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転生エルフのスローライフ、今日は木漏れ日で昼寝します

作者: 星渡リン
掲載日:2026/02/02

 朝の森は、音がやわらかい。

 鳥の声は尖らず、遠くの川が細く笑う。葉が擦れる音は、誰かが布団を整えるみたいに静かだ。


 窓を開けると、冷たい空気に土と苔の匂いが混じって、胸の奥がすっと軽くなる。


 私は木の家の小さな台所で、薬草茶を淹れた。

 乾かしたカモミールに、少しだけミント。瓶の蓋を開けるたび、香りがふわっと立って、肩の力が抜ける。


「今日の予定は……」


 口に出してから、ひとりで笑った。


 予定表なんて、ここにはない。

 あるのは、森の機嫌と、自分の体の具合だけ。


 それでも、言ってしまう。言うと決まるから。


「今日は木漏れ日で昼寝する日」


 宣言した瞬間、窓辺の空気がくすぐったく揺れた。

 小さな光の粒が集まり、踊るみたいに回る。


「昼寝?」


 鈴みたいな声が、頭の上から降ってきた。


 テーブルの縁に、指先ほどの小さな影が座っている。葉っぱの帽子。透ける羽。目だけがやけにきらきらしている。


「フィン、おはよう」


「おはよう、リィネ! 昼寝、いいね!」


 フィンは勢いよく私の肩に飛び乗った。軽い。羽根で触られている感じだけが残る。


「昨日も昼寝したよね」


「昨日は“少しだけ”。今日は“ちゃんと”」


「ちゃんと昼寝って、なに」


「木漏れ日がちょうどいい場所を探して、そこに寝る」


「わかった! 木漏れ日、任せて!」


 フィンは窓の外へ飛び出し、すぐに戻ってきた。


「……任せてって言う前に、まだ寝床作ってないよ」


「寝床! 寝床ね!」


 言葉だけ先に走る。可愛いけど、だいたい雑だ。


 私は薬草茶をひと口飲んで、深呼吸する。

 眠気じゃない。“ゆるみ”が胸に落ちる。


 前の人生では、昼に目を閉じるのが怖かった。

 「遅れてる」「休んでる場合じゃない」って、頭の中の声が騒ぐから。


 でも今は違う。

 ここでは昼寝が、悪いことじゃない。


「よし。準備しよう」


 私は籠を取り出し、布とスプーン、蜂蜜の瓶を入れる。

 それから、魔法用の細い銀糸も。


 派手に光らせるためじゃない。

 生活の“ちょっと困る”を、少しだけ楽にするためのものだ。


 外へ出る前に、私は窓の外へ手を伸ばした。


「露の器」


 葉の上に溜まっていた露が、くるりと渦になって掌に集まる。

 透明な水が丸い器の形でぷるんと揺れた。冷たくて気持ちいい。


「わ、きれい」


 フィンが覗き込む。


「飲む?」


「飲む!」


 フィンは露の器に顔を寄せ、ちゅっと吸った。頬を膨らませて満足そうにする。


「冷たい!」


「でしょ。昼寝の前に、ちゃんと飲む」


「昼寝に水って必要なの?」


「必要。寝てる間も体は動いてるから」


 私は露の器を瓶に移して蓋を閉めた。


 次に指を鳴らす。


「風鈴の息」


 家の中に溜まっていた熱と湿気が、ふわっと外へ抜けた。

 風が一度だけ通り抜けて、台所の空気がさっぱりする。


「よし」


 整えると、心も落ち着く。

 昼寝の準備って、わりと大事だ。



 森の小道へ出ると、光が葉の間で揺れていた。

 木漏れ日はいつもそこにあるのに、いつも同じ形にはならない。


「今日はどこにする?」


 私は木の幹を撫でながら歩いた。

 手のひらに伝わる冷たさと、少しざらっとした感触。森は触ると“今”が分かる。


「こっち!」


 フィンが先に飛び、枝の間をくぐっていく。

 私は笑いながら追いかけた。


 大きな樫の木の下。

 草がふかふかで、根元が少し盛り上がっていて、背中を預けるのにちょうどいい。


「ここ、いい」


 私は籠を置き、布を広げた。

 銀糸を指に巻く。


「木漏れ日編み」


 指先から細い光の糸が伸び、葉の隙間をなぞるように揺れた。

 強い光は柔らかく、弱い光は少しだけ明るくなる。


 木漏れ日が、“昼寝の形”に整っていく。


「すごいすごい!」


 フィンが拍手みたいに羽を鳴らす。


「派手じゃないよ」


「派手じゃなくていいの。昼寝は派手じゃないもん」


「それもそうだね」


 私は草の上に座って、薬草茶をもうひと口飲んだ。

 香りが胸に落ちる。


「……寝ようかな」


 そのとき。


 森の奥で、枝が折れる音がした。


 パキ。


 フィンがぴたりと止まる。

 空気が少しだけ硬くなる。


「誰か来る」


「……うん」


 私は立ち上がって、音のした方を見た。



 木々の間から、人が出てきた。


 人間の男。旅装。背中に荷物。額に汗。靴には泥。

 目だけが妙に焦っている。


「……すみません」


 声がかすれていた。


「道に迷ってしまって……水を、いただけませんか」


 私は頷き、籠から瓶を出した。露の器で集めた水だ。


「どうぞ」


 男は両手で受け取り、急いで飲んだ。

 飲み終わってやっと息を吐く。


「助かりました。……急いでるんです。だから、すぐに」


 立ち上がろうとして、ふらりと揺れた。


 私は一歩近づいて肩を支える。


「急いでるのは分かるけど、まず座ってください」


「でも、時間が」


「座るのは五分です」


 男は唇を噛んだ。

 “五分も惜しい”という顔。


 その顔が、私には分かる。

 前の人生の、私の顔だ。


「……あなた、名前は?」


「ヨハンです」


「私はリィネ。ここに住んでるエルフです」


 ヨハンの目が少し丸くなる。


「エルフ……本当にいるんですね」


「います。昼寝もします」


「昼寝……」


 状況に追いつけない顔が可笑しくて、私は小さく笑った。


「邪魔じゃないです。困ってる人を放っておけない」


 そう言ってから、付け足す。


「ただし、私も昼寝はします」


「え」


「助けたいなら、私が倒れないのが大事なので」


 ヨハンは困ったように眉を寄せた。


「僕、休んでる場合じゃなくて」


「休まないと、もっと遅くなります」


 私は布を指差した。


「そこ、座って」


「……」


 ヨハンはしぶしぶ座った。

 座った瞬間、肩がすとんと落ちる。本人も驚いた顔をした。


「……重かったんだな」


「ずっと持ってたからです」


 私は銀糸を指に巻き直し、草の上へ手を伸ばした。


「眠りの縁」


 目に見える光はほとんどない。

 でも、空気の角が取れた。


 川の音が少し丸くなり、鳥の声が遠くなる。

 風が強く吹いても、耳に刺さらない。


「……なんだ、これ」


「音を少しだけ柔らかくする魔法です」


「眠くなる魔法?」


「眠気を強制はしません。安心できる空気を作るだけ」


 ヨハンは空を見上げた。

 葉の間から、木漏れ日が落ちてくる。


 私は木漏れ日編みをもう一度する。

 光の揺れを、少しだけ一定にする。


 目が疲れていると、揺れる光は意外とつらい。

 だから“ちょうどいい揺れ”に整える。


 ヨハンがぽつりと言った。


「……こういうの、久しぶりです」


「何が?」


「立ち止まること」


 胸の奥が少しだけ痛んだ。

 やっぱり、そうだ。


「私も、前は休み方が分かりませんでした」


 森の匂いを吸い込んで、言う。


「休むって、誰かに許可をもらわないとできない気がして」


 ヨハンが小さく笑った。


「分かります」


「でも許可って、意外と誰もくれないんですよね」


「……くれない」


 ヨハンの肩が、もう一段落ちた。

 諦めじゃない。力が抜ける落ち方だ。


 フィンがヨハンの頭の上をくるくる回って、葉っぱを一枚落とした。

 鼻先にひらりと落ちて、ヨハンは思わず笑う。


「……なんだ、これ」


「フィンのいたずらです」


「いたずら、なのか」


「いたずら半分、親切半分」


 フィンが得意そうに胸を張る。


「昼寝は大事!」


 ヨハンが私を見る。


「……僕、本当に急いでるんです」


「分かってます」


 私は指を一本立てた。


「だから、五分だけ。目を閉じてください」


「五分……」


「五分だけ。起きたら道を教えます。焦ると、森の道は余計に分からなくなる」


 ヨハンはしばらく黙っていた。

 やがて、諦めたように息を吐く。


「……分かりました。五分だけ」


「約束です」


 私は布の端に腰を下ろした。

 ヨハンは背中を木に預ける。


 木漏れ日が揺れる。

 風が通る。


 私は目を閉じた。


 森の音が、布団みたいに身体にかかる。

 前の私は、昼に目を閉じると、頭の中の声が騒いで眠れなかった。


 でも今は、森の音がその声を遠くにしてくれる。

 押さえつけるんじゃない。包んで、静かにする。


 隣から、ヨハンの呼吸が深くなっていくのが分かった。

 浅くて速かったのに、少しずつゆっくりになる。


 そして、すう、と眠りに落ちる気配。


 私は目を開けずに、そっと口元を緩めた。


 眠れるんだ。

 眠れることが、こんなに嬉しいなんて。


 フィンが小さく囁く。


「見て。寝た」


「……うん」


「よかったね」


「うん」


 私はそれだけ返して、また目を閉じた。


 五分だけのはずが、森は少しだけ長くしてくれた。

 昼寝は時計のためじゃなくて、体のためにするものだから。



 目が覚めたとき、木漏れ日は少し場所を変えていた。


 風が一度通り、草の匂いが濃くなる。

 私は伸びをした。背中が気持ちいい。


 隣でヨハンが目を開けた。

 ぼんやりしているのに、顔色がさっきよりずっといい。


「……寝てました」


「寝てましたね」


「……すみません」


「謝らなくていいです。寝るのは悪いことじゃない」


 ヨハンは口を開けて、閉じた。

 何か言いたいのに、言葉が見つからない顔。


 私は籠から薬草茶を出し、カップに注ぐ。


「飲みますか」


「……いただきます」


 ヨハンはひと口飲んで、目を少し細めた。


「……温かい」


「温かいの、いいですよね」


 フィンが横から言う。


「昼寝のあとに飲むと、もっといい!」


「そうなのか……」


 ヨハンが少し笑った。


 私は枝を拾って地面に簡単な地図を描いた。

 森の道は曲がりくねっていて、目印がないと迷いやすい。


「ここが今いる場所。小川を右に見ながら歩くと、二つ目の大きな石がある。そこを左」


「分かりました」


「急いでるなら、走らないでください。走ると道が見えなくなります」


 ヨハンは苦笑する。


「耳が痛い」


「耳が痛いくらいでいいです」


 私は立ち上がり、布を畳んだ。

 ヨハンも荷物を背負い直す。


 肩が少し沈む。

 でも、さっきほどじゃない。


「……リィネさん」


「はい」


「助かりました。水も、道も……それより、休むことを」


 ヨハンは言葉を探して、少し間を置く。


「……忘れてました」


 私は頷いた。


「忘れたら、また木漏れ日を借りに来てください」


 ヨハンの目が丸くなる。


「……来てもいいんですか」


「いいです。森は忙しい人にも優しいです」


 フィンが胸を張る。


「木漏れ日は、みんなのもの!」


 ヨハンは小さく笑って、深く頭を下げた。


「ありがとうございます」


 そして、森の道へ歩き出した。


 最初は迷いがちな足取りだったのに、途中から少しだけ軽くなる。

 背中が遠ざかるのを見ながら、私は胸の奥が温かくなった。


 助けるって、光を出すことだけじゃない。

 止まっていい、と伝えることも、助けになる。


 ヨハンの姿が木々に隠れたころ、フィンが私の肩に戻ってきた。


「今日は昼寝の日だったのにね」


「うん」


「昼寝、できなかった?」


「できたよ」


 私は空を見上げた。

 葉の間から、木漏れ日が落ちてくる。


「むしろ、ちゃんとできた」


「どういうこと?」


「私だけじゃなくて、ヨハンも休めたから」


 フィンは少し考えて、それからにっこりした。


「それ、いい昼寝だ!」


「でしょ」


 私は布を広げ直し、樫の木の根元に背中を預ける。

 銀糸を指に巻く。


「木漏れ日編み」


 光が、また昼寝の形になる。

 強すぎず、暗すぎず、揺れすぎず。


 私は目を閉じた。


 森が、やさしく息をする。

 その息に合わせて、私の呼吸もゆっくりになる。


 誰にも許可されなくても、休んでいい。

 ここでは、それが当たり前だ。


 フィンが小さく囁いた。


「起きたら、何する?」


「……起きたら、もう一杯お茶」


「いいね!」


 私は笑って、眠りに落ちた。

 木漏れ日は今日も静かに揺れている。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。


このお話は「大きな出来事はなくても、ひと息つける時間が人生を救うことがある」という気持ちから書きました。

森の木漏れ日や風の音って、なぜか“許可”みたいに感じることがあります。休んでいいよ、と言われているような。


リィネの魔法は派手じゃありません。けれど、冷たい水を用意したり、音の角を落としたり、光の揺れを整えたりと、どれも「休める環境」を作るためのものです。

もし今、忙しさや不安で心が固くなっているなら、木漏れ日を借りるように、五分だけでも目を閉じてみてください。休むのはサボりではなく、続けるための回復だと思います。


また森で、次の昼寝の話でお会いできたら嬉しいです。

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