦くした。
「それにな、クリスティアーヌ。まだ貴族の令嬢が政務に進出するのは稀な事なのだ、ゆえに反対派の意見も多い。新しい制度が軌道にのるまではあまり議論の火種を生みたくはないのだ、今は街へ顔を出せる事だけで我慢してはくれぬか」
弱った顔でそう言われてしまったら、私も強くは言えなかった。
せっかく女性にも庶民にも、官吏登用の機会が増えようとしているこの大切な時期に、私の身勝手な希望だけで制度自体が葬り去られてしまったら、確かに泣くに泣けないもの。
このところ一緒に勉強会を開いているマルティナ様とアデライド様の一生懸命な顔が浮かんで、ここはお父様の言に従う事にした。
大丈夫、私が学園を卒業するにはまだ一年半もの月日が残っている。その間にやれる事なんていくらもある。思えば一年半前、邸を逃げだしたあの日の自分に今の状況を話したとしてもとても信じられないだろう。
そう考えれば、一年半という月日は意外ととても長いのですもの。
その間に状況が変わる事もあるし、変える事だって出来るんだと、私は学んだ筈だから。
そんな経緯で、私はその週末はやくも街へ足を向けた。
ゴージャスな縦ロールの鬘をとれば、一気に庶民っぽくなる私。
鏡を見たら久しぶりの『クリス』の嬉しそうな顔が微笑み返す。お化粧は最低限のナチュラルメイクだし、また伸ばし始めた髪はポニーテールにして軽やかに纏めてみた。
服は大切にとっておいた、街にいた頃に着まわしていた中でもお気に入りの動きやすいおとなしめのワンピース。さらに動きやすいペタンコ靴までフル装備で、その場でくるっと回ってみたら元気のいい町娘の完成だ。
うん、どこから見ても庶民だわ。