邸にて
「クリスティアーヌ!」
「ぐはっ!?」
思いがけないお母様のタックルに、思わず淑女らしからぬ呻き声が出てしまった。
一体何だって言うんだろう。
「クリスティアーヌ…クリスティアーヌ…!」
私をきつく抱きしめてうわ言のように私の名前を呼びながら、お母様はさめざめと泣いている。ただ、激情が腕力に変換されているのか、めちゃくちゃ痛い。
「お…お母様…?」
「おお、クリスティアーヌ…なんてこと!」
泣きじゃくるお母様は、やっぱり話が通じる状態じゃない。ただ、あの時思い出した光景よりは…私を抱きしめてくれている分、とても暖かく…暖かく感じられた。
「エリーゼ、離してやりなさい」
お父様の制止に、お母様が名残惜しそうに手を離すと、漸くその場に静寂が訪れる。長い沈黙の後、お父様が額に手を当てて天を仰いだ。
私がお父様を困らせた時、お説教の前に必ずこのポーズだったわね。こんな時だというのに、なんだか懐かしい。最後のお説教を受けるべく、私は両足をちょっと開き、力を入れて身構えた。
きっとこれまでにない叱責が待っているだろう。でも、覚悟は出来ている。どんとこいですわ、お父様!
そしてお父様がおもむろに口を開く。
「…クリスティアーヌ、学園で何があったのかは既に聞き及んでいる。…グレシオン様から、婚約破棄を言い渡されたそうだな」
「…はい」
「破棄の理由も聞いたが…」
一拍おいて、お父様は私の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「心当たりはあるのか」
「?…いいえ」
なんだろう。あの時見た光景では、こんな問答なかった。お父様はただただ怒鳴り、喚き、育て損になったと天を仰いでたと思うんだけど。
「冤罪だと言うのか」
「…はい」
その途端、お父様の怒りの気が一気に増した。背中から黒い何かがゆらゆらと揺らめいて見える。
ヤバい…怒りの本番は、これからかも。
「クリスティアーヌ…お前という婚約者がありながら、グレシオン様は随分とそのリナリア嬢と懇意にしていたそうだな。それでもお前は苦言すら呈さなかったと?」
え…?あれ…?
「そ…その…特に興味がなかったので…」
だってそうなるって知っていた。私にとってはグレシオン様とリナリア嬢が仲良くなっていくのなんて分かりきっていた事で、その事に興味なんて小指の爪の先ほども持てなかったから。
私の答えを聞いて、いよいよお父様の怒りの気は最高潮に達した。
ひいぃぃぃ…!
お、お父様、怖い…!
怒鳴り散らしてたあの光景より千倍怖い!
「すべき諫言も忠告もせず、その上冤罪を受けて諾々と従ったというのか!」
部屋中がビリビリと震えるような怒声だった。足を踏ん張っていなかったら、腰を抜かしてしまったかも知れないくらい怖い。