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特徴1、無駄口を我慢出来ない

:::1

 密集したビルの谷間、薄暗い路地とも用水路ともいえそうな苔むしたコンクリートの道を走りぬけ、建物の土台を作る途中で放置された空き地へ飛び込み、腰の高さくらいまで育った草の群生に半ば倒れこむように身を隠した。

カーキのパーカーに暗い緑色ベースの迷彩カーゴパンツは都会の雑踏の中で見逃される服ではないが、この枯れ草で埋まった空き地では程よく身を隠せるはずだ。今までの「仕事」でも見つけられたことは無い。

それでも油断無く目深にフードを被り、捨てられていた雑誌を座布団代わりに低い胡座の姿勢で細い茎の向こう、数メートル先の道を注視する。羽虫の高い羽ばたきの音が数匹分聞こえるが、足音は聞こえない。

このまま数十メートルも進めば大通りの雑踏とぶつかるため、三方をビルの壁面に区切られたこの逃げ場の無い空き地でやり過ごすとは思わないのだろう。いままでの「客」はただ全力で目の前を駆けていくのがほとんどだったが今回は随分と諦めが早いのか、誰も目の前を通らず5分が過ぎた。


 この地方都市のスラムと住宅街を区切る様に横たわる、商店と露天が密集したストリートが自分の仕事場だ。しかしその仕事は物を売るでもサービスを売るでもない、いわゆるスリ・置き引き・ひったくりの類である。年寄りの同業者だと徒名・二つ名がつくほどの専門家の「職人」がいるが、まだ大人といいきれない年齢の自分は、小柄な体躯とスピードを使って逃げれると見たならなんでもやる雑食である。もっとも十年近くここに居座り、警察や地回りに黙認された縄張りを持ち、財布や軽いバッグのみを狙っているスタイルは、他の同業者から見れば十分個性的であると見られているかもしれない。


 今日の「獲物」は十代半ばの少女だった。ともに七分丈、伸びやかな肢体に良くフィットしたデニムのジャケットとパンツ、髪は短めのボブで白い首筋がちらちらと見える。小さなワンショルダーのリュックを背中にまわし、連れの男に何かと話しかけている。笑ったり怒ったり、声だけでも後ろから窺う者にくるくると変わる表情を想像させる。生活に不自由の無い階級なのだろうか、警戒という単語すら知らないかのように隙しかない。

 それにつきあう連れの男は寡黙でしゃべっても一言だけ、だが無関心なわけでもなく露天を飛び回る少女に根気良く付き合っている。エスコートと言うほどではないが、周囲に気を配りパーソナルスペースの主張と妥協をコントロールしていた。少女の遠慮の無さは恋人では無いだろう、仲の良い兄妹か親戚だろうか? 彼がいるから少女は隙だらけなのかもしれない。少女から頭二つ高く、横は倍もある。太っているというより筋肉で満ちている四角い体を黒のデニムパンツと青いジャージ素材の上着で覆っていた。素早さや瞬発力と言うより持久性と牽引力の体格だ、ここの見極めは特に自分の仕事には重要だ。


 アクセサリ雑貨を扱う小さな机だけの店で革紐とビーズでつくられた何かを買った少女が、直ぐにそれを身に着けたいのであろうか財布をぞんざいにリュックの外ポケットにしまった、端数センチが外にこぼれて見える。

わずか三メートル、チャンスだと気を引き締めると共に安堵する気持ちも有る、十数メートル先で同業者がこちらをさりげなく窺っている。この業界は早い者勝ちではあるが、その基準は獲物を掏った時点ではなく仕事の空気を出した時点であるからだ。目線で同業者に牽制をいれると、奴が口の端をわずかに上げた。意味ありげな目が言っている。どうぞどうぞお前さんが先だ、下手うっての逃走援護は3割か大紙幣1枚だぜぇ。


 人の流れに押されるように歩く。連れの男からもっとも遠いところにリュックが来た所ですれ違った。


 歩きながらパーカーのポケットに仕舞った獲物を指先だけで中身を確かめる。いわゆるがま口、二つ折りの財布より少し大きめ、起毛素材で刺繍も入ってるのか手触りが違うところがある。昼間の露天を廻ったためだろう、小銭で重く紙幣もいくらかあるがカードの類はなさそうだ、一番後腐れなく扱える、諦めもつきやすい獲物だと思ったところで路地に入る四つ辻を曲がる、ここからは早足で。数歩進んだところで「あ!」と声が聞こえたが、もう既に少女の視界に自分はいない。援護料3割も払わずに済みそうだ。もう一度道を曲がった所で走りだした。


 5分ほど走り5分ほど待機した。座って目の前の道を警戒しながらもポケットの中で数えた金額は大紙幣3枚に小紙幣5枚、小銭はあわせれば小紙幣2枚にはなるだろう。一月は暮らせないが、1週間ならここの下町ならかなり贅沢できる額ではある。

 今日はこれで終わりにしてメシするか、既に空となった獲物の財布をはじめてポケットの外に出した。ベージュの起毛素材に黒い猫が座った姿の刺繍がしてある、長い尻尾が右に伸びそれを追って往くと裏面で大きなハートを描いていた。フフッ。

 座ったままスニーカーの踵で空き地に財布を埋める穴を掘る、古物商に売る同業者もいるが自分は廃棄派だ。少しの布からすら指紋とDNAを見つけ出せる世の中でわざわざリスクを負う必要は無い。なんで大胆不適のすり・かっぱらいがそんな怖がりなんだよと同業者には言われるが、だからこそ今まで警察にも地回りどもにもつかまらなかったのだ。


 深さも幅も10cmほどの穴ができた、改めて周囲を窺う。遠くの雑踏の音、周囲のビルで誰かが水道を捻ったのか水の音、羽虫の音が近づいたり遠ざかったり。昼になる寸前の高い太陽でもこの空き地には陽が注がれない。煩くて、そして静かだ。

 

 よし!と声を小さく上げてゆっくり立ち上がり、穴に財布を落とそうと「やっぱり埋めるのか」した


「後ろじゃないぞ、上でもないな、気をつけろ下からくるぞ!ハハハ!」「はい、ゆっくり手を上げて頭の後ろで組む」「その財布は彼女のお気に入りでね」「隠したり売ってくれたなら接触せず穏便に取り返せたかもしれないけど」「土で汚れたりしたら機嫌が悪くなってしまう」

 やたらおしゃべりな野郎だ、こちらが言葉を差し込む隙もない。安いスピーカー越しみたいな声が一言一言違う場所から聞こえる、どういう手品だ。

「現地のスリにわざと掏らせて逃走経路を観察するんだ」「上空からの写真や地図では感じられない意識の隙間?空気感?そういうのを得る為に」「そしてそいつらに罪をおっ被せる為にね」「君はたっぷり逃げてじっくり撒く派だね、とても参考になった」

 目の前には誰もいない、そもそも周囲に誰もいないからこそ立ち上がったのだ。靴音もビルの壁面に写る影も無かったのだ。集中して声の出所を探す、四方をコンクリートに囲まれてるのに反射してくる声がない、蚊が2mほど先を飛んでいる、そのかすかな羽音より小さな声がノイズまじりにしかしはっきりと耳に飛んでくるのだ。

「本来こういう接触はしたくないんだけど」「彼女達がぎゃーぎゃー言い出してね」「だから支給品でいいだろうって言ったのに」「ワタシが持つんだから可愛くないと!だってさ」「だから財布だけ返してくれればそれで良いんだ」

 ここまで気配が無いとなると幻聴を疑いたくなる、らりったジャンキーの被害妄想でもあるまいし。そうなれるブツはそこら中で売ってるが自分はせいぜい酒だけだ。しかも仕事の前には飲まない。

「ゆっくり財布を手放して」「ありがとう、中身の金は差し上げよう、迷惑料だと思えば良い」「逆だろ僕達が被害者じゃないか、と思うよね」「現地のリサーチ代と暫く仕事が出来ない事への迷惑料だよ」

 頭の後ろで組んだ手にもっていた財布を、そのままの姿勢から手放すが地面に落ちた音がしない、かといって直接渡した感触もない。こんなに近くでしかも気配も衣擦れの音も聞こえない。

「ここ数日内にこのあたりで殺人事件が起こる」「物取りと揉み合った末に、ぎゃあーって感じでね」「警察がここらを行き交う事になるだろう」「疑われるのは君達みたいなスリや置き引きだね」

 犯罪予告めいたことを言い出したが、ここいらじゃそんな事件は良くある事だ。そもそも自分がその殺される奴では無いのか?

「あーもちろん殺されるのは君じゃない」「ただ本来ここに居るべきではない人が本来持っていてはいけない物をもって見つかるんだ」「だからここの不真面目な警察も熱心な捜査に出ざるをえない」

 聞いちゃいいけない事を聞かせて、しゃべり過ぎたやっぱり殺す。なんて安い2時間ドラマで小悪党がやらかす事じゃないのか?

「というわけでこれから数日は仕事は休んだほうが良いよ」「ナワバリとか警察や地回りに把握されてるならいっそアリバイ作りでもしたほうがいいかもね」

 ご親切な事だが、ここはまさに袖の下を通した上での縄張りである。本当なら迷惑この上ない。

「ここまでが教えるのが迷惑料かな」「君は随分幸運だねえ、もっとも信じるには嘘臭くてたまらないけど」「じゃあさようなら、ご清聴ありがとうございました」「というかよくこの状況で黙って聞いていられるよ、少しは暴れても良かったんだよ?」「本当に慎重派なんだねえ」「では、本当にさようなら」

 


 二日後の午後、警察署の取調室。馴染みの警官と書類を挟んで座っていた。

「何だお前、昨日のうちに俺に言えよ、その為にあれやこれやしてるんだろ?」

「折角の奇麗な履歴に傷が付いちゃったじゃねーか、これ結構自慢してたよな」

「置き引き未遂で一泊とか駆け出しの子供か、まあこれくらいなら今からでも履歴には入れずにすむぞ」

「うん、ほい、お前は年の割りにはスマートだなあ、はいコレで何もありませんでしたっと」

「つっても昨日の夜は呼ばれても無理だったがな」

「外交特権?とかもってる外国のお偉いさんが大使館も空港もねえここで殺されたんだとよ」

「いかついスーツの本庁さんがいっぱいだ。署長から俺らまであごで使われてヘーコラするのに忙しくて留置の処理なんて後回しの後回しだ」

「あー現場はお前らのいつもいるトコのすぐ横だ、お前以外のその手の奴は参考人で引っ張られまくりだぞ、暫らくは私服が張り付くだろうから仕事すんなよ?」

「はいコレで帰ってよし!ニドトコンナコトシナイヨーニ! じゃーな」


 短い階段を下りたあと振り返り、玄関脇の立番に黙礼をする。長い杖を持った若い警官に目線だけで「はやく帰れ」と返される。あの馴染みの警官の言う通りあわただしく人が出入りしている。肩をすくめフードを被りなおし、一市民へと埋没するのだ。

 アリバイ作りにしては随分高い所をえらんでしまったが十分以上の効果があった。その後の経緯もあえて周囲に聞くまでもなく得てしまった、やはりあの異常な畳み掛けおしゃべり男は本物だったようだ。しかも地方の警察署で収まらない事件を起している。自分も大概理不尽を他人におしつける仕事だし、今日一泊した警察ってのもそういうものだ。先ほどの警官や同業者らが見聞きした裏社会の怖い話は幾つか聞いたが今回は自分がその理不尽に引きずりこまれてしまったようだ。もしくは怪異譚の類かもしれない。機械を人体に埋め込み、むしろ機械に埋め込まれた人すらいる現代でだ。

 

 二日ぶりに帰った部屋はいつも通りのどんよりした空間だったがそれに安心もする。廃墟に勝手にスペースを作り出し住み始めてから初めてであろうか、窓を開け空気を入れ替える。常に無い行動に数匹の虫が窓から飛び上がる、抗議するようにうろうろしたあと視界から飛び去っていった。しばらくは自重して今までの稼ぎを切り崩そうか?もしくはまともな仕事を探したほうがいいのかもしれない。何度目の反省会だと自嘲しながらまずは不貞寝だと横になった。



 開け放たれた部屋の窓を見下ろせる、道路を挟んだビルの屋上に灰色の都市迷彩柄のウィンドブレーカーを着た二人組みが居た。しかし窓や周囲を端から覗くような姿勢ではなく中央で座り込んでいる。

遠目から見ればコンクリート混じりの瓦礫の山に見えるであろう胡坐をかき瞑想の如く閉じていた目を開けた男が一言だけ話す。

「撤収する」

その小山の横で数段のコンクリートブロックを適当に積んだかのような擬態の少女が三角座りの姿勢で睨んでいた端末から目を上げる。

「結局なにも言わなかったねー、てかアリバイ作りっても警察に態とつかまるとかすごいねこの子」

「ああ」

「お陰で密着取材24時だよ、完全監視だよ、寝不足だよ!」

「……」

「[アブ]があんなにしゃべるから私達だけ監視で居残りだったんだよ、反省しなよ!」

「こだわるからだ」

「はいはい私も反省してますぅー、でもこんなかわいい私があんなゴツゴツの支給品もっててもおかしいじゃない!」

「撤収する」

「そうね、早く帰って上申書でも書きますかね、かわいい子にはかわいい物を!」

「始末書からだ」

その時3匹の羽虫が男の左上腕にとまる、肩口にわずかにあいたスリットからもぞもぞと中にはいっていった。同時に男は端末らしき黒い小片に話しかける。

「機器回収完了、帰還する」

「なにか美味しいもの食べてから帰ろうよ、街中なのにずっと携帯食料だよ、もーやだ。あとアブはもう少し喋ろうよ、仕事おわったんだからさ。ハムシ越しならすっごい喋るのに」

男はゆっくりと立ち上がり少女に手を貸し立たせる。

「……」

「あーはいはい仕事に必要な事だけしか喋らないんですよねー、よいしょっとタクシーよろしく「おにいちゃん」」

そのまま少女は男の背中によじ登りしっかりと男の首に廻した手を組み合わせる、男も手を背中に回し保持すると柵のない屋上を駆け出した。

「聞いてはいるさ」

「そーじゃないんだよ!頷くとかさー相槌とかさー適度に…あぐ!」

重鈍そうな体つきとは思えないかろやかさで人一人背負いながらぴょんぴょんと屋上、屋根を飛び、わたっていく。

「舌かむぞ」

「かんでから言うとかー!」

大通りから二つ手前のビルの非常階段に着地し、地上に降りる道すがら二人ともウィンドブレイカーを脱ぎカバンに仕舞いこむ。

「で、何が食べたいんだ妹よ」

「うわ!気持ち悪、家に帰るまでが遠足だ的な事?それ」

「そうだ、帰るまでは妹思いのおにいちゃんでいてやるさ」

「じゃあさ、じゃあさ!おととい歩いたあそこにね、美味しそうなのが……」


七分袖のデニムの上下、快活そうなショートカットの少女と、その頭二つ分高く、横幅は倍もある大柄なジャージ素材のジャケットと黒いデニムの青年。

見た目では仲の良い兄妹がおしゃべりをしながら夕方の街に消えていった。



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