ルノ(1)
ルノは捕えられた仲間たちが先日の戦闘について誇らしげに語り合っている様をぼんやりと見つめながら膝を抱えて座っている。父イカルガは昼間だというのに背後で静かに寝息をたてている。疲れているのだろう。
炎牢に閉じ込められて、もう何年も経った。
炎牢とはその名のとおり炎で囲まれている牢屋のことで、デモフォルトという男が管理している。空まで続くかと思われるような高い火柱がぐるりと円状に周囲を囲んでおり直径は五〇メートルくらいあった。どこかで小競り合いが生じるたびにこの巨大な牢屋ごと現場に運ばれ、さながらバスのようだった。火消しのために水霊たちが放たれる。デモフォルトが吟味しているのか、相手は火霊といってもそれほど強力なわけでもなく、ここにいる水霊たちの水術で軽々と抑えることが出来た。勝利が気持ちを高揚させるのか、今では水霊たち自らが毎日水術を強化するための訓練を行うようになり少しずつ術が成熟してきている。
牢屋に閉じ込められているとはいっても三度の食事は充実しており、たび重なる勝利が水霊たちの自信と上昇志向を盛り上げ、奇妙な明るい熱気が牢の中を満たしていた。
男たちはそれで良いのかもしれないが、ルノは戦闘があまり好きではない。イカルガは当時の傷が痛むのか、戦闘後は今日のように昼から眠ってしまうことが多かった。あの時、結界を超えてこなければ良かった、と苦々しく思う日もある。
あの山菜採集の日、殆どの水霊が無事に帰って来たのに父イカルガだけが姿を見せなかった。水霊たちによると、ラニアクス山で雨の術に惑わされて火領まで結界を自らの足で超えさせられたのだと言う。待ちかまえていた火霊の軍に危うく捕えられそうになったところに水霊の援軍が現れて逃げることが出来た。が、ホスタ王は刺殺され、足に傷を負ったイカルガは取り残されたということだった。
母と共にイカルガの身を案じながら、火領へ行って父を探そうと、結界に足を踏み入れては途中で怖くなって戻り、次の日はもう少し先まで進んでみて、やはり戻る、という毎日だった。
そんなある日、ルノは、結界の近く、山の麓で、一枚のメモを両手で大切そうに持って北の城へと向かう背中の丸い小男を見つけた。ホスタ王を刺した男について仲間から聞いていた特徴に似ていたので後をつけていくと、街の茶店に入って行く。
まだ子供だったルノは無邪気なふりをして男と同じテーブルに座った。正面から近くで見ると、男の顔中が赤黒く爛れていることに驚いた。
「何だ、お嬢ちゃんに用は無いぞ。」
と嫌な顔をする男に向かって、どこに行くのか、と訊くと、男は、
「秘密だ。こう見えてもおじさんは王様の大切な用事を仰せつかってるんだ。」
とニヤニヤと笑った。出来るだけ子供らしい言葉を慎重に選びながらルノは会話を試みた。
「王様はこの前、結界の向こうで死んだよ。」
「そうだった、そうだった。北領の王様は亡くなったんだったね。そういう時だからこそ大切な用事があるわけなんだよ、嬢ちゃん。」
「ふーん。大変なんだね。そのメモが用事なの?」
とルノがメモを覗きこもうとすると、男は慌ててメモを尻のポケットに入れた後、手を振って追い払うような仕草をする。
「嬢ちゃんには関係ないことだから、あっちへお行き。」
ルノは意を決して出来るだけ子供らしく悲しそうな表情を作って男の手の甲に自分の掌を重ねた。骨ばって砂のようにざらざらしている。
「おじさん、実は、私のお父さんが行方不明なの。おじさんは立派な人なんでしょう?何か知らない?」
目を細めて意地悪そうにルノの顔をじろじろと眺めている顔。その顔中の火傷の痕がミミズのように蠢く。目を背けたくなったが、それを耐えて男の目の奥を見つめながら、もう一度、おじさんは立派な人だから、と、やっとの思いで口にした。
すると男は気を好くしたのかヒヒヒと黄色い歯を剥き出しにして笑った。ああ、やっぱり皆が話していた男だわ、とルノは確信する。
「お父さんはどんな人なんだい?」
「お顔を描いてあげる。何か描く物を貸してください。」
差し出された白いメモ用紙にイカルガの似顔絵を描いて渡すと、男は、
「はっ。知らねえ顔だ。嬢ちゃんに返すよ。」
と、ろくに見もせずにメモを突き返した。
男が勘定の支払いに席を立ち、ルノも一緒に立った。
「嬢ちゃんはお帰り。」
と言う男の後ろに立って、
「もしもお父さんを見つけたら、このお店にまた来てね。」
と、尻のポケットに父の似顔絵を突っ込むと、はらりと、男がさっき手に持っていたメモが床に落ちた。男は気付かない。ルノは急いでそのメモを拾うと男より先に店を去ったのだった。
そのメモが城のミヅキを火領へ呼び出すものだと知ったルノはリョウの部屋へそれを届けて自分は火領へと向かった。毎日超えようとして超えられなかった結界を、自分はミヅキだと思いこむことでようやく超え、超えた先には父イカルガが待っていたのだった。