子育て勇者と魔王の子供・91.5
そっと忘れたころに更新するはい寄るナニカに私はなりたい(逃避)
「俺と結婚してください。可愛い魔王様」
完膚なきまでの、宣言だった。
誰もいなくなった夜の中庭で、月を見上げてオーラは思う。
十年は長かった。それは確かにそうだろう。だが、オーラとユーヤとカリスにとっては、数日でしかない。その数日で、状況はとてつもない変化をしていて、自分たちは置いていかれている。
置いていかれている、と、思っていたのに。
……勇者ユーヤの順応はすごかった。魔王となったイリアに押されるだけでなく、押し返すほどに。
オーラの目の前での、求婚。
もう完全に望みがないとは理解していたつもりでも、それでも衝撃だった。
完璧に、完全に、失恋したのだ――自分は、彼に、何も伝えることがないままに。
赤い糸が切れたことは知っていた。イリック相手に糸が伸びたことも知っている。けれども、やはり、どこかに納得していなかった自分がわずかに居て。
そのわずかな部分が、小さく泣いている。
オーラ自身が泣くほどに悲しくはないのだけれども、確かに胸のどこかがわずかに、痛い。
彼が悪いことはない。何も伝えておらず、始まることすらなかった自分の恋が、勝手に終わっただけなのだ。
今は無理でも、いつか切り替えることはできるだろう。素直におめでとうと言えるようになるだろう。良い友人として、ユーヤたちと付き合い続けたいのだから。
頑張ろう。始まってもいなかった恋だったけれども、確かに何か大事なことを教えてくれたと思う。
間違いなく、出会えてよかったと思っている。
オーラは息をつく。この痛みが遠くない未来に癒えたら、きっとあの二人を祝福できる。
お似合いですよと、茶化すことだってできる。
今は、まだ、無理だけれども。きっと、いつか。
「ねーちゃん」
「ひぇい!?」
……などと月を見上げて浸っていたら、急に声をかけられた。振り返るとイリックである。何故か、非常に微妙な表情で、こちらを見ている美少年は、表情をそのままに口を開いた。
「……ナルシスト?」
「誰がっ!?」
「いや、だってさー。月を見上げてため息ついて、なんか浸ってんなぁと思ったから」
「いろいろな意味で酷い言い様じゃない、それ!?」
ナルシスト扱いは酷い。浸っていたことは否定できないが。
「月が綺麗だったからぼけっとしてただけ!」
乙女心なんてこの少年にはわからないだろう。魔王になりたいと言い続け、あまつさえ実行して達成してしまったのだから。
「ほんとに?」
「本当!」
イリックはこちらを探るような目になった。どこか、疑わしげな。
「……にーちゃんとイリアのことでショック受けてたんじゃなくてか?」
びくり、と、背が震えた。それでイリックには分かってしまったようだった。
「な、なんでそんなこと言うの……?」
「んー? にーちゃんがイリアにプロポーズしたときに、ねーちゃん顔色変わったじゃん」
「な、なんで……」
分かったの、と、続ける前に、少年は苦笑いを浮かべて。
「ねーちゃんは冗談だと思ってるけど、おれ、ちゃんとねーちゃんのこと見てんだぜ?」
ひえ。
自分の口からかすれた声が漏れたことにも気づかず、オーラは硬直する。
「にーちゃんもイリアのことなめてたけど、ねーちゃんもおれのことなめてるよな。おれたち、魔王なんだぞ、なめんなよ?」
にやりと笑う少年魔王は、オーラには肉食獣に見える。
「ねーちゃん、おれとイリアには十年だ。ねーちゃんとにーちゃんにはたったの数日だってのも分かってるよ。でも、おれたちには十年なんだ。十年って長いぜ? すんごく長いぜ。魔族のおれたちだって、子供だったから長かったよ。すんげー長かった……だから」
獣のような笑みを浮かべたまま、イリックは宣言した。
「逃がす気はねーからな、オーラ」
うわぁああああああ!! 誰この人!? 誰っ!? 私の知ってるイリックくんはどこに行ったの!?
……声に出すこともできずに、オーラは心の中で絶叫した。
賢者の卵を硬直させ続けている少年魔王は、獣の笑みを消して、いたずらっぽく笑う。
「ま、オーラには数日だってのも分かってるつもりだから、今すぐナニカってことはねーよ? おれ、イリアと違って焦ってねーし。にーちゃんと違って競争率高くないからなー。ま、今すぐはナニもしないから安心していいんじゃね?」
ナニってナニ。どうするのどうするつもりなの!?
「あうあうあうあう……」
「おお、ねーちゃん言語がいきなり不自由になったな。すげー動揺してる。やっべ」
言いながら、イリックはオーラに手を伸ばす。頬を撫でられてオーラはビクリとした。
「……やべーな。可愛い。ナニカしたくなる」
だからナニをぉおおおお!?
……その夜、賢者の卵と少年魔王にナニかあったのかどうかは、誰も知らない。
オーラとイリック編。早く立ち直っていちゃつけばいいよ(笑)