対決(1)
リョウは途方に暮れていた。美月を連れ帰るために、少々手荒なことをしても良いという女王の承認を得たものの、気が進まない。
美月に意識を失わせれば御霊だけを連れて行ける。腹でも殴れば簡単なのだが、その簡単なことが出来ないでいる。勇気を出してみよう、と思った時には向かいに住んでいる男が一緒にいて近付けなかった。
それで、結局、前のように姿を消して、美月の家の前に立っている。立ちすくんでいる、に近い。
(これじゃ、後戻りだ。)
と唇を噛む。
そろそろ帰って来る頃だ。駅へ向かって少し歩くと、美月が帰って来る姿が見えた。テニスのラケットを右手に抱え、スポーツバッグを肩からぶら提げている。
お姫様のお帰りだ。いよいよ、今日は仕留めるか。夜の帳が下りて辺りは暗い。が、姿を消したままの方が確実に機敏に事を進められるだろう。
美月に近付こうとすると、すぐ脇を風のように通り抜けてリョウを追い越した者がいた。これ程に軽快に、かつ、敏捷に動ける生物が地球上にいたとは、という驚きと、ここがラナで実は自分の姿が見えているのではないか、という恐れが同時にこみ上げ、腹の底に氷を抱えたような冷えを感じ、額からは冷や汗が滲み出た。
何者だ…?暗闇で目を凝らすと、それは、例の向かいに住んでいる男だった。確か、古田隆という名だったか。こんな時間にどこへ行くんだ?
そう思っている間に、美月が古田に気が付いて、良くなったんだね、と言いながら、笑顔で手を振った。古田は手を振り返さない。リョウは古田の背中しか見えていないので、その表情はわからないが、ただ感じた。
肩のあたりから熱く鋭い殺気が立ち昇っている。
「おい!」
と呼ぶと古田は振り返った。奴には自分が見えている。確信する。美月が不思議そうに古田を見つめている。
「古田…、どうしたの?」
古田の瞳孔が開いて、リョウの立ち位置を確実に捕えた。
「リョウ様、ご立派になられて。私のことがおわかりですか?」
デモフォルト!忘れもしない、火領に於いて王に次ぐ最強の火霊。幼少の頃、彼の火術に魅せられ、術の全てを授かった。火術では敵わないかもしれない。しかし―
(俺には水術がある。)
リョウは波動を保って身を隠したまま沈黙を守った。
美月は古田の奇怪な様子に気付いてラケットも鞄もその場に放り投げて駆け寄った。両肩に手をかけて揺すりながら、仕切りに、古田、古田、と、その顔を覗き込んで繰り返し名を呼び、正気付かせようとしている。
「古田!しっかりして。誰に話してるの?」
古田の釣り上がっていた目尻が緩んで、見えない相手に結んでいた焦点が曖昧になった。
「…美月…逃げろ。」
「どうして?ここには、あんたしかいないのよ。」
「逃げろ!」