第二章 相模湾、血に染めて
猛烈なGに身体がシートに押さえつけられる。ベルトが肩に食い込み、骨が軋む。
体内の血液が一気に下半身へ逆流し、瞬間的に酸欠に陥った脳は一瞬機能停止に陥る。
視界がブラックアウトする。
朦朧とする頭を振り、霞む目を周囲に向ければ、そこは戦場だった。
剛太は状況を確認する。現在地は祖父の研究所の上空。高度三千メートル。
リニアカタパルトによって射出された勢いが重力と空気抵抗と釣り合い、そして負ける。
フワっとした浮遊感に包まれた一瞬の後、鋼の巨人は自由落下を始める。
重力加速度に沿って巨体は地面へと向かう。
「こいつ、飛べないのかよ!」
剛太は絶叫する。今時のスーパーロボットなら、空など飛べて当然ではないか。
しかし、現実は非情だった。飛行するためには揚力を発生させうる形状と十分な加速を得るための動力が必要だ。
ニュートンを呪っている暇もなく、巨体は地面へと加速する。
「おい、じいさん!なんとかならねえのか!」
何かそういう機能があるのではないかと思い、聞いてみる。
「無理じゃ!ギョジンガーに飛行装置はない!」
ないらしい。絶望的だった。
「じゃあいきなり空中に射出すんじゃねえよ!」
心の底からそう思った。
「いや、ついノリで。」
聞かない方がよかったかもしれない。
鋭い電子音がコックピットに響く。警告音か?
「前じゃ!」
前方から敵機が突っ込んでくる。とっさに操縦桿を右へ倒す。同時に敵機が発砲。
空中で無理矢理身体をねじって右に方向転換した刹那、砲弾が左脇をかすめて背後へ飛んでいく。
背筋を冷たい汗が流れる。右に傾けた操縦桿を戻して体勢を整えようとした直後、コックピットが衝撃に揺さぶられる。
敵機が前面から組み付いてきた。
続いて左右背後にも敵機が取り付く。敵機はこちらの半分程の大きさしかないが、四機がかりでは身動きがとれない。
幸いなのは高度350メートルで落下が止まったことだが、身動き取れないのでは安全とは言いがたい。
「クソ、つかまっちまった!」
「振りほどけ、振りほどくんじゃ!」
操縦桿やペダルを無茶苦茶に動かすが、四機がかりでは振りほどけない。
「よし……のまま……つけとけ……」
「…かし……の……破壊せ……」
「ダゴ…モドキ……は調査……が……鹵獲す……」
無線が混戦したのか、祖父の声ではないものが聞こえてくる。おそらく敵機の通信だろう。
「おい、テメエら!俺をどうするつもりだ!」
剛太は叫ぶが、返事は無い。返事をするつもりがないのか、あるいは聞こえてないのか。
巨人を抱えた四匹の巨大なハチはそのまま海の方へと移動していく。
連れ去るつもりなのか。
「そいつが現わ……辺りに……拠点…あるはずだ……焼き…」
「了解」
巨人の拘束に加わっていない二機が研究所の方向に飛んでいく。
「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっぉ!!!」
剛太の絶叫と同時に二機の砲口が連続して火を噴く。
研究所の周囲一帯は瞬時に瓦礫の山となり、燃え上がった。
「おい、じいさん、無事か、おい、返事しろ!」
通信機に向けて叫ぶが、いらえは無い。
敵機に拘束されたまま、陸地がどんどん離れていく。
瓦礫と炎と煙に覆われた陸地の景色は、もはやどこが研究所だったのか判別もつかない。
「くそ、テメエら放せ、放せよチクショウが!」
操縦桿を無茶苦茶に動かすが拘束は緩まない。
「おとなしくしてもらおうか、ダゴンの操縦者よ。」
不意にスピーカーから声が出た。祖父の声では無い。もっと若い男の声だった。
先程までの混戦した雑音混じりの音声ではない。向こうがチャンネルを合わせたのだろう。
「誰だテメエ!」
「私はアンドリュー・フェラン少佐。イエロージャケットの隊長を務める者だ。君を正面から拘束している機体に乗っている。」
イエロージャケット。聞いたこと無い名前だ。どかかの国の特殊部隊とかテロ組織の名前とかだろうか?
「君には色々と聞きたいことがある。ご同行願おう。」
その高圧的な物言いに剛太はカチンときた。
いきなりやって来て街を破壊したあげく、自分を連れ去ろうとしている連中。
改めてふつふつと怒りがわいてくる。
きっと大勢死んだ。何の罪も無い人々が、ただあの時あの場所に居たと言うだけで、死んだ。
きっと、祖父も死んだ。
ドス黒い怒りが剛太の腹の中で煮えくりかえる。
「ウオォォォォォォォォォォ!!!」
剛太は野獣のごとく咆哮した。そして右手の指輪が怪しく輝きだした。
怒りに沸騰した脳髄が急速に冷却されていく。
剛太は憤怒に煮えかえる自分を、妙に冷静に、冷徹に思考する自分がもう一人いて、それを遠くから眺めているような、不思議な感覚を味わった。
剛太の口から、剛太の知らない言葉が自然に吐き出される。
「ふんぐるい むぐるふなう くとぅるふ るりいえ うがなぐる ふたぐん」
スピーカーからアンドリューとやらの焦った声が発せられる。
「やめろ!それを唱えるな!やめろ!やめるんだ!」
「ふんぐるい むぐるふなう くとぅるふ るりいえ うがなぐる ふたぐん」
もう一度、剛太の口から意味不明の言葉が出てくる。
いや、意味不明なのだろうか?この言葉を自分は知っていたのではないか?
これは、連綿と祖先から引き継いできた遺伝子記憶にすり込まれた聖句ではなかったか。
剛太は怒り狂いながらも冷静な頭で、なんとなくそんな風に思った。
「ふんぐるい むぐるふなう くとぅるふ るりいえ うがなぐる ふたぐん」
さらに、もう一度。
「やめろ!それ以上口を開くな!コクピットを攻撃するぞ!」
「五月蠅い」
「さあ、第二ラウンドだ、ハストゥールの下僕ども」
自分で発言しておきながら、剛太はハストゥールって何だよとか胡乱な頭で思った。
どくん どくん どくん どくん どくん どくん
巨大な心音が力強くコクピットに響く。これは、巨人の心臓の音か。
「やっとお目覚めか、ダゴン。」
ダゴン。何度か聞いた名前だが、これが何を表す名なのかも、剛太は知らない。
しかし、彼ははっきりと判っていた。今、自分が乗っているこの巨人こそがダゴンなのだということを。
巨人の目が紅く輝く。そして口が開くと中からズルリと触手の束が現れる。
巨人が頭を振ると触手の束は勢いよく前部に取り付いていた敵機の横っ面を張り倒した。
敵機は引きはがされて左手に吹っ飛んでいく。
動揺した残りの敵機の拘束が緩んだ瞬間を見逃さず、巨人は右手を振りほどく。
振りほどいた右手の指先のかぎ爪を振りかぶり、左腕にしがみついていた敵機の頭部を易々と切り裂く。
頭部を引き裂かれた敵機は水面に落下して大きな水柱を上げる。
右腕を拘束していた機体が距離を離しながら手に持ったライフルのような大砲を構えるが、
巨人は背後にしがみついていた敵機を掴むと、力任せに投げつけた。
二機はもんどりうって絡み合ったまま落下していく。
飛行能力を持たない巨人も海面に落下する。特大の水柱があがった。
「アンドリュー!大丈夫か!」
「マルコムがやられた!ジョナサンとリーが海に墜ちた!」
「早く海から上がれ!水中はヤツの独壇場だぞ!」
「アフメドは周囲の警戒、私とエイベルでジョナサンとリーを救出する!」
周波数が合ったままの通信機から敵の会話が聞こえてくる。
一人は殺ったようだ。あと五人。
先程二機まとめて墜落した連中が体勢を立て直したらしく、左右に分かれて水中を向かってくる。
「馬鹿が。海はこのダゴンの領域。ビヤーキーごときに遅れをとるはずもない。」
左から向かってきたヤツが発砲する。
砲弾が白い軌跡を描いて迫ってくるが操縦桿を軽く倒しただけで巨人は易々とそれを回避する。
すれ違いざまにかぎ爪の一閃。敵機は胴体中央から上下に分断される。
切断面から黒ずんだ液体を撒き散らしながら海底へと沈んでいく。
「ジョナサン、戻れ!水中戦ではどうにもならん!」
「リーもやられたんだ!弔いだ!」
右から向かってきたヤツが無茶苦茶にライフルを乱射する。
「ジョナサン!やめろ、早く上がれ!」
「うおぉぉぉぉぉぉぉ!!」
さらに乱射され、白い軌跡と気泡で視界が埋まる。
気泡で真っ白になった視界の端から水かきのついた巨大な拳が現れる。
それがジョナサンの見た最後の映像だった。鉄の拳が操縦席ごとジョナサンの身体を押し潰す。
「ほうら三機目、あと半分。」
剛太は舌なめずりした。こんなに凶暴な気分は生まれて初めてだ。
海面から新たな機体が二機現れたが、救出すべき味方が既にやられているのを確認すると、
きびすを返して水面へ向かって上昇する。
「エイベル、アフメド!撤退する。こいつは危険だ!体勢を立て直す!」
「逃がすかボケがぁ!」
剛太は巨人を操り海面へと上昇する。しかし、相手の方が早かった。
海面から飛び出した敵機は上空で待機していた味方と合流すると物凄い加速で一気に離脱していってしまった。
「チクショウ!もどってきやがれヘタレが!」
剛太は悪態をつき、思いつく限りの罵詈雑言を叫んだが、もはや相手が戻ってくることは無かった。
つづく