海中バス
私はぼぅっとバスを待つ。
ゆらゆら
揺れる光。
ここは海中。
日の光が波打つ水面に揺られて・・・
ゆらゆら
私はぼぅっとバスを待つ。
次のバスは・・・いつ来るんだろう?
ここは海中。
水の動きも時間もゆっくり流れているようで・・・
ゆらゆら
私はぼぅっとバスを待つ。
ここは海中。
優しい水流。
いつからか、自分自身も揺れていた。
ゆらゆら
私はぼぅっとバスを待つ。
ややあって。
バスは来た。
「やぁ、お嬢さん。どちらまで?」
それは一匹のイルカだった。
陽気に笑い、陽気に喋る。
「行き先を決められるの?」
それじゃタクシーみたいだ、と思いながらイルカに答える。
「ここで待つ人もずいぶん少なくなったからね。いいんだよ」
ちょっと寂しそう?
でも・・・嬉しそう。
「じゃぁ・・・」
行き先を言いかけて私は言葉を切った。
あれ、どこに行きたくて私はバスを待っていたんだろう?
「・・・行きたい所、無いのかい?」
ちょっと困った顔のイルカ。
でもすぐに表情を変えた。
「じゃぁそこらをひとっ走り回って見てみるかい?」
いたずらを思いついた子供みたいな笑顔。
可愛いと思った。
「うん、お願いするわ」
私もちょっと笑って答えた。
「了解。お一人様、ご乗車〜」
誰ともなく、おどけたように言って、イルカは自らの背をひれで指した。
背中に乗れってことかな・・・?
私はおずおずと、足元に待機するイルカの背にまたがった。
つるりとした肌。
「ちゃんと背びれにつかまってくんな?お客さんを振り落とした、なんて海中バスの名折れだからさ」
目だけがきょろ、と私を見る。
私はその視線に頷きで応え、背びれを両手でしっかり握った。
「それでは、発車しま〜す」
おどけたような声。
ぐん、と力強い加速と共に、イルカは泳ぎ出した。
イルカの体が、私の頬が、水を裂いて進んでいく。
その涼しげな感触が楽しくて、私は目を閉じる。
「ここはサンゴの集落。なかなか素敵なポイントさ。小魚も一杯居てさ」
その言葉に目を開ける。
イルカがひれで指した先には色とりどりのサンゴ、そして小魚。
「あんまり長居するとお腹が減ってくるから先行くよ?」
へへ、と笑いながらイルカがまた加速する。
と、私の目の前に銀色の虹がかかった。
私は大きく目を見張る。
「お客さん、こいつはラッキーだ。アジの大行進だよ」
イルカが速度を落とし、言った。
目を凝らせば、虹はアジの群れ。
水面から差し込む日の光に照らされ、彼らの鱗がきらきら光る。
「綺麗・・・」
「だろ〜?」
イルカの得意げな言葉で、私は無意識に言葉を発していたのだと知った。
そのくらい幻想的で、綺麗。
「おっと、これまた長居するとお腹が減っちゃう。次へ参りま〜す」
イルカが再び加速する。
私はなんとなく名残惜しくて、振り返り、流れてゆく銀色の虹を見ていた。
ごぅ!
するといきなり私の横を黒い、大きな物が横切った。
「!?」
私はそれが何か、慌てて視線で追った。
「しまった。お客さん、アンラッキーだね。高速道路に入ってしまったよ」
イルカの言葉にびっくりして、顔を正面に戻す。
ごぅ!
さっきの凄い水音が正面から・・・しかもいくつも聞こえた。
「なに・・・?」
「マグロさ。何を急いでるんだが知らないけどさ、奴らいつも凄い速度で走ってるんだ。危なくってしょうがないってのにさ」
やれやれ、と言った口調でイルカ。
「・・・怖い・・・」
黒い弾丸のようなマグロの群れがびゅんびゅん私たちを掠めるように過ぎ去ってゆく。
「確かに危ないなぁ・・・迂回しよう」
ごぽん・・・
下へ引っ張られる感覚。
イルカが潜ったのだ。
私は慌ててイルカの背びれを掴みなおした。
やがて・・・光のゆらゆらが薄くなった。
周囲を見れば暗く、静かになっていた。
「いけねぇや、つい深く潜っちまった。大丈夫かい、お客さん。そろそろ帰るのが大変になるぜ?」
「!」
私の体が無意識にびくっと震えた。
『帰る』・・・そうだ、帰らなくちゃ。
「か、帰りたい!帰りたい!」
急に怖くなった。
帰りたい。
「帰るって・・・どこへ送ればいいんで?」
イルカの、困ったような言葉。
そう、どこへ?
あぁ、そうだ。
「おうちに・・・陸に帰して!」
私はつい、叫んでしまった。
「あぁ、やっぱり陸からのお客さんでしたか・・・わかりやした。超特急でお送りしまさ」
ぐん、とイルカが浮上を始めた。
光のゆらゆらが増え、周りがどんどん明るくなる。
もう少し、もう少し。
水面が迫り・・・そして突き破った。
「!」
あまりに眩しくて、私は目を閉じる。
「・・・!・・・!」
何か、聞こえる・・・なんだろう?
懐かしい声・・・。
私は目を開ける。
「よかった!目を覚ました!」
誰だろう・・・ものすごく安心した声。
あぁ・・・そうか、お母さんだ。
「あんた溺れてたんだよ!もう!あれほど気をつけなさいって言ったのに!」
溺れ、てた・・・?
さっきまでのは・・・夢?
私は体を起こした。
「幸い波打ち際まで戻されてたからいいものを・・・!」
その言葉は私の耳を素通りした。
だって私の目は釘付けだったから。
沖で水面を跳ねるイルカの姿に。
そして聞こえる、あの・・・おどけた声。
「ご乗車ありがとうございました〜!」
幻想と現実の境界をあやふやにし、非現実的な場面をすんなり受け入れられるように、という試みの作品です。