子育て勇者と魔王の子供・58
朝早く、ユーヤは教会を訪れた。
「おはようございます」
「あら、おはよう。帰ってきたと聞いたけれど、無事で良かったわ」
にこやかに出迎えてくれたのは、昔からこの教会で働いている女性だった――外見二十歳、実年齢はユーヤも知らない。ただ、ユーヤが生まれる前からこの教会で働いているらしい。
魔物だと、聞いたことがある。
何かがきっかけでこの教会の神父と出会い、改心した、と。
神父さんは礼拝をしているのかもしれない。この村の教会は友情の神・ティノス信仰。この世に生きる者皆友達、という教えの、温和でゆるーい神様だ。
だからこそ、今彼女がここにいると言えよう。
祖父母宅の隣にもと魔王夫婦がいるのも、そのおかげなのかもしれない。
カゴを持っている彼女の手から、カゴを取り上げ、話しかける。彼女も至極当たり前のようにユーヤに荷物を持たせてくれた。力の強い男が荷物を持つもの。教えてくれたのは彼女だ。教え込まれた、ともいう。
「久しぶり。元気だったかい?」
「元気元気! みんな元気よ。この村には危険なんかないもの。近くに魔物が出たらアンタの親戚一同で追っ払ってくれるし」
「あー、俺んちみんな腕白だから」
「いや、そういうレベルじゃないわよ。なにあの頑丈さと体力。こないだアンタの従兄弟がゴブリン追いかけまわして、息切れさせたところを捕まえたって聞いたわよ」
「農家って力仕事だからなぁ。体力つくんだよ」
「そういうレベルじゃないってば」
笑いながら、畑に向かう。これから収穫なのだろう。今はいろんな野菜が実る時期だ。いろいろと食べごろ。そう言えば、祖父の畑はいつもいろんな作物がなっている。季節感無視で。あれは実りの女神の魔法でも使っているのか。祖父は神官ではなかったはずだが。茶飲み友達の大神官に頼んでいるのかも、と思った。あのおじさん、確か実りの女神を信仰しているはずだ。
「こないだね、新しい野菜を植えてみたのよ」
「へぇ。どんなの」
「確か……と、と、とうもろこし!」
「はー。美味いの?」
「甘くておいしいらしいわよ。ちゃんと育てば」
野菜を収穫しながら、たわいもない話をする。
「朝ご飯食べた?」
「いや、まだ」
「じゃあほら、ひとつあげる」
収穫したばかりのトマトをもらった。真っ赤だ。遠慮なくかじりつく。酸味と甘み。美味い。
「美味い」
「でしょ」
彼女が笑う。ユーヤも笑う。たわいもない会話。魔物と人間。男と女。
――彼女には好きな人がいる。教会の神父だ。
彼女には愛している人がいる。ずっとずっと、彼女は神父を愛している。
神父には家族がいる。愛する妻子がいた。
だから彼女は想いを心に秘めたまま。
ユーヤは、この村で唯一それを知っている。彼女が教会にいる理由が、信仰とか友情とかそういうものではなくて、もっと違うものだと言うことを。
幼いころ、彼女が泣いているところを見た。彼女が神父の名を呟いて泣いている意味が分からなかったユーヤは、神父さんに苛められたのかと思った。幼いユーヤに目撃されるくらいに、彼女は油断していたのだろう――いや、疲れていたのかも、しれない。届かない相手のそばで、想いを殺したままで、それでも傍にいることを選んだ彼女。
かなわない恋を、している女性。
「お手伝いありがと。お駄賃はそのトマトね」
「いや、駄賃って。俺もう子供じゃないけど」
「私から見たら子供よ。いくつ下だと思ってんの」
「……訊いたら殴るくせに」
「殴るわよ。女性に年齢を訊くもんじゃないわ」
……彼女が泣いていることを知っている。彼女の恋が永遠に実らないことを知っている。
それでも、彼女が恋い焦がれることを止めないと、知っている。
強い女性。
……弱いひと。
幼いユーヤに全てぶちまけて、それでようやく泣き止んだ彼女。
『ツライ、辛い、つらい……!! どうしてわたしじゃないの、どうしてもっと早くあの人に会えなかったの、どうして気が付いてくれないの……っ!』
『ごめん、ボクには分からない話なの。大人の話よ。良い子だから、忘れてね』
『本当に……忘れてね……』
今も、彼女はこの村の教会にいる。
年老いた神父の世話をしながら、ずっと。
「……元気なのかい?」
「ん? うん、でも、もう年だから。だいぶん、ね。奥様も一昨年に先に逝かれちゃったし」
「そっか」
久しぶりに村に戻ってきて、兄と話をして、思い出したのは彼女のことだった。
今も彼女は泣いているのだろうか。隣にいる今は笑っているけれども、一人になった時に泣いているのかもしれない。
「気落ちはしてるよ。でも、頑張るって。ほら、嫁に行った娘さんがね、戻ってきてくれるかもしれないのよね」
「へぇー。それは良かった」
「うん。良かった」
彼女は笑っている――でも、本当に笑っているのだろうか。
魔物でも、涙は出る。魔物だろうと、悲しみは悲しみで、心に傷があれば泣くのだ……。
「荷物持ちご苦労様。そろそろ朝ごはんじゃない? おなか減ったでしょ。食べてく?」
「いや、帰るよ。義姉さんが用意してくれてるかもしれないし」
「そ。それじゃあ、またね」
「ああ。また」
変わらない笑顔だった。
ユーヤが村を出るときも、同じ笑顔で見送ってくれた。
実家への道を歩きながら、ユーヤは思う。
変わらない彼女。老いた神父が世を去ったら、彼女はどうするのだろう。
また、泣くのだろうか。
それとも、笑うのだろうか?
再会した彼女に、幼いころ会うたびに感じたわずかな痛みは、感じなかった。
変わらぬ足取りで歩きながら、ユーヤは思う。
初恋というのかは分からない。幼い自分は、彼女のために何かしてやりたいと思っていたのは確かだ。
届かない恋をしている魔物。
終わらない恋をしている彼女のために、ユーヤができることなど、ない。
「……ちゃんと、考えなきゃな……」
オーラや幼なじみたちに、彼女のような思いをさせないために。
少しだけ真面目な勇者の「恋だったかもしれない」お話。
次回、みなさまご期待の女性陣大バトルが始まる……かもしれない(何も考えてません・笑)




