第7話,心の破壊と肉体の破壊
処刑人の家に生まれ、フランス革命前後のムッシュ・ド・パリ(処刑人)であり医師であったシャルル=アンリ・サンソンの物語。
フランス史上一番多くの処刑を執行した彼の数奇な運命を描きます。
1981年の地下室。父さんは手記をめくる手を止め、深く息を吐き出した。
「人間が最も恐怖を感じるのは、痛みではない。自分の肉体が『自分のものではなくなる瞬間』だ。」
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1770年代。フランス。
冷たい雨の降る夜、サンソン邸に数人の男たちが泥だらけの戸板を運び込んできた。
乗せられていたのは、パリ近郊の石切り場で落盤事故に巻き込まれた若い鉱夫だった。
「先生、助けてくれ! 岩の下敷きになって、腰から下が潰れちまったんだ!」
仲間たちが泣き叫ぶ中、サンソンは冷静に鉱夫の衣服を切り裂いた。
両脚の骨は無惨に砕け、皮膚を突き破っている。だが、鉱夫自身は不思議なほど落ち着いており、痛みで叫ぶことすらなかった。
「……先生。俺の足、どうなってる? なんにも、感覚がないんだ。」
「動くな。今、神経の道を繋ぎ直す。」
サンソンはすぐに理解した。強い衝撃で腰椎(脊髄)が損傷し、下半身の痛覚神経が完全に遮断されているのだ。
彼は砕けた骨を繋ぎ合わせながら、脊髄という太い神経の束がもたらす「絶対的な麻酔効果」と、痛みが消えることの異様な恐怖を、臨床の現場で完璧に己の知識へと落とし込んだ。
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――数週間後。封蝋のついた処刑命令が届く。
標的は、あの石切り場の所有者である強欲な鉱山主、ロベール。
彼は利益を優先して支柱の補強工事を怠り、わざと落盤事故を起こして、抗議の声を上げていた労働者たちを生き埋めにして殺したのだ。
処刑の朝。サンソンは、石の粉と骨髄の匂いを洗い流す。
純白のシャツ。深紅のフロックコート。真鍮のボタン。真っ白な革手袋。
鏡の中で、医者が沈み、死神が起き上がる。
「……仕事の時間だ。」
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午後、広場。
今日の刑は「車裂きの刑」。罪人の四肢を台に縛り付け、処刑人が巨大な鉄槌を振り下ろして、生きたまま全ての骨を粉々に打ち砕くという地獄の刑罰だ。
引き出されたロベールは、大鉄槌の威圧感に腰を抜かし、豚のように泣き叫んでいた。
「や、やめてくれ! 金を払う! 痛くしないでくれ、頼むから!」
サンソンは何も答えない。
彼は大鉄槌を両手で構え、大きく振りかぶった。群衆が息を呑む。
そして、第一撃。
――ゴガァンッ!!
鈍い音が広場に響き渡った。
だが、サンソンが打ち砕いたのは、ロベールの手でも足でもなかった。
彼は極めて正確な軌道で、ロベールの『腰椎(腰の骨)』のど真ん中を叩き割ったのだ。
「……え?」
ロベールは目を白黒させた。激痛を覚悟していたのに、腰のあたりで重い衝撃を感じただけで、全く痛くないのだ。
「なんだ……下手くそめ! 外したのか!」
ロベールが下劣な笑みを浮かべた直後、サンソンは無言で第二撃を振り下ろした。
今度は、右の大腿骨だ。
――メチャッ。
肉が弾け、骨が粉々に砕けて皮膚を突き破る。
だが、ロベールは悲鳴を上げなかった。いや、上げられなかったのだ。
「……あ?」
ロベールは、自分の右脚がぐちゃぐちゃの肉塊に変わっているのを、ただポカンと見つめていた。
痛くない。全く、何の感覚もない。
第一撃で脊髄を破壊されたことにより、彼の下半身の痛覚は完全に遮断されていたのだ。
――ドゴッ。メキィッ。
サンソンは機械のように鉄槌を振り下ろし続け、左脚、膝、足首と、順番に骨を粉砕していく。
「あ……あああ……あぁぁぁぁッ!?」
ロベールの顔が、かつてない究極の恐怖に歪んだ。
痛みがないことが、逆に彼の精神を崩壊させたのだ。自分の足が叩き潰され、血と骨髄を撒き散らしているというのに、それが「他人の肉」のように何の感覚も伝えてこない。自分の体が、自分のものでなくなっていく絶対的な恐怖。
「足が! 俺の足が潰れてるのに、痛くない! なんだこれ! 狂う! 頭がおかしくなる!」
ロベールは理解不能な現象に発狂し、自分の髪の毛をむしり取りながら、涎を垂らして絶叫し続けた。
「ひゃはははッ! 足の骨が粉々だ! 最高の罰だ!」
群衆は、無惨に砕かれた肉塊と、発狂して喚き散らすロベールを見て大合唱した。
やがてロベールは恐怖のあまりショック死し、広場には肉と骨の混ざった泥だけが残された。
サンソンは大鉄槌についた血を拭い、白手袋を見つめた。
(彼は痛みではなく、自分の体が自分のものでなくなる恐怖に壊れた。だが群衆は、骨が砕ける派手な音と絵だけを楽しんでいる。この広場には、もう人間の心など存在しないのだ。)
サンソンは深紅のコートの襟を握った。
この圧倒的な虚無感が、やがて自分の心を完全に食い破るであろうことを、彼は静かに予感していた。
次回以降、完全なムッシュ・ド・パリ(処刑人)サンソンが少しずつ変化していきます。
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