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もし応仁の乱が起きなかったら? 〜日本を世界最速の大航海時代へ導く〜  作者: tky
第3章:1467年、「応仁の和議」と「戦なき世」

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第41話:和議の翌日、武将たちの「帳簿地獄」

一四六七年、秋。


後に「応仁の和議」と呼ばれる歴史的盟約が結ばれた数日後のことである。


天下を二分して京都を火の海にするはずだった東西の巨頭、細川勝元と山名宗全は、冷たい初冬の潮風が吹き抜ける和泉国・堺の港に立っていた。


彼らの眼前に広がるのは、鉛色の空の下でうねる海原と、それに抗うように停泊する数隻の巨大な影。


幕府の威信をかけて建造された、最新鋭の大型外洋帆船(ガレオン船)の威容であった。


見上げるほど高いマスト、分厚い装甲板、そして船体にずらりと並ぶ漆黒の大筒の砲門。


先の洛外の野戦において、彼ら自身は安全な本陣に留まっていたものの、最前線へ送った数万の軍勢が「未知の火器」の前に一瞬で粉砕され、潰走したという地獄の報告を受けていた。


目の前にそびえ立つ、常軌を逸した「暴力と富の結晶」を見上げ、二人の背筋に冷たい汗が伝う。


『……これか。我が精鋭たちが、近づくことすら叶わず蹂躙されたという幕府の真の力は……。我らが知る安宅船など、まるで童の玩具ではないか』


幕府に完全敗北を喫した彼らであったが、その胸の奥には、凄惨な戦を回避して命を拾い、海へ出る機会を与えられたことに対する「武士の意地」が燻っていた。


「フッ……血生臭い京の都で小石の奪い合いをするなど、とうの昔に色褪せて見ゆるわ。これからはこの未知なる大海原こそが、我ら細川家の新たな領地じゃ」


細川勝元は、潮の香りを深く吸い込みながら、強がりのように満足げな笑みを浮かべた。


隣に立つ山名宗全もまた、ギラギラとした野獣のような目を果てしない水平線へ向けている。


「左様。あの小賢しい日野富子めも、武力で我らを屈服させたとはいえ、未知の海を切り拓くには結局我らの統率力に頼らざるを得なんだということじゃ。異国の富は、すべて我ら山名が掻き集めてくれるわい」


己のプライドを必死に保ち、高笑いを上げる二人の背後から、静かな足音が近づいてきた。


「……提督閣下。出航の仕度、ことごとく整いましておじゃります」


声をかけてきたのは、幕府から派遣された若き官僚だった。


仕立ての良い絹の着物を纏ったその男は、一切の感情を排した冷徹な目をしている。


彼はうやうやしく頭を下げると、背後の従者に命じて、ずっしりと重い頑丈な白木の箱を二人の前に置かせた。


「なんじゃ、これは。我らへの餞別の品か? はっ、わざわざ気を使わなくとも良いものを」


勝元が鷹揚に頷き、期待に胸を膨らませて箱の蓋を開ける。


しかし、そこに入っていたのは黄金や真珠といった財宝ではなく、分厚く綴じられた膨大な量の和紙の束だった。


「……なんじゃこれは。帳簿、か?」


怪訝な顔をして眉をひそめる勝元に対し、官僚は氷のように冷たい、事務的な声で告げた。


「はい。本陣にてご用意つかまつりました外洋船の『貸借料』、艦載しております最新式の旋回大筒および規格化されし火薬の『使用料』、ならびに熟練水夫三百名分の『前借りの扶持(人件費)』……それら初期投資のすべてを合算いたした、幕府からの『借入金残高』を記した帳簿でおじゃります」


「な、なんじゃと!?」


宗全が血相を変えて箱に手を突っ込み、帳簿をひったくるようにして開いた。


そこに墨で几帳面に記された数字の羅列は、歴戦の武将である彼らの想像を絶するものだった。


大国をいくつも買い取れるほどの、天文学的な負債額。


「な、なんじゃこの莫大な借財は!? 提督に任じられた我らが、なぜ幕府の船に乗るためにこれほどの銭を払わねばならんのじゃ!」


怒りに任せて顔を真っ赤にして怒鳴りつける勝元。


腰の刀に手をかけんばかりの勢いで迫る武将たちを前にしても、官僚は全く動じることなく淡々と事実を突きつける。


「提督といえど、船も武器も、すべては幕府の持ち物。皆様にはそれらを『お貸し出し』しておるに過ぎませぬ。そして……」


官僚は、憐れむような目で二人を見た。


「お言葉でおじゃりまするが、両名とも少々勘違いをされておいでですな。安全で実入りの良い明国や近場の航路は、とうの昔に幕府へ恭順せし畠山様や斯波様が押さえておいででおじゃる」


「な……なんじゃと……!?」


「洛外の野戦にて幕府に刃を向けた敗軍の将たるお二方に、安全な商いの道など残されているはずがおじゃりませぬ。お二方には、未だ誰も行かぬ『未開の海』を切り拓いていただきまする」


勝元と宗全は、雷に打たれたように絶句した。


「どこへ行こうと制限はいたしませぬが、格下の大名どもに出遅れた分、新たな富を死に物狂いで見つけ出し、速やかにこの莫大な借入金に利子をつけてご返済いただきとうござりまする」


「り、利子じゃと……! この未知の海へ放り出された上で、土倉から銭を借る下賤の輩と同じに扱うか!」


「ええ。万が一にも期限までに返済が滞るようなことがおじゃりましたら、契約に基づき、お命はもちろんのこと、皆様の本領たる国々もすべて幕府が差し押さえさせていただきまする。……では、良き航海を。ご武運をお祈り申し上げまする」


深々と一礼し、嵐のような威圧感を残して立ち去る官僚。


堺の港には、格下の大名に安全な航路を奪われた屈辱と、絶望的な負債、そして過酷な新規開拓の運命を唐突に背負わされ、顔面を蒼白にしたまま立ち尽くす二人の武将が残された。


風が吹き抜け、巨大な帆がバタバタと音を立てる。


もはや彼らに、引き返す道など残されていなかった。


***


同じ頃、京都・室町第。


静寂に包まれた広大な奥の院で、薫子は届けられたばかりの堺からの報告書に目を通し、一人でクスクスと笑い声を漏らしていた。


『ふふふ、計画通り!いくらプライドの高い武将でも、首根っこを莫大な借金で掴んだ上で、「お前たちは負け犬だから未開の海へ行け」と煽れば、絶対に発狂して死に物狂いで働くわ!』


薫子は手元の扇子をパチンと鳴らし、美しく手入れされた庭園を見つめる。


『いくさで勝敗を決めるなんて古いのよ。彼らはもう、領地を奪い合う野蛮な戦国大名じゃない。莫大な初期投資を背負わされ、資金繰りと利益率に追われ、幕府に上前を跳ねられ続ける、哀れで優秀な「社畜(コンツェルン総帥)」よ。さあ、一族を路頭に迷わせたくなければ、未知の海を切り拓いて外貨を稼いできなさい!』


極東の島国から、内戦の火種が完全に消滅し、血みどろの経済開拓戦争という新たな歯車が回り始めた瞬間であった。

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