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前兆(2)

「古田、どうしたの?」

今日の古田は何だかいつもにも増して冴えない。得意な数学で指名された時も何も答えられずに棒立ちしていたし、話しかけても生返事で、いつもの、うるせえな、も出てこない。

「昨晩から頭が痛いんだよ。」

「大丈夫?風邪でもひいたのかな。何なら明日は休んでいたら?」

「いいのか?休んで。」

美月には古田が遠慮する意味がわからない。

「どうして?」

「お前、登下校、一人になっちまうぞ。」

 へーえ、優しいじゃん、と美月は感心する。けれど、これが古田の良いところなのだ、と十分すぎるほど知ってもいる。

 子供の頃、美月は活発で歯に衣着せず言いたいことを言う女の子だったから、乱暴な男の子によくからかわれた。ブスだの、ウンチだの、オトコオンナだの、今思えばくだらない中傷なのだが密かに美月は傷ついていた。

 古田は元来気が弱く、当時も表立って庇ってはくれなかったが、後から二人きりになると必ず、

「美月はブスじゃないし、ちゃんとした女の子だから大丈夫だよ。」

と励ましてくれたものだ。子供の頃はそんな古田の一言一言が美月を支え続けた。自分が今こうして顔を上げて素のままで振る舞えるのは古田のおかげだと思っている。

「最近、ストーカーも見かけないし、きっと大丈夫だよ。明日は休んで。もうすぐ期末試験だし、大事にしなよ。」

と美月が古田の肩をぽんと叩くと、古田はよろめきながら力無く笑って、そうすっかな、と言った。

 家の前で古田と別れる。古田が玄関のドアの向こうに消えるまで少しの間、見送ってから、心配と不安で胸がいっぱいになり、少しの間、家に入ることができなかった。最近、妙なことばかり起こる。ストーカーもそうだし、古田が体調を崩すなんて…。

古田は普段、頭痛なんて訴えることはない、お気楽マイペースな男だ。厄介な病気でなければ良いな、と思う。

さらに、美月は説明出来ない胸騒ぎを感じていた。昨晩、窓の外が一瞬真っ赤に染まったのだ。家族の誰も見ていないこともあり、自分の気のせいだと思っていた。古田もそれを見ただろうか…。気が小さい男だから、それで体調を崩したのだろうか。

じっと立っていると暑さが体にじりじりと沁み込んでくる。今年の暑さは猛烈だ。

(古田は夏バテかもしれない。)

と美月は自分を納得させた。そして古田が元気になったら赤い光のことも訊いてみよう、と思った。

 次の日、古田は休んだ。美月は、学校のプリントを古田の分も鞄に入れて、一人、帰路に着いた。プリントを郵便受けに放り込んで帰った。

 ところが次の日も古田は学校に姿を現さなかった。さすがに心配だ。今日は部活があるために帰りが遅くなる。

美月は暗くなってから帰路についた。やはり二人分のプリントを鞄に入れている。古田の家の玄関先に向かうと、ハイネが甘えるように尻尾を振って寄って来た。十年程前に古田が拾ってきた雑種犬だ。ただの雑種なのにハイネと呼ぶのが恥ずかしい、と、古田の母の小百合はいつも愚痴を言っている。

ハイネの頭をひと撫でしてから呼び鈴を鳴らすと小百合が玄関先に出て来て軽く頭を下げながら、美月ちゃん、ありがとう、と言った。

「おばさん、古田の、隆君の具合はどうなんですか?」

「何だか頭が痛いって言ってね、昨日はごろごろしていたんだけど、今日は病院に行かせたの。夏バテみたいよ。」

何しろ、この暑さだからね、と、小百合は空を見上げたが、既に暗くなっている。

「そうですか。夏バテなら心配ないですけど、滅多に休まないのに二日も連続で休んだから心配しちゃいました。」

 そうなのよね、と小百合が頷く。

「隆は丈夫だけが取り柄ですものね。」

 明日はきっと行ける、という小百合の言葉に美月は安心して向かいの自宅へ帰った。ところが、次の日も、その次の日も古田は欠席したのである。


とうとう一週間が経ってしまった。

(どうしよう。もう一度、訪ねてみようかしら。)

 もしかしたら、毎日、自分と登下校をしていたストレスで体調を崩したのではないかという気もしてきた。何しろ、あんなに嫌がっていたのだ。

 古田が学校を休んでいる一週間、美月は毎日、プリントやら連絡事項を古田家の郵便受けに律義に届けている。こんなに長く休むなら、欠席二日目なんていう初めの時期に訪ねるんじゃなかった、と思う。二回目の訪問をいつにするか、美月は計りかねていた。

 帰宅して第一声、美月は、ただいまも言わずに母に話した。

「古田、今日も休んだんだよ。これで一週間。余程、悪いのかなあ。幼稚園の時から、こんなに何日も休んだこと無かったよね。」

「ああ、そうそう、隆君、この猛暑で体調を崩してね、しばらく休むんだって。まあ、こじらすと長くなるから気をつけなくちゃね。」

「ふーん、本当に単なる夏バテなのかなあ。」

お医者の話しではそうなんだけど、と母は続けた。

「古田さんの奥さんが、変な病気じゃないか、って、とても気にしてね。何でも最近、ハイネが酷く隆君に向かって吠えるんですって。」

はーあ?と、美月は語尾を上げて首を傾けた。「犬って、変な病気だと吠えるわけ?」

「まあ、母親だから心配しすぎているんだろうけれど、ハイネが何かの危険を察知して吠えているんじゃないか、って言うのよ。その危険っていうのが隆君の病気、それも深刻な病気じゃないか、って言っているのよ。」

 母親とはありがたいものだ、と美月は感心した。そう、母親とはありがたいもの…胸の奥がチクリと痛む。何だろう、これは。特に母に不満は無いのに。目の前で話しを続けている母が何だか遠くにいるように感じる。

「まあ、隆君も今まで丈夫だったから、お母さんもかえって心配しすぎちゃうのかもね。週が明けて月曜日にまだ休んでいるようだったら様子を見てきたら、どう?私も気になるのよ。」

その提案に美月は我に返った。

「そうだね。今度、いつ行ってみようかと悩んでたんだけど、お母さんにそう言われて決めた。月曜日、行ってみる。」

 月曜は古田本人と会えるといい。そうすれば不安も心配もなくなる。できれば訪問して会うのではなく、古田が登校してくれれば安心だ。

美月は簡単に見舞いの手紙を書いて封筒に納めると、学校帰りに駅前のスーパーで買ってきたマリンちゃんのシールで丁寧に封をした。


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