第4話, 皮膚の再生と、引き裂かれる肉
処刑人の家に生まれ、フランス革命前後のムッシュ・ド・パリ(処刑人)であり医師であったシャルル=アンリ・サンソンの物語。
フランス史上一番多くの処刑を執行した彼の数奇な運命を描きます。
1981年の地下室。父さんは革の手記を重々しく叩き、ひび割れた声で言った。
「次は……“裂く刑”だ。治す手が、憎悪の炎に油を注いでしまった記録だ。」
※※※※※※※※※※
1770年代の冬。
深夜のサンソン邸に運び込まれた十代の少女は、煮えたぎる湯と油を全身に浴び、皮膚がどろどろに溶け落ちていた。
衣服と肉が癒着し、爛れた表面からは絶えず体液が滲み出している。そのままにすれば、間違いなく腐敗して死に至る傷だった。
「先生、痛い……痛いよ……。」
「我慢しろ。……必ず、元の肌に戻れる。」
サンソンは極小のメスを握り、息を殺した。
黒く死んだ皮を、ミリ単位の精度で薄く、薄く削ぎ落としていく。少しでも深く刃を入れれば出血で命を落とし、浅ければ腐敗が進行する。
削る。洗う。薬効のある布で包む。
あまりの激痛に少女は歯を食いしばり、やがて声すら出せなくなった。それでもサンソンは、夜が明けても、次の日になっても、その孤独で凄惨な作業をやめなかった。
数週間。地獄のような治療の果てに、少女の体には桃色の新しい皮膚が芽吹いた。
傷跡は残るが、命は繋がった。少女は包帯の中で泣きながら言った。
「……先生。わたし、まだ、生きていいの?」
「生きろ。」
サンソンは、静かに頷いた。
※※※※※※※※※※
――数日後。国家から処刑命令が届く。
標的は、ガブリエル。
日曜の礼拝中、大聖堂の扉に外から太い鎖をかけ、松明を投げ込んだ狂信者。逃げ惑う人々の悲鳴を聞きながら「神の炎だ」と笑っていた男。サンソンが治療したあの少女の家族は、その大聖堂の中で生きたまま炭になったのだ。
処刑の朝。サンソンは、数日前、少女の皮膚を削いだ手から、肉の焼ける匂いを念入りに洗い流す。
純白のシャツに袖を通し、深紅のフロックコートを羽織る。
もはや美しい鎧ではない。幾千の血と脂を吸い込んで厚紙のように強張り、不快な死臭を放つ「呪いの装備」だ。真鍮のボタンを一つ留めるたびに、アンリという個人の心が死に、国家の殺戮装置が起動していく。
最後に、真っ白な革手袋をはめる。
鏡の中で、医者が沈み、死神が起き上がる。
「……仕事の時間だ。」
午後、グレーヴ広場。
四頭の屈強な馬、太い革のベルト。「四つ裂きの刑」の準備が整えられていた。
引き出された悪党ガブリエルは、恐怖を見せるどころか、処刑台の上で傲慢に笑っていた。
「私は殉教者だ!この痛みこそが、私を天国への階段へと導くのだ!」
群衆は怒号を上げ、彼に向かって石を投げる。
だが、ベルトが四肢にきつく締められ、四方の馬が一歩踏み出した瞬間、ギリッ、と肩の関節が嫌な音を立て、現実の痛みが男の脳を直撃した。
「がぁっ……!
や、やめろ!痛い!
体が、抜ける……助けてくれ!」
天国を語っていた口は、あっという間に無様な命乞いへと変わる。
観衆は狂喜し、拳を突き上げた。
「一時間かけろ!」
「ゆっくりと引き裂いて、地獄を見せてやれ!」
サンソンは馬具の結び目を調整するふりをして、掌の中に隠した小さなメスを確かめた。
あの少女の死んだ皮膚を削り取った、あの極小の刃だ。
彼は、熱狂する群衆の目をごまかす一瞬の動作で、男の両肩と股関節の奥――
解剖学的に最も“裂けやすい腱の束”へ、正確に切れ込みを入れた。
外傷はほとんどない。だが、骨と肉を繋ぐ「橋」は完全に崩落している。
「行け。」
サンソンが低く命じ、助手たちが一斉に鞭を鳴らす。
四頭の馬が、四方へ駆け出した。
――ベリッ、ドチャッ!!
一時間続くはずの拷問は、わずか一秒で終わった。
腱を切断された男の体は、限界まで引き延ばされることもなく、まるで脆い飴細工のように四つの肉片と無残な胴体へとあっけなく解体されたのだ。男は自分が死んだことすら理解する暇もなく、急激な血圧低下で即死した。
「おおおおおッ!!」
群衆は、一瞬で人体がバラバラになったその派手な光景に、地鳴りのような歓声を上げた。
広場の最前列には、あの少女もいた。
彼女は、仇の肉片が泥の中に転がるのを見て、手を叩き、踊り、狂ったようにゲラゲラと笑い転げていた。
サンソンは、降り注いだ返り血を浴びて立ち尽くした。
彼が与えたのは“長い苦痛”ではない。苦しむ暇もない一瞬の死だ。
だが、観衆はその“肉が派手に裂ける絵”に酔い痴れていた。
(私が再生させた皮膚は、治した手は……憎しみの火を育てるためにあったのか。
苦痛の有無など、誰も気にしていない。他人が無様に壊れる暴力の形こそが、この街で最高の娯楽になるのだ。)
サンソンは、血に濡れたメスを袖の奥で強く握りしめた。
刃はあんなに小さいのに、そのあまりの重さに、右手が千切れそうだった。
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