転生エルフのスローライフ、今日は木漏れ日で昼寝します
朝の森は、音がやわらかい。
鳥の声は尖らず、遠くの川が細く笑う。葉が擦れる音は、誰かが布団を整えるみたいに静かだ。
窓を開けると、冷たい空気に土と苔の匂いが混じって、胸の奥がすっと軽くなる。
私は木の家の小さな台所で、薬草茶を淹れた。
乾かしたカモミールに、少しだけミント。瓶の蓋を開けるたび、香りがふわっと立って、肩の力が抜ける。
「今日の予定は……」
口に出してから、ひとりで笑った。
予定表なんて、ここにはない。
あるのは、森の機嫌と、自分の体の具合だけ。
それでも、言ってしまう。言うと決まるから。
「今日は木漏れ日で昼寝する日」
宣言した瞬間、窓辺の空気がくすぐったく揺れた。
小さな光の粒が集まり、踊るみたいに回る。
「昼寝?」
鈴みたいな声が、頭の上から降ってきた。
テーブルの縁に、指先ほどの小さな影が座っている。葉っぱの帽子。透ける羽。目だけがやけにきらきらしている。
「フィン、おはよう」
「おはよう、リィネ! 昼寝、いいね!」
フィンは勢いよく私の肩に飛び乗った。軽い。羽根で触られている感じだけが残る。
「昨日も昼寝したよね」
「昨日は“少しだけ”。今日は“ちゃんと”」
「ちゃんと昼寝って、なに」
「木漏れ日がちょうどいい場所を探して、そこに寝る」
「わかった! 木漏れ日、任せて!」
フィンは窓の外へ飛び出し、すぐに戻ってきた。
「……任せてって言う前に、まだ寝床作ってないよ」
「寝床! 寝床ね!」
言葉だけ先に走る。可愛いけど、だいたい雑だ。
私は薬草茶をひと口飲んで、深呼吸する。
眠気じゃない。“ゆるみ”が胸に落ちる。
前の人生では、昼に目を閉じるのが怖かった。
「遅れてる」「休んでる場合じゃない」って、頭の中の声が騒ぐから。
でも今は違う。
ここでは昼寝が、悪いことじゃない。
「よし。準備しよう」
私は籠を取り出し、布とスプーン、蜂蜜の瓶を入れる。
それから、魔法用の細い銀糸も。
派手に光らせるためじゃない。
生活の“ちょっと困る”を、少しだけ楽にするためのものだ。
外へ出る前に、私は窓の外へ手を伸ばした。
「露の器」
葉の上に溜まっていた露が、くるりと渦になって掌に集まる。
透明な水が丸い器の形でぷるんと揺れた。冷たくて気持ちいい。
「わ、きれい」
フィンが覗き込む。
「飲む?」
「飲む!」
フィンは露の器に顔を寄せ、ちゅっと吸った。頬を膨らませて満足そうにする。
「冷たい!」
「でしょ。昼寝の前に、ちゃんと飲む」
「昼寝に水って必要なの?」
「必要。寝てる間も体は動いてるから」
私は露の器を瓶に移して蓋を閉めた。
次に指を鳴らす。
「風鈴の息」
家の中に溜まっていた熱と湿気が、ふわっと外へ抜けた。
風が一度だけ通り抜けて、台所の空気がさっぱりする。
「よし」
整えると、心も落ち着く。
昼寝の準備って、わりと大事だ。
⸻
森の小道へ出ると、光が葉の間で揺れていた。
木漏れ日はいつもそこにあるのに、いつも同じ形にはならない。
「今日はどこにする?」
私は木の幹を撫でながら歩いた。
手のひらに伝わる冷たさと、少しざらっとした感触。森は触ると“今”が分かる。
「こっち!」
フィンが先に飛び、枝の間をくぐっていく。
私は笑いながら追いかけた。
大きな樫の木の下。
草がふかふかで、根元が少し盛り上がっていて、背中を預けるのにちょうどいい。
「ここ、いい」
私は籠を置き、布を広げた。
銀糸を指に巻く。
「木漏れ日編み」
指先から細い光の糸が伸び、葉の隙間をなぞるように揺れた。
強い光は柔らかく、弱い光は少しだけ明るくなる。
木漏れ日が、“昼寝の形”に整っていく。
「すごいすごい!」
フィンが拍手みたいに羽を鳴らす。
「派手じゃないよ」
「派手じゃなくていいの。昼寝は派手じゃないもん」
「それもそうだね」
私は草の上に座って、薬草茶をもうひと口飲んだ。
香りが胸に落ちる。
「……寝ようかな」
そのとき。
森の奥で、枝が折れる音がした。
パキ。
フィンがぴたりと止まる。
空気が少しだけ硬くなる。
「誰か来る」
「……うん」
私は立ち上がって、音のした方を見た。
⸻
木々の間から、人が出てきた。
人間の男。旅装。背中に荷物。額に汗。靴には泥。
目だけが妙に焦っている。
「……すみません」
声がかすれていた。
「道に迷ってしまって……水を、いただけませんか」
私は頷き、籠から瓶を出した。露の器で集めた水だ。
「どうぞ」
男は両手で受け取り、急いで飲んだ。
飲み終わってやっと息を吐く。
「助かりました。……急いでるんです。だから、すぐに」
立ち上がろうとして、ふらりと揺れた。
私は一歩近づいて肩を支える。
「急いでるのは分かるけど、まず座ってください」
「でも、時間が」
「座るのは五分です」
男は唇を噛んだ。
“五分も惜しい”という顔。
その顔が、私には分かる。
前の人生の、私の顔だ。
「……あなた、名前は?」
「ヨハンです」
「私はリィネ。ここに住んでるエルフです」
ヨハンの目が少し丸くなる。
「エルフ……本当にいるんですね」
「います。昼寝もします」
「昼寝……」
状況に追いつけない顔が可笑しくて、私は小さく笑った。
「邪魔じゃないです。困ってる人を放っておけない」
そう言ってから、付け足す。
「ただし、私も昼寝はします」
「え」
「助けたいなら、私が倒れないのが大事なので」
ヨハンは困ったように眉を寄せた。
「僕、休んでる場合じゃなくて」
「休まないと、もっと遅くなります」
私は布を指差した。
「そこ、座って」
「……」
ヨハンはしぶしぶ座った。
座った瞬間、肩がすとんと落ちる。本人も驚いた顔をした。
「……重かったんだな」
「ずっと持ってたからです」
私は銀糸を指に巻き直し、草の上へ手を伸ばした。
「眠りの縁」
目に見える光はほとんどない。
でも、空気の角が取れた。
川の音が少し丸くなり、鳥の声が遠くなる。
風が強く吹いても、耳に刺さらない。
「……なんだ、これ」
「音を少しだけ柔らかくする魔法です」
「眠くなる魔法?」
「眠気を強制はしません。安心できる空気を作るだけ」
ヨハンは空を見上げた。
葉の間から、木漏れ日が落ちてくる。
私は木漏れ日編みをもう一度する。
光の揺れを、少しだけ一定にする。
目が疲れていると、揺れる光は意外とつらい。
だから“ちょうどいい揺れ”に整える。
ヨハンがぽつりと言った。
「……こういうの、久しぶりです」
「何が?」
「立ち止まること」
胸の奥が少しだけ痛んだ。
やっぱり、そうだ。
「私も、前は休み方が分かりませんでした」
森の匂いを吸い込んで、言う。
「休むって、誰かに許可をもらわないとできない気がして」
ヨハンが小さく笑った。
「分かります」
「でも許可って、意外と誰もくれないんですよね」
「……くれない」
ヨハンの肩が、もう一段落ちた。
諦めじゃない。力が抜ける落ち方だ。
フィンがヨハンの頭の上をくるくる回って、葉っぱを一枚落とした。
鼻先にひらりと落ちて、ヨハンは思わず笑う。
「……なんだ、これ」
「フィンのいたずらです」
「いたずら、なのか」
「いたずら半分、親切半分」
フィンが得意そうに胸を張る。
「昼寝は大事!」
ヨハンが私を見る。
「……僕、本当に急いでるんです」
「分かってます」
私は指を一本立てた。
「だから、五分だけ。目を閉じてください」
「五分……」
「五分だけ。起きたら道を教えます。焦ると、森の道は余計に分からなくなる」
ヨハンはしばらく黙っていた。
やがて、諦めたように息を吐く。
「……分かりました。五分だけ」
「約束です」
私は布の端に腰を下ろした。
ヨハンは背中を木に預ける。
木漏れ日が揺れる。
風が通る。
私は目を閉じた。
森の音が、布団みたいに身体にかかる。
前の私は、昼に目を閉じると、頭の中の声が騒いで眠れなかった。
でも今は、森の音がその声を遠くにしてくれる。
押さえつけるんじゃない。包んで、静かにする。
隣から、ヨハンの呼吸が深くなっていくのが分かった。
浅くて速かったのに、少しずつゆっくりになる。
そして、すう、と眠りに落ちる気配。
私は目を開けずに、そっと口元を緩めた。
眠れるんだ。
眠れることが、こんなに嬉しいなんて。
フィンが小さく囁く。
「見て。寝た」
「……うん」
「よかったね」
「うん」
私はそれだけ返して、また目を閉じた。
五分だけのはずが、森は少しだけ長くしてくれた。
昼寝は時計のためじゃなくて、体のためにするものだから。
⸻
目が覚めたとき、木漏れ日は少し場所を変えていた。
風が一度通り、草の匂いが濃くなる。
私は伸びをした。背中が気持ちいい。
隣でヨハンが目を開けた。
ぼんやりしているのに、顔色がさっきよりずっといい。
「……寝てました」
「寝てましたね」
「……すみません」
「謝らなくていいです。寝るのは悪いことじゃない」
ヨハンは口を開けて、閉じた。
何か言いたいのに、言葉が見つからない顔。
私は籠から薬草茶を出し、カップに注ぐ。
「飲みますか」
「……いただきます」
ヨハンはひと口飲んで、目を少し細めた。
「……温かい」
「温かいの、いいですよね」
フィンが横から言う。
「昼寝のあとに飲むと、もっといい!」
「そうなのか……」
ヨハンが少し笑った。
私は枝を拾って地面に簡単な地図を描いた。
森の道は曲がりくねっていて、目印がないと迷いやすい。
「ここが今いる場所。小川を右に見ながら歩くと、二つ目の大きな石がある。そこを左」
「分かりました」
「急いでるなら、走らないでください。走ると道が見えなくなります」
ヨハンは苦笑する。
「耳が痛い」
「耳が痛いくらいでいいです」
私は立ち上がり、布を畳んだ。
ヨハンも荷物を背負い直す。
肩が少し沈む。
でも、さっきほどじゃない。
「……リィネさん」
「はい」
「助かりました。水も、道も……それより、休むことを」
ヨハンは言葉を探して、少し間を置く。
「……忘れてました」
私は頷いた。
「忘れたら、また木漏れ日を借りに来てください」
ヨハンの目が丸くなる。
「……来てもいいんですか」
「いいです。森は忙しい人にも優しいです」
フィンが胸を張る。
「木漏れ日は、みんなのもの!」
ヨハンは小さく笑って、深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
そして、森の道へ歩き出した。
最初は迷いがちな足取りだったのに、途中から少しだけ軽くなる。
背中が遠ざかるのを見ながら、私は胸の奥が温かくなった。
助けるって、光を出すことだけじゃない。
止まっていい、と伝えることも、助けになる。
ヨハンの姿が木々に隠れたころ、フィンが私の肩に戻ってきた。
「今日は昼寝の日だったのにね」
「うん」
「昼寝、できなかった?」
「できたよ」
私は空を見上げた。
葉の間から、木漏れ日が落ちてくる。
「むしろ、ちゃんとできた」
「どういうこと?」
「私だけじゃなくて、ヨハンも休めたから」
フィンは少し考えて、それからにっこりした。
「それ、いい昼寝だ!」
「でしょ」
私は布を広げ直し、樫の木の根元に背中を預ける。
銀糸を指に巻く。
「木漏れ日編み」
光が、また昼寝の形になる。
強すぎず、暗すぎず、揺れすぎず。
私は目を閉じた。
森が、やさしく息をする。
その息に合わせて、私の呼吸もゆっくりになる。
誰にも許可されなくても、休んでいい。
ここでは、それが当たり前だ。
フィンが小さく囁いた。
「起きたら、何する?」
「……起きたら、もう一杯お茶」
「いいね!」
私は笑って、眠りに落ちた。
木漏れ日は今日も静かに揺れている。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
このお話は「大きな出来事はなくても、ひと息つける時間が人生を救うことがある」という気持ちから書きました。
森の木漏れ日や風の音って、なぜか“許可”みたいに感じることがあります。休んでいいよ、と言われているような。
リィネの魔法は派手じゃありません。けれど、冷たい水を用意したり、音の角を落としたり、光の揺れを整えたりと、どれも「休める環境」を作るためのものです。
もし今、忙しさや不安で心が固くなっているなら、木漏れ日を借りるように、五分だけでも目を閉じてみてください。休むのはサボりではなく、続けるための回復だと思います。
また森で、次の昼寝の話でお会いできたら嬉しいです。




