ポッキーの日 ―僕と僕の場合―
ポッキーの日って知ってるかい?
ま、“1”が付けば皆ポッキーの日って思えばいいよ。
つまり、“ポッキーの日”自体はちょーどうでもいいんだ。
重要なのはポッキーの日にかこつけて何をするか?
だ。
【蓮】
あ、咲也だ。
雨の中、びしょびしょになって……。
「咲也、ここで雨宿りしない?」
食べ終えたパイの包み紙を屑籠に捨て、僕は見慣れた咲也の背中に叫ぶ。
「さく、や…………僕?」
僕は“咲也”を君以外知らないよ。
「あ……蓮!」
僕を見て、本当に嬉しそうに手を振ってくれる咲也は好きだ。咲也の無償の無邪気な愛はとても心地好い。
「雨、突然、で」
それにしても、息継ぎを繰り返す咲也はやんちゃだと思う。こっちは咲也が悪天候の中走っていて、発作が起きないかヒヤリとしたと言うのに。
僕は濡れた咲也のコートを脱がし、体を震わせた彼の肩に僕の使っていた膝掛けを掛けた。濡れた衣服を着るより、こっちの方がマシだ。
ハンカチで彼の柔らかい茶色の髪を拭き、ようやく僕の気は収まった。咲也も分かっていたらしく、僕の一連の動きを黙って受けていた。
ここは僕や咲也が働く劇場近くの公園だ。
今日は稽古をつけて貰っていた咲也より早く劇場を出た。遊杏の修学旅行も重なり、久し振りに夕食当番になろうかと、スーパーに向かっていた。そしたら、思わぬ雨に公園のあずまやで立ち往生だ。
「はい、これあげる」
「?……アップルパイ?蓮好きなんじゃないの?いいよ」
「もう僕食べたんだ。今日の食後のおやつにしようと思ってたんだけど、我慢できなくなって」
僕がパイを返そうとする手を押し返すと、渋々「ありがとう」と受け取ってくれた。
「あ、止んだ…………」
「起きた?」
結局、咲也に貸したつもりの膝掛けの中で、咲也に寄りかかって眠ってしまったらしい。咲也が寂しい蛍光灯の下で華やかに笑う。咲也はきっと、どこでもこんな風に美しく可愛らしく、生き生きと笑うのだろう。
逞しく咲く花のように。
嗚呼、劇でこの顔を武器にできたらもっと咲也の魅力に気付く人が増えるのに。
と、ふと思った。
「今何時かな……」
「6時半。寒かったのに、随分、ぐっすりだったけど。……調子悪い?」
そっと窺う感じだった。
咲也は妙に勘がいい。だからちょっとだけ、役者として第六感の発達した彼に嫉妬していたりする。
これでも劇場一の花形役者の僕だが、表現力と知力はあっても、勘だけは備えようとして備えられるものじゃないのだ。
生まれ持った才能とでも言おうか……咲也なら型にはまらない斬新な演技ができる可能性がある。
それでなくても、咲也の一生懸命さは―本人はそう感じずとも―誰にも劣らない。
真面目で、素直で、優しい。
聖母マリアと同じ名を与えられた彼は、その名を持つに相応しい人物だ。
「寝不足なだけだよ。遊杏の荷物チェックしてたら、あれもこれもない。あれは必要じゃないか?いや、いらない。これは多すぎじゃないか?いや、必要だ。って、延々とね。遊杏ったら、お菓子ばっかり詰め込んでるんだ」
2泊3日の修学旅行。と言うより、社会科見学だろうか。
初の遊杏一人で外部でお泊まりだ。
最初は休むの一点張りだったが、兄兼保護者の僕としては遊杏には早く自立できるようになって欲しかった。僕に何かあったら、遊杏の家族は誰もいなくなってしまうからだ。
ということで、駄々を捏ねる遊杏に通信用の蝶を貸すという条件で、京都へ行ってもらった。しかし、その蝶には通信機能はないと知るのは一体いつか……。
僕は帰ってくるまで気付かなければいいと思っている。ホームシックにならず、我を忘れてクラスの子達と楽しんでくれているといい。
実際にどうだったかは、その蝶の録画機能で見ればいいし。
「そう。無理しないでよ」
それは僕の台詞だよ、咲也。
「うん。無理はしない」
眠って温まった体を咲也に近付けた。
【咲也】
スパルタ稽古をみっちりされ、体の節々を痛めて歩いていたら雨だ。
天気予報は降水確率20%って言ってたじゃないか!
空に叫んでも冷えた雨粒を飲み込むだけなので、僕は走った。
今日から僕がアルバイトしている家の女の子が、小学校の社会科見学で3日間いないのだ。僕が仕事で遅かったりすると、その少女―遊杏ちゃんが僕の代わりに夕食を作ってくれるのだが、今日はいないので、雨に立ち止まるわけにはいかなかった。早く夕食を作らないと。
しかし、先輩であり、友人の僕のバイト先の雇い主の蓮宅に向かっていたら、その蓮が近道の公園のあずまやにいた。
というわけで、蓮がいるならと、僕は足を止めることにしたのだ。
「夕食どうしよっか。久し振りに僕が腕を奮おうと思ったけど」
僕の濡れたコートを畳み、蓮がすっかり暮れた公園を眺める。それがいい絵になっていた。
「え?夕食は僕が……」
「咲也は稽古だったでしょ?」
「うん……でも、ちゃんとお金貰って雇われてるし」
お金の分はきっちりきっかり。マネーの問題ほど厄介なものはないのだ。
それに、バイト内容と割りに合わない高給。
劇場の仕事が終わったら、夕食を作りに蓮宅へ。遊杏ちゃんが定期的に食材をスーパーで調達し、そこから僕はメニューを考える。
蓮が遅れて帰ってくる。
蓮と遊杏ちゃんと一緒に僕も夕食にするのだ。
何だか蓮の善意に浸かって悪い気がするが、断っていたら僕は飢え死にか最後の手段に出るしかなかったし、蓮には言葉では言い表せられないくらい感謝している。
話が逸れたが、お金の分はちゃんと働きたい。これだけは蓮に甘えるわけにはいかないのだ。
「じゃあ、僕は咲也に夕食奢りたいな。今から帰って夕食作るの面倒だし」
奢り……僕が奢りたい!……とは言えない節制中。いや、目指せ大学進学よりも、蓮にはお世話になってるし。多く貰っている分、還元を……―
「僕、先輩だよ?断らないよね?」
…………断らないです。
「その代わり、チョイスは僕がするから」
…………断らないです。
【蓮】
「これなら遠慮はいらないだろう?」
「うん……まぁ」
口を開けたままの咲也。
僕がよく遊杏に内緒でくるここはこじんまりしたバーと、バイキング形式の食事。バーなのかバイキングなのかと訊かれると、どっちもだ。値段の分、礼儀のある紳士淑女しか集まらないからバイキングはバイキングでもゆったりと時間が流れている。
そんなここが僕は好きだ。
遊杏は未成年だから駄目だが、いつか、一緒に来れる日が来ることを願っている。
それまで、僕の身がもつことも。
「こんばんは」
「今晩は、二之宮様。こちらの方はお友達ですか?」
「うん。大事な友達。仕事仲間でもあるんだ」
「七瀬咲也です」
僕がマスターにいつも通り挨拶をすると、隣の咲也がぺこりと腰を曲げる。
そんなに堅くならなくていいのに。
けれど、咲也のそういうところが誰にでも受け入れられるのだろう。へりくだる等ではなく、あくまで相手と対等にいて、礼儀正しい。
「七瀬様、私は笠松です。今宵はゆっくりなさってください」
「はい」
高揚気味の頬でまた、花の笑顔。
咲也は可愛いと思う。
「偶然ですね」
あ、この声は……。
「あなたに偶然が?」
「1分1秒に何万の情報が生まれるのだから、当然、偶然もあります」
「わぁ、美人……」
セルフでがっつりとよそってきた咲也は、マスターのコーヒーを待ちながら、僕の背後の彼女を見ていた。
「今晩は、七瀬さん。私は蓮君の上司の妻代行、蓬です。ヨモちゃんやモッちゃんって呼んでいいですよ」
ぺこり。
黒髪ストレートの蓬さんは言わせる気などさらさらないあだ名を出してにこりと笑う。
「こんばんは、ヨモちゃんさん」
………………咲也って、流される質だな。でも、そういうのって楽しい。
“ヨモちゃんさん”はと言うと、一瞬、真顔。
そして、蓬さんは腹を抱えて白い歯を見せて声をあげる。
彼女は本気で笑っていた。
「“ヨモちゃんさん”?咲也君!キミ、可愛いね!」
「え?僕、失礼した?ごめんなさい!」
なんでそう考えちゃうんだか。
大人の女性を少女のように笑わせるって凄いことなのに。
「咲也は失礼なんかしてないよ。蓬さんは咲也を気に入ったみたい」
「そうそう。私の旦那代行に見習わせたいほどのいい子だわ。咲也君に嫁入りしようかしら」
足長く背が高い。
傷んだ箇所がない黒髪。
白い肌。
自分の顔に合わせたくどくない化粧。
モデル体型の彼女はとある化粧会社の社長だ。
そして、“僕の上司”と仮面夫婦の蓬さんは、黒の薄手のドレスで耳元の真珠を光らせながら、咲也の頬を撫でる。
母親が子を可愛がるように。
可憐に咲く一輪の花を慈しむように。
この人は言動も行動も嘘か本当か分からないから困る。完璧な女性の例で挙げられる彼女はミステリアスなところまで完璧なのだ。
実際、咲也は真っ赤になって困っていた。
蓬さんはその姿を見て楽しんでいたりする。
「蓬さん、からかわないで。咲也はピュアなんだから」
咲也は一途で純愛派だし。
「ピュア!?恥ずかしいよ!」
恥ずかしくない。
むしろ、羨ましい。
そう思っても僕には言えなかった。
僕には言う資格がなかったから。
【咲也】
マスターの笠松さんやヨモちゃんさんとの新しい出会いもあり、何だか楽しかった。
帰り道、明日の朝御飯買わなきゃと言う蓮に、僕もついていったら―美男の蓮をあまり一人にしたくなかった。少し酔っているみたいだったし―、蓮はくしゃみをしてコンビニに入った。
笠松さんに頼んでいたのか、蓮が乾いたコートを膝掛けを纏う僕に渡してくれた。ふとした行動に涙ぐむとは……友達が……僕は蓮が好きだ。
「ああ……咲也、眠いかも。蓬さん、ザルだから……笠松さんの忠告聞いとけば良かった……」
赤い頬の蓮。
それにしても、蓮がここまでなのは久し振りだ。
まるで、初めて僕が蓮に会った時のようだ。
『あれ?どちら……さん?』
予想外に若かった。
だけど、僕は後に退けない。
『その……僕……』
さぁ、弱者のふりだ。
同情を買うんだ。
『僕…………―』
―お前は嘘吐くのか?
―ヒーローってのは嘘吐きか?
違う。
そんなのヒーローじゃない。
その時、妙に顔の赤い同い年ぐらいの彼がよろけた。咄嗟に僕の腕は彼を受け止める。貧相で、でもなるべく清潔にしてるつもりだったが、怖くなった。
僕は汚い。
卑怯者だ。
『はは……ヒーローだ』
しかし、彼はくすりと笑って僕に体を預けていた。
『酔って?』
『酔ってるよ。だって……』
彼が僕を見上げた。
近いから分かる。
金と紺のオッドアイ。見事なまでの2色のコントラストだ。
びっくりした。
初めて見た。
『気持ち悪いだろう?』
…………ははは。
海より深い彼の紺が沢山の感情を押し込めたように歪み、無味乾燥な彼の笑声が僕の耳に響く。
だけど僕は……―
『気持ち悪くないよ』
僕が囁けば、彼は目を見開いた。そして、俯いて…………僕の胸に拳を当てた。
『何でかな……君に……怒鳴れない。……気遣いはいらないと……言いたいのに』
『きっと、僕は嘘が下手なんだ。顔に出ちゃう。そう、僕の大切な人が言ってた』
さくは残酷だよ。
残酷なくらい優しい。
『じゃあ、泣きそうな君は……悲しいんだね』
彼に言われて気付いたのは僕の頬を流れる涙。
僕は泣いていた。
悲しいのかな…………でもそうじゃない。
『僕はあなたに会えて嬉しいんだ』
『僕に?』
彼はポカンとする。
『僕にはまだ、あいつがいるんだなって』
あいつが僕を支えてくれるんだなって。
東京に出て宛もなくさ迷って帰る家もなくても、まだ僕に正義を貫かせてくれる。馬鹿な僕をそっと背中から支えてくれている。
『生きてて悪いこともないかなって』
あなたが教えてくれたんだ。
生きて。
さく、生きて。
あいつの声が聞こえる。
生きてまた会おう、隼人。
「蓮、コーンフレークとかは?あんまり食欲なくても食べられるし」
「うーん。じゃあ、それとアップルパイ……」
酔いで意識が朦朧の蓮だが、大好物のパイには目がないようだ。パンや菓子類へ行ってしまう。僕もコーンフレークは菓子類だったかと、蓮の後を追った。
蓮と5秒ほど遅れて商品棚を回れば、
アップルパイ。
アップルパイ。
アップルパイ。
アップルパイ。
ポッキー。
アップルパイ。
アップルパイ。
アップルパイ。
がカゴに入っていた。
………………………あれ?
ポッキー?
まぁ、いいや。これだけアップルパイがあるならコーンフレークはいらないか。そうこう考える間に、蓮はカゴを足下に置いて、ヤンキー座りでアップルパイを……。
「完全に酔っちゃってるよ」
僕は慌てて蓮の手を掴み、会計へ。奢ってもらった分、僕は財布を開けた。
これは体力作りだ。
蓮という重石を引き摺るというかなりハードな……重い。
蓮の家はまだまだ先。
気が滅入りそうだ。
「起きてよぉ……」
これはアレだ。
飲み会で酔った会社仲間を、普通なら外にスルーだが、上司だから無闇に放置できない。しょうがないから肩を貸さなくてはという、よくあるあのシーンだ。
そして、
「よくあるあのシーンでは……結局、家まで連れてくんだよなぁ……」
あーるある。
なんちゃって。
どうやら、僕は家まで蓮をおんぶする運命のようだ。
【蓮】
頭がガンガンする。
夜風が気持ちよく、振動が頭の痛みを倍増させる。
もうちょっと乗り心地良くならない?
何の乗り心地?
さぁ?
「う…………」
「あ、起きた?自力で歩ける?」
自力?
この大層な重病人の僕を捨てるのか?
「ちょ!!蓮、首、絞めないでよ!!」
「捨て……るな」
捨てないで。
父さん。
「捨てないよ。蓮が僕を拾ってくれたんだ。捨てるわけないよ」
振動が止まり、誰かの手のひらが僕の頭を撫でた。
あったかい。
「それに……僕は捨てられる恐怖が痛いくらい分かるから」
独白か。
彼の言葉は簡単に大気に溶け入りそうで、だが、僕には頭痛を通り抜けて脳髄に沈むように感じた。
【咲也】
これからの蓮は酔っ払いだ。
間違っても素面とは思ってはいけない。
「咲也、おはよう」
「おはようって……僕が、どうにか蓮の家の門が見えるところまで連れ帰ってから、起きるんだね」
「あはは。咲也、朝御飯は?」
「まだ午前1時だけど。まだ酔ってるんだ……」
「あー!アップルパイじゃないか!アップルパイは全部僕のだぞ!」
ガキ大将ですか?
「分かったから、家着いたよ」
「んーこれ」
ポケットから鍵を素直に出して僕の手へ。
「我が家のセキュリティは厳重だぞ!」
いやいや、普通に僕に鍵渡しちゃってるし。酔ったらぐでんぐでんだし。
「セキュリティ厳重な蓮の家に入れる僕はまさしく怪盗キ○ド!」
ごめん、僕も少し酔ってる。
「ははは、この二之宮蓮様が貴様の正体見破ったり!」
…………………もう駄目だ。
「僕の正体は七瀬咲也です。参りました。ほら、靴脱いで」
「うう……」
ぽんぽんと靴を捨てて僕にしがみつき、ビニール袋のアップルパイを奪おうとする。
「ちょっと、蓮!」
我が儘過ぎる子だ。
「咲也……ポッキーが……」
え?ポッキー?
寝室までどうにかこうにか蓮を引き摺る。そして、ベッドでゴロゴロする彼は、
「咲也!今日は何の日か知っているのかい!?」
突然、キレ気味のむっつりになった。目は眠って皿になっているのに、声はしゃきしゃきしている。
何酔い?
悪酔いだよね。絡んでくるよ……。
「日付変わったから11月11日だけど?1が並んでるね」
「ポッキーの日だ!!コンビニのポスターに書いてあった!」
知るか!!
「だから咲也、ポッキーするぞ!!」
コンビニめ!11月11日の1で僕を串刺しにするつもり!!!?
てか、ポッキーって動詞だっけ?
ポッキーしたくない僕を他所に蓮はポッキーを取り出し、僕の口に数本突っ込む。
「!?」
無理矢理口を抉じ開けてきたポッキー。
この瞬間、ポッキーは兵器になると思った。
多分、槍だ。
と、蓮がクッキーの方にかぶり付く。手をベッドに突いた僕は動けない。
何する気!?
蓮はポロポロとだらしなくポッキーを砕き、
嘘!?
え!?
キスしちゃうの!?
「うううう!!!?」
蓮ーっ!!!!!!
ドサッ。
「…………………」
蓮は撃沈。
僕の唇は死守された。
いや、僕は何もしてないよ。
蓮が突如寝てしまったのだ。
半開きの口。
軽く閉じられた拳が顎の下に2つ。
もう怒れない。
こんな無防備に寝る蓮は怒っちゃいけない。
何だか、一気に力が抜けた。
安堵というか安心というか。妙に心は穏やかだ。
ああ、そうだ。
「蓮は、人だよ」
蓮は子供だよ。
こうやって丸くなろうとする蓮は誰かから生まれた子供だよ。
『僕は人になりたい……』
自分の髪や目に泣いた蓮に、僕がずっと教えたかったことがある。
君は人じゃないか、蓮。