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もし応仁の乱が起きなかったら? 〜日本を世界最速の大航海時代へ導く〜  作者: tky
第1章:赤子の目覚めと、室町「経済特区」の構築

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第14話:平時の通達と、寺社の激怒

京の都を見下ろす霊山、比叡山。


その中腹に位置する大寺院の奥の院では、重苦しい読経の声と、むせ返るような護摩の煙が立ち込めていた。


「……なんじゃと? もう一度、申してみよ」


上座にどっかと腰を下ろした幹部僧・覚全かくぜんの低い声が、薄暗い堂内に響いた。


報告に上がった下級の僧兵が、脂汗を流しながら平伏している。


「は、ははっ……。先月、山科の領地へ送り込んだ人足どもが、一向に村へ戻ってまいりませぬ。それどころか、新たに人を集めようと手配師を回しても、誰一人として寺の呼びかけに応じようとせぬのでごじゃります」


「応じぬ? 仏の威光を笠に着た我らの呼びかけに、下民どもが逆らうというのか?」


覚全の肥え太った顔が、怒りでどす黒く染まっていく。


半年ほど前、あの山科の小生意気な童女から「三割の手数料」を約束された時、覚全は笑いが止まらなかった。


右から左へゴミ(流浪の民)を流すだけで、蔵が銭で溢れ返るのだ。


当初は確かに、莫大な上納金が滞りなく寺へ運ばれてきていた。


だが、ここ最近になって異変が起き始めていたのだ。


「……調べてみたところ、山科の普請場へ行った者たちは、みなあの小娘を『観音様の生まれ変わり』と崇め奉り、骨の髄まで心酔しておる様子。怪我の治療だけでなく、家族の面倒まで見てもらえると……」


「たわけが!!」


覚全は、手元にあった重い数珠を、力任せに床へ叩きつけた。


パァン! と乾いた音が響き、下級僧兵がビクッと肩を跳ねさせる。


「下民どもに情けなど無用! 生かさず殺さず搾り取るのが、この世のことわりであろうが! あの小娘、我らに銭を貢いで服従したフリをしながら、裏で民の心を丸ごと奪い取りおったわ!」


覚全はギリッと歯を食いしばった。


寺社という巨大権力の源泉は、兵力でも銭でもない。


「仏に逆らえば地獄に落ちる」という『見えない恐怖(権威)』で、民衆を精神的に支配していることこそが最大の武器なのだ。


それを、あのわずか六歳の童女は、圧倒的な「現世利益(ホワイト待遇)」によって、いとも容易くぶち壊してしまった。


「……このままでは、寺の威信に関わる。我らの足元が崩れ去るぞ」


覚全は立ち上がり、護摩の炎に照らされた恐ろしい形相で、堂の奥に控える屈強な僧兵(山法師)の頭目たちを睨みつけた。


「皆の者、聞け! 山科の薫子なる小娘は、神仏の理を乱す妖狐じゃ! これより仏敵の領地を焼き払い、あの憎き小娘の首を刎ね、蓄えた富を根こそぎ奪い取ってまいれ!!」


「「「おおおおおっ!!!」」」


僧兵たちが、太い薙刀を打ち鳴らし、狂信的な咆哮を上げる。


中世最強の宗教マフィアが、ついにその牙を剥いた瞬間であった。


***


比叡山から「山科討伐」の激走が発せられ、寺の息がかかった近隣の村々へ「武装して集結せよ」との号令(触れ)が回った、その夜。


山科の隣に位置するある大きな惣村(そうそん・自治村)の寄り合い所では、村の顔役である乙名おとな源兵衛げんべえが、頭を抱えて唸っていた。


「……源兵衛どん。寺の使いが、明朝までに男手を集めて槍を持たせよと喚いておりやす。どうしやすか?」


若衆の一人が、不安げに問いかける。


寺の命令は絶対である。

逆らえば村ごと焼き討ちに遭うか、破門されて商いが一切できなくなる。


だが、源兵衛は重い口を開いた。


「……動くな。誰一人、村から出すな」


「えっ!? し、しかし、それでは寺のお叱りが……!」


「寺が怖ぇか? ……俺はな、寺の坊主どもより、よっぽど恐ろしいもんを見ちまったんだよ」


源兵衛は、震える手で懐から一枚の書状の写しを取り出した。


それは、数週間前――寺が激怒し、事態が動くずっと前の「平時」の段階で、山科の領地からやってきたという、影のように静かな密使から手渡されたものだった。


源兵衛は、その夜の出来事を思い出し、今でも背筋に氷を当てられたような寒気を覚えていた。


***


(数週間前の回想)


『夜分遅くに失礼つかまつる。山科家の姫君より、源兵衛殿へ大切なお知らせの儀がおじゃりましてな』


顔を笠で隠した密使は、囲炉裏の前に座る源兵衛の前に、和紙の束をことりと置いた。


『なんじゃこりゃあ……?』


訝しげに中を開いた源兵衛の目は、次の瞬間、限界まで見開かれた。


『こ、これは……!!』


それは、源兵衛をはじめ、この村の主要な者たちが、京の土倉(高利貸し)から借り入れている「借用書」の写しであった。


度重なる不作で首が回らず、田畑を担保に入れて借りた血の滲むような借金。

それがなぜ、山科の小娘の使いの手にあるのか。


密使は、笠の奥で淡々と、しかし丁寧な京言葉で語りかけた。


『お分かりでおじゃりますな。そなたらの村が抱えとる負債は、姫君が土倉から「すべて買い上げられた」のでおす。つまり、今のそなたらの債権者は、姫君という事になりまっせ』


『な、なんじゃと……!?』


『そやけど、安心しておくれやす。その借用書の「原本」は、山科にはおまへん。姫君の計らいで、すべて次期将軍の御台所、日野富子様の御金庫に預けられておじゃります。……ほれ、写しの端をよう見てみはれ』


源兵衛が震える指で借用書の端を見ると、そこには見慣れぬ、しかし圧倒的な権威を示す「日野家の朱印」が押されていた。


『ひ、日野……富子様……!?』


『左様おす。さて、ここからが姫君からのお知らせでおじゃる』


密使は、脅すような素振りは一切見せず、ただ事実を並べるように言葉を紡いだ。


『やがて寺が腹を立て、そなたらに「山科を襲え」と命じる時が来るやもしれまへん。そやけど、よう考えておくれやす。そなたらが寺の命に従って山科を襲い、仮に姫君に刃を向けて火を放ったところで……「借用書」は燃えまへん』


源兵衛の心臓が、ドクンと嫌な音を立てた。


『借用書を処分できんのに、債権者を襲う。……そうなれば、「借金を踏み倒すために債権者を襲撃した」という事実だけが残りまっせ。その証文を握っとられるのは、富子様おす』


密使の言葉は、氷のように冷徹な論理で構築されていた。


『寺の命令やと言うても、借金を踏み倒そうとした悪人として、後で幕府からどないな恐ろしいお取り立てが待っとるか……村を束ねる賢いそなたらなら、ようお分かりおすやろ?』


源兵衛は、ガチガチと歯の根を鳴らした。


寺の坊主の薙刀も怖いが、借金を踏み倒そうとした罪で幕府に睨まれれば、それこそ文字通り「一族郎党、根絶やし」である。田畑は即座に差し押さえられ、路頭に迷うどころか首が飛ぶ。


『……ひぃっ。そ、そないな無茶な! ほな、俺たちゃあ、どうすりゃええんだ!』


『案ずることはおまへん』


密使は、すっと声の温度を変え、優しく微笑むような声色になった。


『ただ、寺の使いが来たら「流行り病が出た」とでも言うて、門を閉ざして大人しゅう家に引きこもっておればええのどす。そうしてさえいれば、姫君は今の豊かな商いをこれまで通り保証し、いずれ借金の利子も下げて差し上げると仰っておじゃりますえ』


これはいわゆる「脅迫」ではない。

現状の契約関係と、起こりうる事象の因果関係を、親切に「通知」してくれただけなのだ。


『……どう動きはるか。そなたら、村を背負って立つ賢きリーダーなれば、自ずと答えは出るはずでおじゃるな?』


密使はそれだけ言い残し、煙のように消え去った。


***


(現在)


寄り合い所の重い沈黙の中、源兵衛は血走った目で若衆たちを見回した。


「分かったか。あの姫様は、脅しじゃねえ。『事実』を教えてくれただけだ。寺の言われるがままに山科を襲っても、俺たちの借金は一文も消えねえ。残るのは、債権者に刃を向けたという大罪だけだ」


源兵衛は、深く、深く息を吐き出した。


「寺の坊主どもは『戦え』と喚いてるだけだ。……だが姫様は、戦が始まるずっと前から、俺たちが『どうしても戦えない理由』を、あの細腕で完璧に作り上げてたんだよ」


理屈ではない。

これは、絶対的な「金融の包囲網」による物理的な無力化であった。


「……誰も外へ出すな。寺の使いには『流行り病が出て、若衆が皆寝込んでいる』とでも伝えておけ。いいな!」


「は、はいっ!」


同じような光景が、寺の号令を受けた近隣の数十の村々の「リーダー層」たちの間で、一斉に繰り広げられていた。


計算高く、自らの損得を合理的に判断できる村の顔役たちは、皆一様に青ざめ、屋敷の門を固く閉ざして沈黙を決め込んだのである。


一方、その頃。


山科の薫子の私室。


卓の上に広げられた巨大な地図に、小さな駒を並べながら、薫子は悪女のような笑みを浮かべていた。


薫子(心の声)『ふふふ……。寺からの動員令が出たみたいやけど、主力になるはずの郷士や地侍の動きは完全に止まりおったわね』


傍らに控える家臣が、畏怖の念を込めて尋ねる。


「姫様。寺の兵力は、いかほどに減りましたでしょうか」


「そうおすな……」


薫子は、艶やかな京言葉で応じた。


「借金で手足を縛った、損得の勘定ができる賢い連中が七割。寺の権威を恐れず、うちの厚遇に心酔して、自発的に守りに入ってくれた現場の者たちが一割おす」


薫子は、寺の拠点を指差す駒を、パチンと指ではじいた。


「残るは、寺の組織で出世したい野心家や、仏罰を本気で信じ込んどる『非合理な狂信者』が二割ってところでおじゃるな」


「二割……。しかし、それでも千を超える武装した僧兵や暴徒が、こちらへ向かっておりまする!」


家臣の焦燥とは裏腹に、薫子は柚子茶を一口すすり、冷酷な目で夜の闇を見つめた。


「構いまへん。その二割は、言葉も理屈も通じひん哀れな連中おす。……やからこそ、彼らには『うちの作ってきた仕組み』が、いかに強固で残酷なものか、その身をもって証明してもらうための、最高の実験台モルモットになってもらいますえ」


世論の簒奪と、金融による完全包囲。


盤石の布陣を敷いた薫子の領地へ向けて、哀れな狂信者たちの軍勢が、自らの滅びへと歩みを進めていた。

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