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忘却のレール

作者: 文系

 小野寺瞬おのでら・しゅんは、誰よりも他人に興味がなかった。

 それでも彼は、他人の記憶を辿る仕事をしていた。記憶再構築士。

 特殊なカメラと脳波センサーを使い、依頼者の記憶を視覚的に再現するこの仕事は、近年、事故や失踪事件の捜査、遺産相続の証明など、さまざまな場面で重宝されるようになっていた。


 だが、彼自身はまるで幽霊のように淡々と働いていた。依頼者の涙にも笑顔にも、微動だにしない。ただ、記憶のパズルを解くだけ。そんな瞬に、一風変わった依頼が持ち込まれたのは、晩秋の雨が降る午後だった。


「兄の記憶を調べてほしいんです」


 黒髪を一つに結んだ女性が、古い皮の鞄を胸に抱えて言った。名を三浦奈々と名乗った。依頼内容はこうだ。三ヶ月前に亡くなった兄・三浦浩一の過去の記憶を映像化し、その中に“ある言葉”があったかを確かめたいという。


「“誓いは、時計の裏に”って言葉を、生前、兄がよく口にしていたんです。でも、それが何を意味していたのか、私にはどうしても分からなくて」


 瞬は頷き、奈々から浩一の遺品──腕時計、手帳、眼鏡などを預かった。記憶を辿るには、被験者の脳に直接アクセスする必要があるが、死者の場合は遺品やDNA情報から間接的に記憶片を復元する。それは、曇ったガラス越しに過去を覗き見るような、不鮮明な作業だった。


____


 解析が始まると、断片的な記憶がスクリーンに映し出された。通学路の桜並木、暗い部屋で独り本を読む姿、誰かと口論するシーン……どの映像も短く、不完全だった。


 だが、ある映像が現れたとき、瞬は眉をひそめた。

 それは浩一がまだ少年の頃、祖父の時計をじっと見つめている記憶だった。時計の裏蓋には、細い文字で「約束は、未来に続く」と刻まれていた。

 次の場面では、浩一が誰かと握手していた。相手の顔はノイズで見えないが、その手首には同じ時計がついていた。


 瞬は、ふとした違和感を覚えた。

 浩一の視点が妙に安定している──記憶映像特有の揺れがないのだ。まるで第三者が撮影したかのような、静かで俯瞰的な映像だった。

 通常、記憶映像は主観視点で記録される。これではまるで……誰かが意図的に“編集した”ようだ。


____


 違和感は次第に確信へと変わっていった。浩一の記憶には、矛盾が多すぎた。

 時計を見つめる記憶の中で、背景にあったポスターの年号が、浩一の生年よりも十年も後のものだった。

 つまり、浩一はそれを「見ていない」はずなのに、「記憶」していたのだ。

 まるで誰かが、彼の人生に伏線を撒いていったかのように。


 瞬は奈々に問いかけた。


「お兄さん、他人の記憶に執着していた様子は?」


「……はい。小さい頃から、人の話をよくメモしていました。誰が何を言ったか、いつどこで何をしたか、細かく記録して。私は“変な趣味”だと思っていたけど……今思えば、全部、意味があったのかもしれません」


 その言葉で、瞬は一つの仮説に辿り着いた。

 浩一は、自分の記憶を“編集”していたのではないか。過去の事実に、自分なりの「伏線」を埋め込み、未来に回収させる仕組みを作っていたのだと。


____


 再び記憶映像を読み解くと、あるシーンで浩一が壁に釘を打ち、何かを隠す場面があった。部屋は現在の奈々の家と一致していた。

 その場所を奈々とともに探すと、壁の奥から古いフィルムと鍵の束が見つかった。フィルムには、若い浩一と奈々の父が映っていた。


「奈々……これは、お前のためなんだ。もし俺に何かあったら、この記憶が“鍵”になる。覚えておいてくれ、“誓いは、時計の裏に”だ」


 その声を聞いた瞬間、奈々は泣き崩れた。

 兄はずっと、家族を守るために伏線を張り巡らせていた。父の過去、母の死、相続にまつわるいざこざ──それらすべてを“記憶”として封印し、未来に残した。


____


「結局、人間ってのは……」


 瞬は帰り際、独り言のように呟いた。


「ただの物語なのかもしれないな。自分の人生に意味を持たせようと、伏線を張って、誰かに回収されるのを待ってる」


 そして、自分の記憶の中にも、回収されない伏線がいくつもあることを思い出した。

 幼い頃に聞いた母の歌、言いかけて止めた父の言葉、名前すら知らない女の子の涙。


 人間は、伏線だらけだ。

 回収されることのない伏線を、いくつも、いくつも抱えて生きている。


 でも──それでも、どこかの誰かが、その物語を読み解いてくれる日が来るかもしれない。

 瞬は雨の中、静かに歩き出した。


 彼自身の、伏線を回収する誰かを、心のどこかで願いながら。

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