第27話,新しい時代の共犯者
処刑人の家に生まれ、フランス革命前後のムッシュ・ド・パリ(処刑人)であり医師であったシャルル=アンリ・サンソンの物語。
フランス史上一番多くの処刑を執行した彼の数奇な運命を描きます。
フランス革命編です。
1981年の地下室。父さんは手記のページを撫でながら、ひどく静かな声で言った。
「……燃え盛る炎を消すには、水をかけるか、あるいは燃やすものを完全に無くしてしまうしかない。フランス革命という名の狂った炎は、後者だった。」
父さんは、深く息を吐き出した。
「これは、完全に『機械』になり果てた処刑人と、自らの理想に裏切られた若き独裁者が、最後にたった一度だけ目を合わせ、この国の狂気を強制終了させた日の記録だ。」
※※※※※※※※※※
1794年7月。
パリは「恐怖政治」の異常な熱狂の只中にあり、広場の石畳は乾く暇もないほど大量の血を吸い込んでいた。
しかし、その中心に立つシャルル=アンリ・サンソンの内面は、絶対零度の虚無に包まれていた。
悲鳴も聞こえない。血の匂いも感じない。度重なる極限の処刑劇によって自らの心を完全に殺し切った彼は、もはや何の感情も抱かず、ただ国家の巨大な殺戮システムの一部として無機質にレバーを引く「精巧な歯車」になり果てていた。
その日、広場へ引き出されたのは、マクシミリアン・ロベスピエールだった。
自決に失敗して顎をピストルで撃ち砕かれた彼の姿は、かつて森で野バラを摘んでくれた上品な青年の面影を微塵も残していなかった。
緑色のコートは血と泥で汚れ、砕け散った下顎は、汚いボロ布の包帯で顔の半分ぐるぐる巻きに固定されている。
「ひゃはははッ! 見ろ、独裁者の無様な姿を!」
「お前のその口で殺された者たちの呪いだ! 地獄へ落ちろ!」
広場を埋め尽くす十万の群衆は、昨日まで彼を「救世主」と讃えていたにも関わらず、今は狂喜乱舞して石や泥を投げつけている。
サンソンは、断頭台の上で冷徹に彼を見下ろしていた。
台の上に引きずり上げられたロベスピエールは、目の前に立つサンソンを見て、静かに目を合わせた。
あの日、森の中で目をそらしていた青年。彼が目を逸らし続けた「血の現実」が、ついに彼自身を裁くために立っている。だが、今のロベスピエールの瞳に、かつてのような「現実への怯え」はもうなかった。
言葉を奪われたロベスピエールは、その透き通るような瞳で、群衆の醜い熱狂をゆっくりと見渡した。
そして、彼の中で、すべてが残酷なまでに腑に落ちたのだ。
(ああ……そうか。私は間違えていた。人間は理性の生き物などではない。彼らは、他人の血と暴力という『熱狂』を喰らわねば生きていけない獣だったのだ。)
自分は救世主などではなかった。この巨大な獣の空腹を満たすための、ただの愚かな餌係に過ぎなかった。
だが、誰かがこの狂った熱狂の連鎖を断ち切らねば、フランスという国は自らの血を啜り尽くして死ぬ。
ロベスピエールは、再びサンソンを真っ直ぐに見つめ返した。
(ならば、最後に私自身が『最悪の怪物』として、最も惨たらしく死のう。この十万の獣たちが、二度と血を欲しがらなくなるほどの、最大の熱狂と絶頂を与えて……この革命を終わらせるのだ。)
その凄絶な覚悟の光を帯びた瞳を見た瞬間、機械になり果てていたサンソンの奥底で、わずかに何かが動いた。
(……あなたは、自らの惨めな死をもって、この狂気を終わらせるつもりですね。そして私に、その『最悪の怪物』の首を確実に刎ねる役目を、引き受けろと言うのですね。)
言葉など必要なかった。
二人は、この血塗られた断頭台の上で、狂った歴史に幕を下ろすための「無言の共犯者」となったのだ。
ギロチンの板に体を縛り付ける際、サンソンは無言でロベスピエールの顔に手を伸ばした。
刃を正確に首へ落とし、一撃でこの命を終わらせるためには、顎を固定しているこの分厚い包帯が致命的な障害になる。そして何より、群衆を最大限に満足させるためには、彼が「最も無様で残酷な姿」を晒さねばならない。
「……剥がします。」
サンソンが誰にも聞こえない微かな声で告げると、ロベスピエールは、恐怖に震える体を必死に押さえつけながら、たった一度だけ、静かに頷いた。
サンソンは、一切の躊躇なく、血と肉が癒着した包帯を勢いよく『べりっ』と剥ぎ取った。
「ぎゃああああああああああっ!!!」
固定を失った下顎が垂れ下がり、広場中を震わせるほどの凄まじい絶叫が迸った。
それは、生の神経が削られる激痛による悲鳴であり、同時に、大衆が最も望んだ「悪魔の断末魔」を完璧に演じ切った、彼なりの最後の『演説』でもあった。
「殺せ! 怪物を殺せ!!」
群衆の熱狂が、最高潮の沸点に達する。
これ以上ないほどの憎悪と歓喜が、広場を完全に支配した。
(これで、終わる。)
サンソンは、冷たいレバーを強く握りしめた。
――シュパッ。
刃が落ち、恐怖政治の首謀者の首が転がり落ちた瞬間。
十万の群衆が、大地が揺れるほどの地鳴りのような大歓声を上げた。
サンソンは、血の滴る刃を見つめながら、静かに目を閉じた。
最も純粋に死刑廃止を夢見た青年は、最悪の独裁者の仮面を被り、自らをいけにえとして差し出すことで、自らが火をつけた革命の炎を鎮火させたのだ。
ロベスピエールは悪人だったのでしょうか?時代の濁流に飲まれ役割を果たした男が散ります。
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